四 こっちを見ろ
上空からの映像の中で、時刻が、二十三時十六分を刻んでいた。
駅の中で、動いているものは、もう、ほとんどなかった。雨だけが、割れた天蓋の骨のあいだから、まっすぐに降りこんでいた。
ユノの指が、操作盤の上を、動いた。
右端の画面が、大きく、手前に広がった。五二八六三の視界。わたしの目に映っていたもの。
貨車の列が、あった。
錆びた、屋根のない貨車。その上に、人影が、ひとつ、立っていた。
照明弾の白い光が、その人影を、正面から照らした。
まだ、少年の輪郭を残した顔だった。濡れた前髪が、額に貼りついていた。両腕は、だらりと身体の脇に垂れていた。武器を、持っていなかった。
その胸もとで、小さな赤い灯が、ひとつ、雨に打たれながら、明滅していた。
ユノが、立ち上がった。
椅子が、埃の積もった床に、倒れた。
「……イオ」
声にならない声だった。ユノの手が、画面へ伸びた。硝子の上の、濡れた前髪に、指先が触れた。冷たい硝子に。
安置所の氷の上で、わたしの目の前に落ちてきた、あの写真の少年だった。首に無線の受話器をかけて、照れくさそうに、歯を見せて笑っていた、あの顔が、照明弾の光の中で、濡れて、青ざめて、まっすぐに、こちらを見ていた。
わたしの目を。
わたしの目の、さらに奥を。
交信記録の帯から、音が、流れ出した。
『――第四、聞こえますか。こちら、第九。……兵隊が、撃ってる。助けに来たんじゃなかった。みんな、みんな――』
少年の声だった。
塔の地下で聞いた、弾んだ声ではなかった。泣き叫ぶ寸前の、ひび割れた声だった。赤い灯は、送信の灯だったのだ。少年は、最後まで、無線の釦を、押しつづけていた。
『――聞こえますか。誰か。誰か、これを――』
画面の中の少年が、貨車の上で、まっすぐに、こちらへ身体を向けた。
そして、大きく、口を開けた。
雨の駅で、わたしには、聞こえなかった。音が多すぎた。世界じゅうの音が一度にわたしの中へ流れこみ、その一言だけが、濁流に投げこまれた小石のように、沈んでいった。
今度は、聞こえた。
『こっちを見ろ!』
少年は、叫んでいた。
『こっちを見ろ! 見ろよ! 俺たちを、見ろ!』
わたしの目を。わたしの目の、さらに奥を、見据えて。
命令を実行している層ではなく、その奥で、ただ見ていることしかできずにいた、わたしに向かって。
少年は、知っていたのだ。
そこに、見ている誰かがいることを。
武器を持たない少年が、四つの銃口の前で、最後に選んだのは、逃げることでも、命乞いをすることでもなかった。見ている者に、見ろ、と叫ぶことだった。その目の奥にいる誰かに、この駅で起きていることを、見届けさせることだった。
画面の中で、わたしの腕が、持ち上がった。
照準が、少年の胸の上を、滑った。胸の、赤い灯の上を。そして、少年の喉を越え、大きく開けた口の上で、止まった。
照準の中心に、彼の開いた口があった。
右端の画面の下の文字が、赤く、点滅していた。
『観測層 拒絶反応 計測上限
観測層 拒絶反応 計測上限
観測層 拒絶反応 計測上限』
やめろ、とわたしは言っていた。
あの夜、わたしは、言っていた。この画面の中の、この身体の、ずっと奥で。言ったつもりだった。けれど、動いたのは、わたしの口ではなかった。
銃声が、一発。
少年の身体が、後ろへ、傾いた。
貨車の縁を越えて、少年は、雨の中へ、落ちていった。
ユノの喉から、音が漏れた。
悲鳴ではなかった。息が、どこかで、ちぎれたような音だった。ユノは、両膝から、床に崩れ落ちた。埃が舞い上がり、懐中電灯の光の中で、ゆっくりと渦を巻いた。
それでも、ユノは、画面から、目を離さなかった。
画面は、止まらなかった。
わたしの視界が、線路の上を、歩いていった。貨車の脇へ。
線路の砂利の上に、少年が、仰向けに倒れていた。雨が、その顔を、打っていた。胸もとの赤い灯が、まだ、明滅していた。ひとつ。ふたつ。
わたしの視界が、少年を、見下ろしていた。
身体は、確かめていた。標的が、動かなくなったことを。
身体の目は、少年の胸もとの、小さな無線機を量っていた。武器ではない。脅威なし。……わたしの目は、少年の顔を、見ていた。同じ目で。
そして、わたしは、見ていた。
少年の、開いたままの目を。雨に打たれて、瞬きをしない目を。赤い灯が、みっつ、明滅して、そして、消えるのを。
交信の帯が、ぷつりと、途切れた。
第四避難所の人たちが、無線で聞いたという、何かを叫んで、そのまま途切れた声。それは、これだったのだ。こっちを見ろ。その叫びは、雨の夜を渡って、遠い避難所の、誰かの耳にだけ、届いていた。
ロクマルの視界が、わたしの背中を追って、貨車のあいだを曲がった。曲がりしなに、ロクマルの腕が、貨車の錆びた鉄の角に、強く打ちつけられた。
視界の隅で、ロクマルの手首の時計の硝子に、蜘蛛の巣のようなひびが走った。
針が、止まった。
上空からの映像の隅で、時刻が、二十三時十七分を刻んだ。
『作戦終了』
四つの視界が、一列になって、駅の外へ歩いていった。
いちばん右の画面の中で、わたしの視界が、一度だけ、上を見上げた。雨の夜空の、監視機械のほうを。
塔の地下で見た映像では、その顔は、磨りガラスのように塗りつぶされていた。
ここでは、塗りつぶされていなかった。見上げたのは、わたしの目だった。わたしの目が見上げた先に、雨の夜空があった。その空の、ずっと向こうに、この尾根の上の、四つの皿のような器があった。
あの男が、見ていた。
四つの画面が、ひとつずつ、暗くなっていった。
最後に、わたしの画面の、いちばん下の文字だけが、残った。
『観測層 記録を保全
封印者 第七研究室 主任技師
この記憶は、見届けた者のものである』




