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名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第三章 記録にない兵士

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三 地下七層

 点検用の縦穴を、梯子で下りていった。


 地下一層。二層。三層。層を下るごとに、空気が冷えていった。塔の呼吸の音が、遠ざかっていく。代わりに、耳が痛くなるほどの静けさが、下から這い上がってきた。


 ユノの息だけが、白く見えた。


 地下六層を過ぎたところで、縦穴は、昇降機の通路と交わっていた。鋼の綱が、闇の中を垂直に走っている。はるか下に、昇降機の箱の屋根が、小さな灯をひとつ載せて止まっていた。


 その下が、地下七層だった。


 身体は、昇降機の扉の隙間から、七層の通路を覗いた。


 白い、まっすぐな通路。突き当たりに、鋼の大きな扉。扉の前に、保安服の男が二人、小銃を提げて立っていた。二人の胸には、小さな札が留められ、そこに、青い灯が、規則正しく明滅している。


 生体監視の札だ、と身体は知っていた。着けている者の心拍が止まれば、すぐに警報が鳴る。


 扉の脇には、番犬が一体、うずくまっていた。


 男たちの声が、白い通路に、小さく反響していた。


「……式典の夜に、ここのを一斉に消すんだとさ。あの輪っかで」


「全部か」


「全部だ。消しちまえば、俺たちも、こんな地の底の見張りから解放だ」


「東区の暴走義体の手配書、ここにも回ってきてるぞ。黒髪の女だ」


「塔までは来ねえよ。ましてや、こんな地の底まで」


 一人が、長い欠伸をした。


「ここで待って」


 わたしはユノを梯子の途中に残し、鋼の綱を伝って、昇降機の箱の屋根へ、音もなく下りた。


 身体は、屋根の点検口の蓋を、指先で、こつん、と一度だけ叩いた。


 通路の二人が、顔を見合わせた。一人が、小銃を構えて、昇降機の扉へ近づいてくる。扉が開く。男が、首を伸ばして、箱の中を覗きこむ。


 身体は、点検口から、逆さまに、箱の中へ滑りこんだ。


 男の首に、背後から腕を巻きつける。叫び声が出る前に、喉を締める。けれど、首の骨には、力をかけなかった。締めるのは、首の横の、血の通り道だけ。男の身体から、力が抜けていく。胸の青い灯は、明滅を続けていた。


 殺さなかったのは、慈悲ではなかった。心拍が止まれば、警報が鳴る。身体は、ただ、それを計算しただけだった。


 二人目が、異変に気づいて、小銃を向けた。


「おい、どうし――」


 身体は、崩れ落ちる一人目の腰から、拳銃を抜き取っていた。


 抜き取りながら、床を蹴った。通路の十メートルを、三歩で詰める。二人目の小銃の銃身を、左手で天井へ払い上げる。引き金が引かれ、弾が天井の照明を砕いた。硝子の雨の中で、身体の右肘が、男のこめかみを打った。


 男が、膝から崩れた。


 番犬が、跳ね起きた。


 六つのレンズが、同時に、わたしへ回る。背中の銃身が、持ち上がる。


 身体は、拳銃を構えていた。


 狙いを定める時間は、なかった。けれど、身体には、要らなかった。三発。乾いた音が、白い通路に反響した。三発とも、六つのレンズの寄り集まった中心に吸いこまれた。レンズが砕け、番犬の頭部が、火花を吐いてのけぞる。


 身体は、そのまま番犬に跳びかかり、のけぞった首に、両腕をかけて、ひねった。


 金属の悲鳴。


 静かになった。


 わたしは、倒れた二人の男の胸を見た。青い灯は、どちらも、規則正しく明滅していた。


 生きている。


 わたしは、息を吐いた。自分が、息を止めていたことに、そのとき初めて気づいた。


 右手に、拳銃が残っていた。


 黒く、重く、冷たかった。けれど、わたしの手は、その重さを、昔から知っていたかのように、少しも持て余さなかった。


 わたしは、それを、上着の腰に差した。


 いつか、この手が、この重さを使うことになる。身体は、そう知っているようだった。わたしは、知りたくなかった。


 梯子を下りてきたユノは、倒れた男たちを見て、足を止めた。


「……生きてる?」


「生きてる」


 ユノは、二人の胸の青い灯を、しばらく見つめていた。それから、わたしの腰の拳銃に、ちらりと目をやった。何も言わなかった。


 鋼の扉には、大きな文字が刻まれていた。


 『地下七層 封印記録庫

  許可なき者の立入を禁ず』


 扉の脇の操作盤に、ユノが、回収官の端末を繋いだ。消去対象の一覧から、一時解除鍵を呼び出す。操作盤の小さな画面が、長い数字の列を、一文字ずつ飲みこんでいった。


 『消去作業用解除鍵を確認

  封印記録庫を開放します』


 重い音を立てて、扉が、左右に割れた。


 冷気が、流れ出してきた。


 広大な、暗い空間だった。


 背の高い黒い箱が、見渡すかぎり、整然と並んでいた。棚ではなかった。一つひとつが、人の背丈よりも高い、窓のない、黒い石碑のような箱。その表面に、小さな赤い灯が、ぽつりぽつりと、ともっている。墓地だ、とわたしは思った。記録の、墓地。


 その墓地のまんなかに、白いものが、そびえていた。


 巨大な、円環だった。


 人の背丈の十倍はあるだろうか。白い金属の環が、床から垂直に立ち上がり、何百本もの太い管と線を、蜘蛛の巣のように四方の黒い箱へ伸ばしている。まだ、組み立ての途中らしい。足場が組まれ、工具が置かれたままになっていた。


 塔の頂で回る、光の環と、同じ形をしていた。


 あの光は、灯台ではなかったのだ。塔の頂にも、塔の底にも、同じ環が据えられている。上の環は街を照らし、下の環は、街が忘れるべきものを、闇の底で待っていた。


「……消去装置」


 ユノが、つぶやいた。


「式典の日に、あれが、ここにある記録を、全部消すんだ」

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