↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第四章 もうひとつの視線

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/62

七 あなたには

 動かなくなった番犬の喉の奥で、何かが、ざらりと鳴った。


 雑音だった。番犬の、合成音声を出すための拡声器が、壊れかけたまま、何かを拾っていた。


 それから、声がした。


『……五二八六三』


 合成の声ではなかった。


 男の、生きた声だった。低く、落ち着いていて、一度も高くならない声。ひどく遠い部屋から、壊れた番犬の喉を通して、ここへ届いている。


『聞こえていますね』


 わたしは、動かなかった。ユノの拳銃の先が、わたしの背中から、番犬の頭部へと、ゆっくり移っていった。


『私は、戦後復興局、聴聞官のヴァルです』


 聴聞官ヴァル。


 回収官の端末の、報告先に記されていた名前だった。


『塔の地下七層で、あなたが何を見たのかは、知っています。……ユノさん。あなたが、それを写しとったことも』


 ユノの肩が、こわばった。


『弟さんのことは、お気の毒でした。……あなたが三十九通の申請書に書いた番号を、私は、全部読んでいますよ』


 ユノの顔から、血の気が引いていくのが、闇の中でもわかった。


『逃げる必要は、ありません』


 声は、急がなかった。出来の悪い生徒に、同じことを、何度も言い聞かせる教師のような声だった。


『五二八六三。あなたには、まだ、選ぶ機会がある』


 選ぶ。


『あの駅で起きたことについて、あなたは、命令に従っただけだと言うでしょう。身体が勝手に動いたのだ、と。……けれど、それを言うかぎり、あなたは、罪を負うことができない』


 短い間があった。


『罪を負えるのは、人間だけです。命令に従っただけの兵器には、罪を負うことさえ、許されない。兵器は、裁かれるのではなく、ただ、廃棄されるだけです』


『三百人が死にました。誰かが、その罪を負わなければならない。さもなければ、あの夜は、ただの災害になってしまう。……地震や、洪水と同じに』


 主任技師と、同じ言葉だった。


 わたしの右手の人差し指が、ぴくりと動いた。


『ですが、あなたが、それを望むなら』


 声が、ほんの少しだけ、柔らかくなった。


『私が、あなたを、人間として記録に戻してさしあげましょう』


 銃声が、診療所に響いた。


 ユノが、番犬の頭部を撃ち抜いていた。一発。もう一発。拡声器が砕け、雑音が、ぷつりと途切れた。


「記録に戻してあげる、ですって」


 ユノは、煙を吐く拳銃を下ろしながら、吐き捨てるように言った。


「あの人が欲しいのは、罪を負ってくれる誰か。……それが本当は誰なのかなんて、どうでもいいんだ」


 静けさが、戻ってきた。


 いや、戻ってはこなかった。通路の遠くで、人間の靴音が、駆け足に変わっていた。銃声を聞いたのだ。四本の脚の音が、ひとつ、ふたつ、増えていく。


「……行く」


 ユノが、拳銃を下ろして、鞄を掴んだ。


 鞄の中身を、手探りで確かめる。回収官の端末。読み出し器。書きつけた証言の紙。ロクマルの時計と、海の写真。紙の鳥。布にくるんだ、録音機。


「この奥に、昔の地下鉄の線路に抜ける穴がある。医者が、逃げ道に使ってたって」


 ユノは、懐中電灯を点けずに、診療所の奥の、棚の後ろの壁を押した。壁の一部が、きしみながら、奥へ開いた。冷たい、錆の匂いのする風が、吹きこんできた。


 ユノは、わたしを振り返った。


「前を歩いて」


 それは、橋の下で言われたのと、同じ言葉だった。


 けれど、ユノの拳銃の先は、わたしの背中ではなく、足もとの地面に向けられていた。


 わたしは、暗い穴の中へ、踏みこんだ。


 背後で、ユノが、壁を閉じた。靴音と、四本の脚の音が、壁の向こうで、くぐもって遠ざかっていく。


 錆びた線路の上を、わたしたちは、闇の中を歩いた。どこか遠くで、水の落ちる音がした。鼠が、線路の上を走り抜けていった。ユノは、懐中電灯の光を手のひらで覆って、足もとだけを、細く照らした。


 式典まで、あと十日と少し。


 わたしは、歩きながら、自分の目のことを考えていた。


 雨の駅で、わたしの目の奥から、あの夜を見ていた男がいた。塔の地下で、わたしの目の前から、あの十三分を切り取った誰かがいた。そして今夜、壊れた番犬の喉を通して、わたしの行き先を見ている男がいる。


 主任技師は、本当の記録を、誰にも消せない場所に残すと言った。その場所がどこなのか、途切れた記録は、何も語らなかった。


 わたしの見るものは、いつも、誰かに見られていた。


 けれど、今夜、わたしは、ひとつだけ知った。


 身体の目が、番犬の首を見ていたとき。わたしは、ユノを見ていた。


 同じ目で。同じ瞬間に。身体が見ようとしないものを、わたしは、見ることができた。


 殺す手と、それを見届ける目。


 あの男は、見届ける目に、止める力を与えなかったと言った。見ることしかできないようにした、と。


 それなら、見届ける目は、せめて、何を見るかを、選べるのだろうか。


 わたしは、闇の中で、振り返らなかった。


 背中のすぐ後ろで、ユノの足音が、ついてきていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。