二 白い聴聞室
袋が外されたとき、わたしは、白い部屋にいた。
壁も、床も、天井も、白かった。窓はない。天井の、四角い灯りの板が、影の生まれない、平らな光を落としている。
わたしは、金属の椅子に座らされていた。
手首と、足首と、胸と、額が、椅子に留められていた。帯ではなかった。冷たい金属の環だった。環は、わたしの手首に、ぴたりと合う大きさに作られていた。
身体が、戻っていた。
指先に、力が入る。けれど、身体は、環を引きちぎろうとはしなかった。わたしが、そうさせなかったのではない。環に触れた瞬間、身体は、それが引きちぎれないものだと、もう量り終えていたのだ。
こめかみから、冷たい汗が、ひとすじ流れ落ちた。
白い部屋の真ん中に、長い机があった。
机の向こう側に、もうひとつ、椅子があった。
ユノが、座っていた。
両手を、身体の前で、手錠に繋がれていた。頬の赤い線の横に、新しい痣ができている。短い髪が乱れ、額に貼りついていた。ユノは、机の上の一点を、じっと睨んでいた。
わたしが目を覚ましたのに気づくと、ユノの視線が、わたしに移った。
何も言わなかった。けれど、ユノの目は、生きていた。
「……ユノ」
わたしが呼ぶと、ユノは、ほんのわずかに顎を引いた。
「生きてる。……あなたも」
それだけ言って、ユノは、また机の上の一点に目を戻した。唇の端が、切れていた。
机の脇に、もうひとつ、小さな机が置かれていた。
その上に、ユノの鞄の中身が、並べられていた。
回収官の、ひび割れた端末。読み出し器。診療所で、ユノが書きつけた、わたしの証言の紙。海の写真に包まれた、ロクマルの時計。紙の鳥。布にくるまれた、ロクイチの録音機。
ひとつひとつに、白い札が、紐で結ばれていた。
押収物。番号。日付。
わたしの証言を書きつけた紙には、ユノの、ちびた鉛筆の字が、びっしりと並んでいた。その紙の角にも、白い札が結ばれていた。
安置所で、ユノが遺品に結んでいた札と、同じ形の札だった。
壁の高いところに、赤い小さな灯が、ひとつ、ともっていた。その下に、小さな文字。記録中。部屋の隅の、細い台の上で、黒い機械が、かたかたと小さな音を立てながら、細長い紙を吐き出しつづけていた。この部屋で交わされる言葉を、一語残らず、紙に刻んでいく機械だった。
白い扉が、音もなく開いた。
男が、入ってきた。
五十代だろうか。銀色に近い灰色の髪を、額からまっすぐ後ろへ撫でつけている。削いだような頬。襟の高い、暗い色の外套。その胸で、開いた本と若芽の徽章が、平らな光を撥ねていた。
男は、ほとんど瞬きをしなかった。
男は、部屋の隅の黒い機械に、ちらりと目をやった。機械は、男が入ってきた瞬間から、ひときわ速く、かたかたと鳴りはじめていた。
男は、机の向こう側の、ユノの隣の椅子を引いて、ゆっくりと腰を下ろした。外套の内側から、黒い万年筆を一本取り出し、机の上に、まっすぐに置く。
「戦後復興局、聴聞官のヴァルです」
壊れた番犬の喉を通して聞いた、あの声だった。
低く、落ち着いていて、一度も高くならない声。
「直接お会いするのは、初めてですね。五二八六三」
それから、ヴァルは、隣のユノに、顔を向けた。
「そして、記録係のユノさん」
ユノは、ヴァルを見なかった。
「あなたの台帳は、よくできていました」
ユノの肩が、跳ねた。
「焼けた図書館の、地下の書庫。……昨夜、すべて回収させていただきました。第九避難所の犠牲者名簿も。家族の証言も。遺品の写しも」
ヴァルは、万年筆の位置を、指先で、ほんの少しだけ直した。
「九か月で、あれだけのものを、ひとりで集めた。……尊敬に値する仕事です」
ユノの顔から、血の気が引いていくのが見えた。
「……返して」
ユノの声は、かすれていた。
「あれは、あんたたちのものじゃない。死んだ人たちの――」
「ええ」
ヴァルは、頷いた。
「ですから、式典の日に、ほかの記録と一緒に、丁寧に消去します」
ユノの唇が、震えた。何か言おうとして、声にならなかった。九か月、ひとりで書き写しつづけた三百の名前。その紙の束が、塔の底の白い環の前に積み上げられる光景を、わたしは、見たような気がした。




