七 数を数える鼓動
書庫の外で、雨が降りはじめていた。
崩れた階段の上から、雨の音が、遠く、細く、降りてくる。
ユノは長いこと画面の一行を見つめていたが、やがて、端末をわたしの手に押しつけるように返した。
「一緒に行く」
「……どこへ」
「中央記録塔」
わたしは、ユノを見た。
「わたしを、信用するの」
「しない」
即答だった。
「あなたは人を殺した。自分でそう言った。そのうえ、自分の身体のことも、仲間のことも、何ひとつ知らない」
ユノは、画面の二つの文書を指で叩いた。
「でも、あなたは十四日後に処分される。イオの記録も、十四日後に消される。同じ日に、同じ塔で。……偶然だと思う?」
わたしは、答えられなかった。
「だったら、行き先は同じでしょう」
ユノは、名簿の壁を見上げた。
「それに、あなたを番犬に渡したら、記録がまたひとつ消える。……もう、何ひとつ消させない」
ユノは台帳を枕がわりにして、書架に背を預けた。
「呼び方がないと、不便」
目を閉じたまま、ユノが言った。
「番号で呼ぶのは、嫌。ここに運ばれてきた人を、番号で呼んだことは、一度もないから」
「名前は、ない。……仲間には、ロクサンと呼ばれてた」
「それも、番号でしょう」
半分眠りに落ちかけた声だった。
「じゃあ、決めたら教えて」
決める。
その言葉が、胸のどこかに小さく引っかかった。
四人で、何かを決めよう。
ロクマルの声。ロクニの、珍しい笑い声。ふっと止んだ、ロクイチの旋律。そして、わたしは――。
白い壁が、また、そこに立った。
ユノは、すぐに眠った。
わたしは、眠くならなかった。
ポケットの底から、あの徽章を取り出した。黒地に、白い、ひとつきりの目。霧の中で、わたしの目の奥に開いた、もうひとつの目。あれは、誰の目だったのだろう。わたしは徽章を裏返して、ポケットに戻した。
ランプを絞った暗がりの中で、ユノの寝息を聞いた。寝息の下で打つ、ユノの心臓の音を聞いた。
一分間に、七十一。
六十八。七十四。
不揃いな、人間の鼓動だった。ときどき何かに躓くように乱れ、また走り出す。やがてユノは、眠ったまま眉を寄せ、小さく唇を動かした。
イオ。
鼓動が、跳ね上がった。
わたしはジャケットを脱いで、ユノの肩にかけた。考えるより先に、そうしていた。これは、身体がしたことだろうか。それとも、わたしだろうか。
それから、自分の胸に、手を当ててみた。
塞がりかけた脇腹の傷の、少し上。肌着の下で、わたしの心臓が打っていた。
一分間に、六十。
次の一分も、六十。その次の一分も。
ひとつの乱れも、ひとつの躓きもなく、わたしの心臓は、時計のように打っていた。数を数えるように。
軍用の人工臓器、とユノは言った。これが、そうなのだろうか。
イオの写真を、思い浮かべた。
とたんに、鼓動が速くなった。六十四。七十。七十八。まるで、ここは怯えるべきところなのだと、ようやく思い出したかのように。
天井近くの、地上へ抜ける通風口の格子の隙間から、夜空がわずかに覗いていた。雨に滲むその隙間の中で、白い光の環が、ゆっくりと回っていた。
中央記録塔。
わたしの鼓動は、いつの間にか、正確な六十に戻っていた。
膝の上の端末に、目を落とす。ひび割れた画面の隅に、小さく時刻が出ていた。二十一時四十九分。
消去作業の開始は、第三一八日、午前〇時。
あと、十三日と、二時間十一分。
わたしの心臓は、一秒にひとつ打つ。
だから、あと百十三万一千六十回。
この心臓がそれだけ打てば、塔の中の記録は消え、わたしは処分される。
目を閉じると、雨の駅が見えた。硝子の天蓋。白い光。貨車の上に立って、大きく口を開けている少年。その顔は、三人の顔のようには、磨りガラスの向こうに滲んでくれなかった。
あの少年は、何と叫んでいたのだろう。
塔が消そうとしているものと、わたしが思い出そうとしているものは、たぶん、同じものだった。




