二 四つの寝台
ベッドから、跳ね起きた。
雨はなかった。光も、悲鳴もなかった。
かび臭く、狭い、格納庫のような空間だった。窓はない。二段ベッドが二つ、壁に沿って向かい合わせに置かれている。そのひとつの上段で、俺は、突然目を覚ましたのだった。
ほかの三つのベッドは、無人だった。
どのマットレスも剥き出しで、毛布も枕もない。まるで、はじめから誰も眠っていなかったかのように、平らに、白く、冷えている。部屋の隅の小さな折り畳み机の上に、金属のカップが四つ、伏せて並べてあった。四つとも同じ形で、同じ向きに。
なぜなら――。
昨日までは、確かに存在した。俺の戦友たち。
しかし、いまは存在しない。
この世に、存在しないのだ。
どうしてそれを知っているのか、わからなかった。三人が死ぬところを見た覚えはない。誰かにそう告げられた覚えもない。それでも、俺は知っていた。夜中にふと目を覚まして、隣にあったはずの寝息が聞こえないと気づくときのように。いや、それよりもずっと確かに。身体の奥のどこかに繋がっていた三本の細い糸が、根元から、ぷつりと断ち切られている。そういう感覚だった。
ロクマル。ロクイチ。ロクニ。
俺たちは互いを、番号の下二桁で呼び合っていた。俺は、ロクサンだった。どうして名前で呼ばなかったのか、その理由は思い出せない。ただ、名前がなかった、ということだけを、妙にはっきりと覚えている。
ロクマルは、笑うと鼻の頭に皺を寄せた。
ロクイチは、消灯のあと、決まって同じ旋律を口ずさんだ。歌詞のない、同じところをぐるぐると回る旋律を。
ロクニは、眠るとき、毛布の端を握りしめる癖があった。明日もここに戻ってこられるかな、と、闇の中で誰にともなく訊いた。
覚えている。覚えているはずだ。
それなのに、三人の顔を思い浮かべようとすると、そこだけ磨りガラスがはめこまれたように輪郭が滲む。鼻の皺も、口ずさむ唇も、毛布を握る指も、ばらばらの破片として浮かんでは、ひとつの顔に像を結ぶ前に溶けていく。
ロクマルが、何かを約束しようと言い出した夜があった。四人で、何かを決めよう、と。ロクニが珍しく笑い、ロクイチが旋律を止め、俺は――。
何を、だったか。
思い出そうとすると、頭の芯に冷たい指を押し当てられたように、思考が白く止まった。
俺は、汗だくだった。
室内は、どちらかといえば冷えている。空気は湿って重く、吐く息が白くなってもおかしくないほどだ。それなのに俺は、肌着が肌に貼りつくほど汗にまみれていた。額から垂れてくる汗を、手の甲で乱暴に拭う。
汗は、奇妙なほど冷たかった。
拭い終えた途端、今度は急激な寒気が背骨を駆けのぼった。身体の内側で暴れていた熱が、栓を抜いたように一気に引いていく。俺は歯を食いしばり、足もとの毛布をかき寄せて肩に巻きつけた。四つのベッドの中で、毛布が残っているのは俺のところだけだった。
部屋は薄暗い。天井近くの非常灯が、橙色の弱い光を落としている。どこかの壁の中で、空調が低くうめくように鳴っていた。長いこと止まっていた機械が、無理やり息を吹き返したような音だった。
どのくらいそうしていたのか、わからない。
俺は、目を開けたまま、中空の一点を見つめていたらしい。一秒だったのかもしれないし、一晩だったのかもしれない。時間というものが、俺の中でうまく流れていなかった。昨日と今日のあいだに、継ぎ目がない。三人と過ごした最後の夜と、この目覚めとが、一枚の布のように地続きに縫い合わされている。
気がつくと、ドアの向こうの廊下から、足音が近づいてきていた。
金属的な足音だった。硬く、澄んで、断続的に。こつ、こつ、と一定の間隔で床を打ち、ときおり、何かを確かめるように止まり、また歩き出す。
跳ね起きたときの姿勢のまま、俺は、ドアを見つめていた。




