四 殲滅
黒い箱の列のあいだを、ユノは迷わずに進んだ。
箱の側面には、それぞれ、小さな番号の札が留められていた。ユノは、回収官の端末の一覧と札とを見比べながら、墓地の奥へ奥へと歩いていく。わたしは、その半歩後ろを歩いた。腰の拳銃の重さが、歩くたびに、わずかに揺れた。
ユノの足が、止まった。
『九―〇〇〇一
第九避難所作戦記録 一式』
ほかの箱と、何も変わらない、黒い箱だった。
箱の足もとの小さな操作盤に、ユノが読み出し器を繋ぎ、解除鍵を流しこむ。箱の表面の赤い灯が、ひとつ、緑に変わった。操作盤の画面が明るくなり、三つの項目が並んだ。
命令記録。通信記録。作戦映像。
ユノの指が、命令記録に触れた。
『作戦記録 第九避難所
二二時四八分 中央司令部より発令
命令 殲滅
対象 旧貨物駅構内の全生体反応
理由 反政府勢力指導部の潜伏情報 通信傍受による
確度 未確認
付記 停戦協定発効前に処理を完了すること
認証 人間指揮官 生体認証
指揮官名 封印
実行部隊 封印
二三時〇四分 作戦開始
二三時一七分 作戦終了』
誰も、しばらく、何も言わなかった。
わたしのこめかみから、汗が、ひとすじ流れ落ちた。凍えるような地下の空気の中で、その汗は、氷のように冷たかった。
冷たい空気の中で、黒い箱たちの赤い灯が、息をするように明滅していた。
「……二十二時四十八分」
ユノの声は、ひどく静かだった。
「始まる十六分前に、もう、命令が出てる。反乱分子なんて、どこにもいない。中央司令部が、避難所の中の、生きてるもの全部を、殺せって」
全生体反応。
人とは、書いていなかった。避難民とも、書いていなかった。三百人の、子どもと、年寄りと、女たちと、イオは、この紙の上では、ただの反応だった。
「理由、反政府勢力指導部の潜伏情報。……確度、未確認」
ユノの声が、震えた。
「避難民の中に、反政府の指導者が紛れこんでいるかもしれない。……それだけ。確かめてもいないのに」
ユノの指が、付記の一行を、なぞった。
「停戦協定には、反政府側の人間の罪を問わないっていう条項がある。停戦したら、もう、誰にも手を出せなくなる。……だから、その前に。三百人の中から、いるかどうかもわからない誰かを探す手間をかけるより、三百人ごと消したほうが、早かったんだ」
通信傍受、という文字の上で、ユノの指が、止まった。避難所どうしを繋ぐ臨時の無線を、軍は、ずっと聞いていたのだ。毎晩、イオが、その送信の釦を押していた無線を。
「認証、人間指揮官」
ユノが、読んだ。
「機械の暴走でも、反乱分子でもない。……人間が、決めたんだ。人間が、自分の手で、この命令に判を押したんだ」
ユノの指が、指揮官名、の欄に触れた。
画面が、赤く縁取られた。
『閲覧不可
最上位封印』
ユノは、もう一度、触れた。同じ赤い枠。解除鍵を流しこみ直しても、画面は、同じ文字を返すだけだった。消すための鍵では、この名前だけは、開けられないのだ。
ユノの指が、その下の、実行部隊、の欄に移った。同じ赤い枠。閲覧不可、最上位封印。
命令を下した者の名前も、命令を果たした者たちの名前も、この記録の中では、同じ赤い枠の奥に閉じこめられていた。残されているのは、殲滅という二文字と、三百の反応が消えた時刻だけだった。
「……回収官の報告先は、聴聞官ヴァルだった」
ユノが、低くつぶやいた。
「あの人たちが消したいのは、これなんだ。式典の日に、この名前ごと」
「……あなた、どうしたの」
ユノが、わたしを見上げた。
わたしは、画面の、ひとつの言葉を見ていた。
殲滅。
『――殲滅を、継続せよ』
平板な声が、耳の奥で、よみがえっていた。雨の駅で、頭の内側に響いた声。あれが外から届いた命令なのか、わたし自身の考えなのか、あのときのわたしには、区別がつかなかった。
その言葉が、いま、目の前にあった。
文字になって。時刻と、認証と一緒に。
継続せよ、とあの声は言った。継続するためには、まず、始めなければならない。始めろ、と誰かが言ったのだ。二十二時四十八分に。人間の、指で。
その命令は、雨の中を渡って、わたしの頭の内側に届いたのだろうか。耳の奥の通信回線の、そのさらに奥へ。
そして、その下の、最後の一行。
二三時一七分、作戦終了。
わたしの目は、ユノの肩にかかった鞄に、吸い寄せられていた。鞄の底で、海の写真にくるまれている、ひび割れた腕時計。二十三時十七分を指したまま、止まっている針。
ロクマルの時計が、どの任務で壊れたのか、わたしは、思い出せなかった。
思い出せないはずだった。
「……何でもない」
わたしは、言った。自分の声が、遠くから聞こえた。
ユノは、わたしの顔を、少しのあいだ見ていた。それから、画面に目を戻し、読み出し器の小さな釦を押した。
「全部、写しておく。命令も、認証も。……消される前に」
読み出し器の灯が、ゆっくりと、明滅しはじめた。




