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名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第六章 殺戮の全景

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六 一発の弾

 部屋の中で、何も、動かなかった。


 懐中電灯の光の中の埃さえ、止まってしまったようだった。


 ユノの指が、引き金に、かかっていた。


 弾は、一発だけ。


 わたしは、ユノを見ていた。


 目を逸らさなかった。逸らせなかったのではない。雨の駅で、あの少年が、わたしに、こっちを見ろと叫んだ。わたしは今、ユノを、見ることにした。わたしの手が撃った少年の、姉を。


「……あの子は、無線が好きだった」


 ユノが、言った。


 銃口は、少しも、下がらなかった。


「壊れたラジオを、拾ってきては、ばらして、組み直してた。いつか、本物の通信士になるって。……避難所の連絡係も、自分から、やらせてくれって頼んだの。みんなの声を、繋ぐんだって」


 ユノは、少しのあいだ、唇を噛んでいた。


「最後に会った朝、あの子、わたしに、小さな無線機をくれたの。自分で組み立てたやつ。……第九に行ったら、毎晩これで話そうって。結局、一度も、繋がらなかった。安置所の机の引き出しに、ずっと入れてあった」


 ユノは、そこで、ようやく息を吸った。


「……入れてあった、か。もう、全部、あいつらに持っていかれた」


 ユノの頬を、涙が、伝っていた。ユノは、それを拭わなかった。拭うための手は、両方とも、拳銃を握っていたから。


「兵隊さんが、来ましたって。助けに来てくれたんだと思いますって。……あの子、最後まで、無線の釦を、押してた。誰かに、聞いてほしくて。見てほしくて」


 ユノの唇が、震えた。


「それなのに、見てたのは、あなただけだった」


 その言葉は、どんな弾よりも深く、わたしの中に入ってきた。わたしは、それを、抜こうとはしなかった。


 わたしは、動かなかった。


 ユノの指に、力がこもるのが、わかった。


 身体は、銃口の角度と、ユノの指の力を、量っていた。一歩で、銃身を払える距離。……わたしは、身体に、動くな、と言った。身体は、動かなかった。


 一分間に、百八十。ユノの心臓が、闇の中で、鐘のように鳴っていた。わたしの胸の中では、わたしの鼓動が、変わらずに、六十を刻んでいた。それが、ひどく、恥ずかしかった。


 長い、長い時間だった。


 それから、ユノは、銃口を、わたしの胸から、ほんの少しだけ、ずらした。


 右端の、暗くなった画面のほうへ。


「……写せないの」


 ユノが、かすれた声で言った。


「この記録。……わたしの読み出し器に」


 わたしは、操作盤の画面を見た。


 ユノが、片手で拳銃を構えたまま、もう片方の手で、操作盤に触れた。複写。画面が、短い文字を返した。


 『保全記録は、見届けた者の記憶の外へ

  複写することができない』


 ユノは、その文字を、じっと見つめていた。


 あの男は、そう、したのだ。本当の記録を、誰にも消せない場所に残す、と言った。その場所は、塔の底の黒い箱の中ではなかった。紙の上でも、読み出し器の中でもなかった。


 見届けた者の、記憶の中。


 わたしの、中だった。


「あなたを、撃ったら」


 ユノの声は、ほとんど、ささやきだった。


「この記録は、あなたと一緒に、なくなる」


 ユノは、画面から、わたしへと、ゆっくり目を戻した。


「イオが、最後に叫んだ言葉も。兵隊が撃ってる、助けに来たんじゃなかったって、あの子が無線で言ったことも。命令を出した人間の、偽物の作れない符号も。……全部。残るのは、反乱分子による武装蜂起の犠牲者、っていう、あいつらの嘘だけ」


 ユノの指が、引き金から、離れた。


「そんなの、させない」


 ユノは、唇を噛んだ。


「手配書に、書いてあった。式典の日に、公開聴聞をするって。……あいつは、あなたを捕まえて、記憶を整えて、街じゅうの前で、ミラ・ハルトとして証言させるつもりなんだ。この記録を、焼き切ったあとで」


 ユノは、拳銃を下ろした。


 それから、弾倉を抜いた。一発だけの弾を、指先で押し出し、手のひらの上で、しばらく見つめていた。そして、それを、自分の上着の、胸のポケットに、しまった。


「……その弾は」


 わたしが訊くと、ユノは、ポケットの上から、それを押さえた。


「わからない。あなたに使うのか。命令を出した誰かに使うのか。……自分に使うのか。わからないから、持ってる」


 空になった拳銃を、机の上に置いた。


「許さない」


 ユノは、わたしを見て、言った。


「あなたのことは、許さない。……ずっと。これから先も」


「わかってる」


「でも、あなたは、消させない」


 ユノは、胸のポケットの上から、弾を、手のひらで押さえた。


「生きて。……証言して。あの夜のことを、全部。あなたの、その目で見たとおりに」


「する」


 わたしは、言った。


 ユノは、背を向けた。四つの暗い画面の前の、あの男の椅子の背もたれに手をついて、しばらく、肩を震わせていた。声は、立てなかった。


 わたしは、それを、見ていた。


 それだけが、今のわたしに、許されていることだった。


 四つの暗い画面の前の椅子には、あの男の灰色の外套が、掛かったままだった。あの男は、ここに座って、見届けた、と書いた。見届けるだけで、あの男は、何ひとつ、止めなかった。


 わたしも、同じだった。


 だから、見届けるだけでは、終わらせない。

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