二 三百名
点検用の階段を、地下から地上へ、上がっていった。
途中の踊り場の小窓から、一般記録庫の中が見えた。どこまでも続く、黒い棚の列。棚の一つひとつに、小さな緑の灯がともっている。何百万もの灯が、暗闇の奥の奥まで、星の群れのように並んでいた。
「……あれが全部、記録」
ユノが、ささやいた。
地上階の扉を、わずかに開ける。
広い、天井の高い広間だった。
遺族の閲覧室だった。長い机が何列も並び、机ごとに、照会用の端末が据えられている。昼間には、ここに、家族の最後を知ろうとする人々が並ぶのだろう。いまは、非常灯の青白い光の中で、空の椅子だけが、行儀よく並んでいた。
広間の奥の壁に、真新しい白い横断幕が掛けられていた。
『記録を閉じ、明日をひらく』
その下では、式典の準備が進められていた。何百もの椅子。演壇。白い花を活けた、背の高い花器。演壇の背後の壁に、開いた本と若芽の紋章が、大きく描かれている。椅子の背には、一脚ずつ、白い紙の札が貼られていた。遺族席。消される記録の家族たちが、ここに座って、それが消されるのを見届けるのだ。
身体が、動きを止めた。
広間の反対側の扉の向こうから、足音が近づいてくる。一人。硬い靴底。懐中電灯の光が、扉の硝子を横切った。
わたしはユノの肩を押して、机の下へ潜りこんだ。
扉が開いた。夜警だった。懐中電灯の丸い光が、机の列の上を、ゆっくりと舐めていく。椅子の脚。床。わたしたちの隠れた机の、すぐ脇の床。
ユノが、息を止めていた。心臓の音が、わたしの耳には、机を叩く太鼓のように聞こえた。
光が、通り過ぎた。
足音が、広間の奥の、式典の会場のほうへ遠ざかっていった。花器の位置を直す、ことりという音。欠伸。扉の閉まる音。
ユノは、机の下から這い出して、いちばん近い端末の前に座った。
画面を起こす。遺族照会。検索欄に、ユノの指が、ためらいなく文字を打ちこんでいく。九か月のあいだ、何十通もの申請書に書きつづけてきた言葉を。
第九避難所。
画面が、切り替わった。
『第九避難所(旧貨物駅)事件
発生 停戦協定発効の四日前 二十三時ごろ
概要 反乱分子による武装蜂起
犠牲者 避難民三百名
加害者 反乱分子 全員死亡
押収物 猟銃 散弾銃 手製の爆発物ほか
関連記録 封印』
猟銃。
その二文字の上で、わたしの目が止まった。
雨の中で、貨車の陰から飛び出してきた、初老の男。震える腕に抱えた、古い猟銃。その銃口が火を噴き、弾は、わたしの頬の横の、ずいぶん遠くを抜けていった。
身体は、それに、どう応えたのだったか。
白く冷たい壁が、そこに立った。
「加害者、反乱分子、全員死亡」
ユノが、低く読み上げた。
「……反乱分子の遺体なんて、一体も、うちの安置所には運ばれてこなかった。運ばれてきたのは、避難していた人たちだけ。子どもと、年寄りと、女の人と」
ユノの指が、画面の下の、犠牲者一覧に触れた。
三百の名前が、流れていった。
わたしの目も、それを追っていた。追いたくなどなかった。けれど、身体の目は、流れていく文字を、一行も取りこぼさなかった。
マリ、六歳。トーヤ、八十一歳。名前のない乳児、推定一歳未満、母親とともに。ハンナ、三十四歳。セツ、九歳。
身体が、数えていた。一。二。三。わたしは、数えるのをやめろと、身体に言った。身体は、やめなかった。百。百一。数字が、名前と一緒に、わたしの中へ、ひとつずつ積み重なっていった。
ユノは、途中で、指を止めなかった。一つひとつの名前を、目で追っているのがわかった。書庫の壁に、自分の手で書き写してきた名前を、一つずつ、確かめるように。
そして、ある一行で、指が止まった。
『イオ 十七歳 第九避難所連絡係
死因 銃創
反乱分子による武装蜂起の犠牲者』
ユノは、長いこと、その三行を見つめていた。
九か月。三十九通。そのどれにも、戦災により消失、としか返ってこなかった記録。その記録は、ここにあった。塔の、いちばん人目につく場所に。嘘と一緒に。
「……反乱分子による、武装蜂起の、犠牲者」
ユノは、画面の文字を、指先で、そっとなぞった。弟の名前の上を。
それから、その指を、握りしめた。
「嘘つき」
ささやくような声だった。
「イオは、反乱分子なんかに殺されてない。……わたし、それを証明する」
ユノは、画面のいちばん下の一行を指さした。
関連記録、封印。
「あの下に、本当のことがある」




