一 線路の果て
錆びた線路は、どこまでも続いていた。
ユノの懐中電灯は、手のひらに覆われて、足もとの枕木を一本ずつ、細く照らすだけだった。枕木。砂利。枕木。ときおり、崩れた天井から落ちてきたコンクリートの塊が、線路を塞いでいた。わたしはそれを持ち上げてどけ、ユノは、その脇を黙って通り抜けた。
何時間、歩いたのか。
地下には、朝も夜もなかった。わたしの耳が拾うのは、遠くで落ちる水の音と、鼠の爪の音と、背中のすぐ後ろのユノの足音だけだった。足音は、少しずつ、重く、遅くなっていった。
「……休む?」
わたしが訊くと、ユノは首を振った。
「止まったら、立てなくなる」
やがて、闇の奥に、ぼんやりと白いものが見えてきた。
駅だった。
昔の地下鉄の、小さな駅。ホームの壁に貼られた白い化粧石が、懐中電灯の光を、鈍く撥ね返している。色の褪せた駅名の板。北通り。ホームの端の階段の上から、ほんのかすかに、灰色の光が落ちていた。
地上の光だった。夜が、明けかけているのだ。
ユノは、ホームの縁に手をかけて、よじ登った。そして、そのまま、白い化粧石の壁に背を預けて、ずるずると座りこんだ。
「……少しだけ」
ユノは目を閉じた。拳銃は、膝の上に置いたままだった。けれど、ユノの指は、もう、引き金にかかっていなかった。
わたしは、ホームの端に立って、階段の上の灰色の光を見上げた。
式典まで、あと十日と少し。
わたしたちは、塔の地下で、殲滅の命令と、人間の指揮官の認証と、主任技師の声を手に入れた。けれど、それを、どこへ持っていけばいいのか、わたしにも、ユノにも、まだわからなかった。
「新聞社は、全部、復興局の検閲の下にある」
目を閉じたまま、ユノが、ぽつりと言った。
「ラジオも。……式典の日には、街じゅうの人が、塔の前に集まる。そこで、みんなの前で、あの命令を見せられたら」
ユノは、それ以上、言わなかった。眠りに落ちかけていたのだ。
そのとき、身体が、気づいた。
静かすぎた。
水の落ちる音は、していた。けれど、鼠の爪の音が、しなかった。この駅に近づいてから、一度も。まるで、何かが、ここにいる生き物を、先に追い払ってしまったかのように。
身体の耳が、階段の上の、灰色の光の奥を探った。
呼吸。
ひとつではない。十。二十。息を殺した、人間の呼吸。そして、低い、機械の唸り。
「ユノ」
ユノが、目を開けた。
その瞬間、駅が、真昼になった。
ホームの天井に、いつの間にか据えつけられていた投光器が、一斉に、白い光を吐き出した。目が、焼けた。身体の目は、一瞬で光を絞り、その白さの向こうに、動くものの形を拾った。
階段の上から。線路の、前と、後ろから。
黒い装甲の服を着た男たちが、音もなく、湧き出してきた。顔を、黒い面で覆っている。構えた小銃の弾倉に、黄色い帯。対義体弾。そのあいだを、番犬が三体、低く身をかがめて、滑り出てくる。
『戦後復興局保安部、特別回収班だ』
拡声器の声が、白い光の中で反響した。
『五二八六三、およびその協力者。武器を捨て、その場に伏せろ』
ユノが、拳銃を構えたまま、白い壁に背中を押しつけた。震える銃口が、投光器の光の中の、無数の黒い影のあいだを、さまよっていた。
身体の時間が、始まった。
わたしは、また、硝子の向こうへ、置いていかれた。
身体は、伏せなかった。ホームの縁を蹴り、いちばん近い番犬へ跳ぶ。番犬の首に腕をかけ、ひねりながら、その身体を盾にして、線路の上の男たちへ突っこむ。銃声が、白い化粧石の壁に反響して、雷のように轟いた。黄色い帯の弾が、番犬の装甲を紙のように貫いていく。
身体は、盾にした番犬を投げ捨て、男の一人に組みついた。小銃をもぎ取る。銃床で、二人目の面を割る。
三人目が、小銃ではないものを、構えていた。
太い筒だった。筒の先に、銃口のかわりに、皿のような、浅い金属の器がついている。
身体は、それを、知らなかった。
筒の先の器が、青白く、光った。
音は、しなかった。
ただ、世界が、ぶつりと、切れた。
身体が、止まった。
跳びかかろうとした姿勢のまま、指一本、動かなくなった。糸を切られた操り人形のように。わたしは、止まった身体の中で、止まった目で、白い光を見ていた。わたしの時間だけが、ゆっくりと流れていた。
動いて。
身体は、応えなかった。応えないのではなかった。身体そのものが、どこかへ、消えてしまったようだった。
わたしの膝が、折れた。
砂利の上に、倒れた。倒れる音を、わたしは、他人の音のように聞いた。
ホームの上で、銃声が一発、鳴った。ユノの拳銃の音だった。それから、揉み合う音。ユノの短い叫び声。金属の手錠が、閉じる音。
ユノ。
わたしは、首を動かそうとした。動かなかった。
「その人に、触らないで!」
ユノの叫び声が、白い化粧石の壁に、何度も反響した。わたしを、兵器でも番号でもなく、その人、と呼ぶ声だった。
黒い面の男が、わたしの視界の上に、覗きこんだ。
「制御波、有効。対象、完全に停止」
男の手が、わたしの頭に、黒い布の袋をかぶせた。
白い光が、消えた。




