↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第六章 殺戮の全景

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/62

四 こっちを見ろ

 上空からの映像の中で、時刻が、二十三時十六分を刻んでいた。


 駅の中で、動いているものは、もう、ほとんどなかった。雨だけが、割れた天蓋の骨のあいだから、まっすぐに降りこんでいた。


 ユノの指が、操作盤の上を、動いた。


 右端の画面が、大きく、手前に広がった。五二八六三の視界。わたしの目に映っていたもの。


 貨車の列が、あった。


 錆びた、屋根のない貨車。その上に、人影が、ひとつ、立っていた。


 照明弾の白い光が、その人影を、正面から照らした。


 まだ、少年の輪郭を残した顔だった。濡れた前髪が、額に貼りついていた。両腕は、だらりと身体の脇に垂れていた。武器を、持っていなかった。


 その胸もとで、小さな赤い灯が、ひとつ、雨に打たれながら、明滅していた。


 ユノが、立ち上がった。


 椅子が、埃の積もった床に、倒れた。


「……イオ」


 声にならない声だった。ユノの手が、画面へ伸びた。硝子の上の、濡れた前髪に、指先が触れた。冷たい硝子に。


 安置所の氷の上で、わたしの目の前に落ちてきた、あの写真の少年だった。首に無線の受話器をかけて、照れくさそうに、歯を見せて笑っていた、あの顔が、照明弾の光の中で、濡れて、青ざめて、まっすぐに、こちらを見ていた。


 わたしの目を。


 わたしの目の、さらに奥を。


 交信記録の帯から、音が、流れ出した。


『――第四、聞こえますか。こちら、第九。……兵隊が、撃ってる。助けに来たんじゃなかった。みんな、みんな――』


 少年の声だった。


 塔の地下で聞いた、弾んだ声ではなかった。泣き叫ぶ寸前の、ひび割れた声だった。赤い灯は、送信の灯だったのだ。少年は、最後まで、無線の釦を、押しつづけていた。


『――聞こえますか。誰か。誰か、これを――』


 画面の中の少年が、貨車の上で、まっすぐに、こちらへ身体を向けた。


 そして、大きく、口を開けた。


 雨の駅で、わたしには、聞こえなかった。音が多すぎた。世界じゅうの音が一度にわたしの中へ流れこみ、その一言だけが、濁流に投げこまれた小石のように、沈んでいった。


 今度は、聞こえた。


『こっちを見ろ!』


 少年は、叫んでいた。


『こっちを見ろ! 見ろよ! 俺たちを、見ろ!』


 わたしの目を。わたしの目の、さらに奥を、見据えて。


 命令を実行している層ではなく、その奥で、ただ見ていることしかできずにいた、わたしに向かって。


 少年は、知っていたのだ。


 そこに、見ている誰かがいることを。


 武器を持たない少年が、四つの銃口の前で、最後に選んだのは、逃げることでも、命乞いをすることでもなかった。見ている者に、見ろ、と叫ぶことだった。その目の奥にいる誰かに、この駅で起きていることを、見届けさせることだった。


 画面の中で、わたしの腕が、持ち上がった。


 照準が、少年の胸の上を、滑った。胸の、赤い灯の上を。そして、少年の喉を越え、大きく開けた口の上で、止まった。


 照準の中心に、彼の開いた口があった。


 右端の画面の下の文字が、赤く、点滅していた。


 『観測層 拒絶反応 計測上限

  観測層 拒絶反応 計測上限

  観測層 拒絶反応 計測上限』


 やめろ、とわたしは言っていた。


 あの夜、わたしは、言っていた。この画面の中の、この身体の、ずっと奥で。言ったつもりだった。けれど、動いたのは、わたしの口ではなかった。


 銃声が、一発。


 少年の身体が、後ろへ、傾いた。


 貨車の縁を越えて、少年は、雨の中へ、落ちていった。


 ユノの喉から、音が漏れた。


 悲鳴ではなかった。息が、どこかで、ちぎれたような音だった。ユノは、両膝から、床に崩れ落ちた。埃が舞い上がり、懐中電灯の光の中で、ゆっくりと渦を巻いた。


 それでも、ユノは、画面から、目を離さなかった。


 画面は、止まらなかった。


 わたしの視界が、線路の上を、歩いていった。貨車の脇へ。


 線路の砂利の上に、少年が、仰向けに倒れていた。雨が、その顔を、打っていた。胸もとの赤い灯が、まだ、明滅していた。ひとつ。ふたつ。


 わたしの視界が、少年を、見下ろしていた。


 身体は、確かめていた。標的が、動かなくなったことを。


 身体の目は、少年の胸もとの、小さな無線機を量っていた。武器ではない。脅威なし。……わたしの目は、少年の顔を、見ていた。同じ目で。


 そして、わたしは、見ていた。


 少年の、開いたままの目を。雨に打たれて、瞬きをしない目を。赤い灯が、みっつ、明滅して、そして、消えるのを。


 交信の帯が、ぷつりと、途切れた。


 第四避難所の人たちが、無線で聞いたという、何かを叫んで、そのまま途切れた声。それは、これだったのだ。こっちを見ろ。その叫びは、雨の夜を渡って、遠い避難所の、誰かの耳にだけ、届いていた。


 ロクマルの視界が、わたしの背中を追って、貨車のあいだを曲がった。曲がりしなに、ロクマルの腕が、貨車の錆びた鉄の角に、強く打ちつけられた。


 視界の隅で、ロクマルの手首の時計の硝子に、蜘蛛の巣のようなひびが走った。


 針が、止まった。


 上空からの映像の隅で、時刻が、二十三時十七分を刻んだ。


 『作戦終了』


 四つの視界が、一列になって、駅の外へ歩いていった。


 いちばん右の画面の中で、わたしの視界が、一度だけ、上を見上げた。雨の夜空の、監視機械のほうを。


 塔の地下で見た映像では、その顔は、磨りガラスのように塗りつぶされていた。


 ここでは、塗りつぶされていなかった。見上げたのは、わたしの目だった。わたしの目が見上げた先に、雨の夜空があった。その空の、ずっと向こうに、この尾根の上の、四つの皿のような器があった。


 あの男が、見ていた。


 四つの画面が、ひとつずつ、暗くなっていった。


 最後に、わたしの画面の、いちばん下の文字だけが、残った。


 『観測層 記録を保全

  封印者 第七研究室 主任技師

  この記憶は、見届けた者のものである』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。