三 別の角度
四つの画面の中で、四つの視界が、雨の中を歩いていた。
わたしは、いつの間にか、自分の手を握りしめていた。画面の中の四つの視界の歩調と、わたしの胸の鼓動とが、同じ速さで刻まれていることに、わたしは、気づかないふりをした。
どの視界も、同じ高さにあった。同じ速さで揺れ、同じ間隔で、足もとの枕木を越えていく。右端の画面の隅に、時刻が刻まれていた。二十三時三分、五十八秒。
操作盤の脇の、小さな画面には、上空からの映像が映っていた。
塔の地下で見たのと、同じ映像だった。暗視の、緑がかった灰色の世界。錆びた貨車の列。巨大な鉄骨のアーチと、硝子の天蓋。天蓋の下の、ぽつりぽつりとした、ランプの灯り。線路の上を、駅へ向かって歩く、四つの影。
二十三時四分、〇〇秒。
塔の地下では、ここで、画面が黒くなった。
画面は、黒くならなかった。
四つの影が、天蓋の下へ、踏みこんでいった。
左端の画面は、五二八六〇の視界だった。ロクマルの目だった。
ロクマルの目の前を、ひとつの背中が、歩いていた。
黒い装備。規則正しく揺れる肩。銃を構えた腕の角度。その背中の少し上に、画面が、小さな白い文字を重ねていた。
『五二八六三』
わたしの、背中だった。
ロクマルの視界の中で、わたしの背中は、四人のいちばん前にいた。ロクイチの視界にも、ロクニの視界にも、同じ背中が、前方に映っていた。三つの視界が、同じひとつの背中を、追っていた。
先頭にいたのは、わたしだった。
わたしは、ロクマルの目で、わたしの背中を見ていた。規則正しく揺れる、黒い肩。迷いのない、腕の角度。あの夜、わたしは、自分の身体を、他人のもののように感じていた。その他人の背中を、わたしは今、仲間の目を通して、初めて、外から見ていた。
天蓋の下に、人々がいた。
ホームの上に、線路のあいだに、貨車の陰に。毛布にくるまって横になっている人。ランプの灯りのそばで、鍋を火にかけている人。柱と柱のあいだに渡された紐に、子どもの靴下が、干してあった。
照明弾が、上がった。
白い光が、駅の中を、真昼に変えた。人々の顔が、一斉に、こちらを向いた。
いちばん右の画面。五二八六三の視界。
わたしの目に映っていたものを、わたしは、見た。
わたしの目の中で、人々の顔の上に、細かな印が、次々と重なっていった。距離。方位。動き。脅威の度合い。印のひとつひとつに、小さな数字が振られていく。
左前方、十四メートル。
銃声が、した。
上空からの映像の中で、四つの影のうち、いちばん前の影の銃口が、最初に、光った。
続いて、三つの銃口が、光った。
ユノが、両手で、自分の口を覆った。
わたしは、画面から、目を逸らさなかった。
逸らせなかったのではない。わたしは、それを、見ることにした。雨の駅で、わたしが見ていたのと同じものを。今度は、硝子の向こうからではなく、ここから。
人々が、逃げていた。
身体は、逃げる背中を、ひとつずつ、正確に撃っていった。
ロクニの視界の中で、ひとりの女が、子どもを胸に抱えこんで、貨車の下へ這いこもうとしていた。ロクニの照準が、その背中の上で、ほんの一瞬、揺れた。揺れて、止まった。
ユノが、目を閉じかけて、また、開いた。ユノは、見ていた。一人ひとりを。書庫の壁に、名前を書き写してきた人たちを。
「……青い、肩掛け」
ユノが、画面の隅を見つめたまま、つぶやいた。倒れた老女の肩から、青い毛糸の肩掛けが、ホームの上に、広がっていた。
「身元不明、女性、推定六十代。……わたしが、台帳に書いた人」
画面の音声の帯から、音が流れ出していた。悲鳴。硝子の砕ける音。雨。そして、そのすべての隙間を縫うように、途切れ途切れに漏れてくる、低い、温かい音。
旋律だった。
歌詞のない、同じところをぐるぐると回る旋律。
ロクイチの視界の画面の隅で、音声の波形が、それに合わせて、小さく揺れていた。ロクイチが、撃ちながら、口ずさんでいたのだ。消灯のあとの、あの部屋で、眠りに落ちる前に口ずさんでいた、同じ旋律を。
『――殲滅を、継続せよ』
平板な声が、拡声器から流れた。
画面の下に、文字が浮かんだ。
『中央司令部より中継
発令 二二時四八分
認証 人間指揮官 生体認証符号 原本添付』
塔の地下で見た命令記録には、最上位封印、としか書かれていなかった欄。その欄に、ここでは、長い、複雑な記号の列が、びっしりと並んでいた。
「……原本」
ユノが、口を覆った手の隙間から、かすれた声を漏らした。
「本人の身体からしか、作れない符号。……偽物は、作れない」
貨車の陰から、猟銃を抱えた初老の男が、飛び出してきた。
震える銃口が、火を噴いた。弾は、ロクマルの視界の中で、わたしの頭の、ずいぶん横を抜けていった。
わたしの背中が、振り向いた。
照準が、男の胸の上に、重なった。
男が、倒れた。
男の腕から、古い猟銃が、ホームの上に滑り落ちた。
押収物、猟銃。
ユノは、もう、何も言わなかった。
いちばん右の画面の下に、別の文字の列が、流れつづけていた。わたしの視界の、記録の横に、ずっと寄り添うように。
『五二八六三
戦闘層 命令実行中
観測層 稼働中
拒絶反応 計測上限
外部操縦 なし』
外部操縦、なし。
わたしは、その四文字を、何度も読んだ。
雨の駅で、わたしは、誰かが、わたしの手足を操っているのだと思った。遠いどこかで、誰かが、わたしの身体を動かしているのだと。そうとしか、思えなかった。
誰も、いなかったのだ。
わたしの腕を持ち上げ、わたしの指で引き金を絞っていたのは、どこか遠くの誰かではなかった。わたしの中にいる、もうひとつの層だった。命令を受け、標的を選び、撃つための層。そして、それを、ただ見ていることしかできない、もうひとつの層が、同じ身体の中に、いた。
わたしが。
そして、その層に、殲滅を継続せよ、と告げたのは、二十二時四十八分に、偽物の作れない符号で判を押した、ひとりの人間だった。
ロクニの画面の、隅の文字が、目に入った。
『五二八六二
観測層 稼働中
閉眼反応 継続』
ロクニの視界は、何度も、何度も、暗くなりかけては、戻っていた。
目を、閉じようとしていたのだ。
閉じられなかったのだ。
ロクイチの画面の隅にも、ロクマルの画面の隅にも、同じ文字が並んでいた。観測層、稼働中。拒絶反応。
四人とも、見ていたのだ。




