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名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第六章 殺戮の全景

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二 四人の声

 部屋の隅に、蓄電池の箱が、いくつも積まれていた。


 ユノが、その一つを、操作盤に繋いだ。十か月眠っていた機械に、電気が流れこむ。低い唸りとともに、操作盤の小さな灯が、ひとつ、またひとつと、ともりはじめた。


 四つの黒い画面のうち、いちばん右の一つだけが、ぼんやりと、明るくなった。


 五二八六三の画面だった。


 画面の中央に、文字が浮かんだ。


 『観測記録保全庫

  所在 五二八六三 記憶深層

  状態 封印中 外部から損傷の痕跡あり』


「……外部から、損傷」


 ユノが、つぶやいた。


「あいつらが、焼き切ろうとした痕」


 文字の下で、細かな図形が、ゆっくりと明滅していた。わたしの記憶の奥の、白い壁の形だった。その表面に、細い亀裂が、蜘蛛の巣のように走っている。


「どうやって、あなたの中と繋がってるの」


「わからない」


 わたしは、画面を見上げた。


「でも、わかる。……ここにいると、壁が、近い」


 それは、本当だった。尾根の上のこの部屋に入ってから、わたしの記憶の奥の、あの白く冷たい壁が、ずっと、すぐ背後に立っているような気がしていた。四つの皿のような器が、わたしの頭の奥を、じっと覗きこんでいるように。


 ユノの指が、操作盤に触れた。


 画面が、切り替わった。


 『封印解除

  解除には、鍵を提示せよ』


 その下に、もう一行。


 『鍵 四人の声』


 ユノの指が、止まった。


 わたしも、動けなかった。


 四人の声。


 ユノが、ゆっくりと、鞄に手を入れた。


 布にくるまれた、黒い小さな箱。角が欠け、押収物の白い札が、まだ紐で結ばれたままの、ロクイチの録音機。


「……あの人は」


 ユノの声が、かすれた。


「これのことを、知ってたの?」


 知っていたのだ、とわたしは思った。


 あの男は、わたしたちの目を通して、すべてを見ていた。雨の駅だけではない。消灯のあとの、あの狭い部屋も。ロクイチが、壊れた通信車から拾ってきた黒い箱を、胸のポケットから取り出す夜も。ロクマルが、豆の缶に歌詞をつけ、ロクニが声を殺して笑い、わたしが、俺は歌わない、と言った夜も。


 誰にも記録されないから、自分で録っておく、とロクイチは言った。


 けれど、見ている者がいたのだ。


 そして、あの男は、わたしたちが自分で残したその声を、あの夜の本当の記録を開けるための、鍵にした。わたしたち四人にしか作れない、ただ一つの鍵に。


 それが、あの男の、せめてもの償いだったのか。それとも、最後の観察だったのか。わたしには、わからなかった。


 操作盤の脇に、小さな送話口があった。


 ユノは、黒い箱を、そこに近づけた。


 そして、わたしを見た。


 開けるか、と。


 壁の向こうに、何があるのかを、わたしは知らなかった。


 知らなかった、というのは、嘘だった。


 照明弾の白い光。雨。貨車の上の少年。胸もとで明滅する、小さな赤い灯。大きく開けた口。わたしの腕が持ち上がり、照準の中心に、その口があった。


 その先を、わたしは、ずっと、見ずにきた。


 こめかみから、汗が、ひとすじ流れ落ちた。冷たい汗だった。指先が、細かく震えていた。


「ユノ」


「なに」


「壁の向こうに、何があっても。……あなたは、見なくてもいい」


 ユノは、首を横に振った。


「言ったでしょう。見届けるって」


「……開けて」


 わたしは、言った。


 ユノが、いちばん左の釦を、押した。


『……録ってる?』


 ロクイチの声が、送話口へ、流れこんでいった。


『録ってる、録ってる。ほら、歌えよ』


 旋律が、始まった。


『きょうの、めしは、まめの、かん』


 くすくすと、小さな笑い声。


『……やめろ。録るな』


『消さないよ。これは、記録だから』


 画面の中の、白い壁の図形が、揺らいだ。


『ロクサンも歌えよ』


『俺は、歌わない』


 亀裂が、広がっていく。


『じゃあ、名前が決まったら歌え』


 壁の図形が、音もなく、崩れた。


 わたしの頭の奥で、何かが、ほどけた。


 鍵が、回るように。長いあいだ閉じていた扉の閂が、ひとつずつ、外れていくように。冷たい指が、頭の芯から、そっと離れていった。


 壁のあった場所から、何かが、ゆっくりと、こちらへ流れこんできた。雨の匂い。硝子の破片が、靴の底で砕ける感触。そして、耳の奥の、ずっと遠くで、誰かが、大きく息を吸いこむ音。


 四つの黒い画面が、一斉に、明るくなった。


 『封印を解除しました

  第九避難所作戦 完全記録

  記録者 第七研究室 主任技師

  視界記録 四 上空記録 一 交信記録 一

  指揮官認証 原本』


「指揮官認証、原本……」


 ユノが、画面の最後の行を、かすれた声で読んだ。


「塔の地下では、最上位封印だった欄」


 録音機の中で、旋律が、同じところを回りつづけていた。


 ユノは、釦を押して、それを止めた。


 部屋が、静まり返った。


 四つの画面の中で、雨が、降りはじめていた。

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