第8話 告白
会計という手続きは結局全部ルリアに任せてしまった。お金は渡したし、ルリアの方がこういう場所には慣れてるとはいえ、なんだか全部頼りきりでこれで良いのかなという気はする。まぁ今更なのかもしれないけれど。
思えば、これまでずっとルリアが歩み寄ってきてくれてばかりのような……
「こっちですよ」
ルリアは外に出ることはなく、のれんをくぐり店の奥へと向かってしまう。
そこはどう見てもお客さんの立場の人が来て良い場所じゃない。店員向けというか、店員しか来てはいけない場所というか。
「ちょ、ちょっと。こんなところに来て大丈夫なの?」
「はい。大丈夫ですよ。あ……言ってませんでしたっけ」
「何が?」
「ここ、私のおじいちゃんの店なんです」
「え?」
言ってなかったみたいですね。とルリアは悪戯に笑う。
ということは、ここが彼女がバイトしている家族の店……そう思えば、さっきあまり美味しくないなんて言ってしまったけれど……
あ、危ない。ルリアが寛容な人だから助かったけれど、本当に取り返しのつかない失言になっていたかもしれない。
ルリアは厨房らしき場所を抜けて、座って本を読む男の肩を叩く。その影に隠れて、相手の様子を覗いてみる。
そこには橙色の髪を携えた男。この人がルリアのおじいちゃん……言われてみれば、どことなく雰囲気が似ている、ような?
「おじいちゃん。ただいま」
「あぁ、おかえり。良く帰ったね。そちらはお友達かい? 珍しいねぇ。ルリアが友達を連れてくるなんて」
「あ、そ、その。はじめまして。えっと、ユミって言います」
自分でもわかるほどにたどたどしい。恥ずかしさで、視界が狭まる。
思えば、こういう友達の家に行くというのは初めてで、上手く勝手がわからない。けれど、間違いではなかったようで、ルリアは次の言葉を紡ぐ。
「あの、家にあげてもいいかな。少し話す場所が欲しくて」
「うんうん。どうぞ。ここはルリアのお家なんだから。あ、そうだ。魔神祭の贈り物があるから、あとで渡すよ」
「え、いいの? ありがとう。おじいちゃん、大好き」
「僕もだよ。ルリア」
ちらりと見つけたその人の顔はとても優しげな笑みに見えた。
……こういう表情はあまり似ていないような気もする。ルリアはもう少し……
「ユミさん、行きましょうか」
「あ、うん。えっと、じゃあ、その」
「うん。ゆっくりしていきなさい」
「ありがとうございます」
ぐるぐるする心を抑えながら、ルリアのおじいちゃんに会釈し、赤い髪の後を追う。ルリアはさらに奥の扉を開け、階段を上り、1つの部屋の中へと私を誘う。
「ここが私の部屋です。少し狭いかもですが」
「いや、そんなことは無いけれど……」
部屋はそれなりの大きさだった。少なくとも私の実家の部屋よりは大きい。
促されるままに、その部屋の一角に腰を下ろす。隣には当たり前のようにルリアが座る。いつも通りに。
「……ユミさん。おじいちゃんのこと、どう思いますか?」
「どうって……」
「率直に、でいいですよ」
「ルリアのこと、好きなんだなぁって……」
「……そうですよね」
もしかして性格的には破綻がある人なのかな。
孫を愛しているからといって、孫にとって良いおじいちゃんであるかは別の話だろうし……でも、さっきの様子から見れば、そんなこともないように見えるけれど。
「愛されていると思いますか?」
「まぁ……そうは見えるね」
「ですよね……」
「……違うの?」
「違わないと思います。きっとそうなんでしょう」
……なら、どうしてそんなに悲し気な顔しているんだろう。
そんな疑問は言葉にならず、消えていく。でも、それを感じ取ったかのように、ルリアは言葉を続ける。
「けれど、わかりません。わからないんです。私には」
「わからない?」
「愛されているかどうか、うまく感じ取れないんです。知識としてはわかっています。おじいちゃんが私を愛してくれていることも、私がそれに答えるべきだということも……でも、上手くできないんです。だから取り繕ったような言葉しか選べません」
「取り繕ったようなって……」
あれが?
たしかにルリアの顔は後ろからだったからよく見えなかったけれど……嘘をついているようには見えなかったのに。
いや、多分完全な嘘というわけじゃなくて……きっと、ルリアはおじいちゃんのことを好きではあるのだろうけれど、家族愛というほど強い感情でもない……みたいな感じなのかな。
「味と同じです」
「味?」
「私は、味もよくわかりません。だから、私には好き嫌いはないんです」
……だから、さっきは美味しい味って。
なんだか妙に納得した。カイリイ草を食べても、イーグリアンを食べても同じ表情をしていたが少し引っかかていた。どちらも好きなのかと思っていたけれど……どちらもあまり味がしなかっただけだったらしい。
「それと同じで、よくわからないんです。多分、ずっと感覚が希薄なせいで……何もかも実感がなくて、愛されている実感がないんです。感じ取れないから……」
「感じ取れない……」
私もそうかもしれない。
けれど、軽々しくわかるとは言えなかった。
少なくとも、あのおじいちゃんとルリアの関係ほど、私と親は仲良くはないから。きっと私の親は、そこまで私を愛してはいないだろうし。
「これは私の欠落です。心の欠陥です」
「……そんなこと」
「いいえ。そうなんです。ティナの時もそうでした」
どくんと音を立てる。
少し視界が揺れて、思わず声が震えそうになる。
その名前の子の事を、ずっと聞きたいと思っていたから。
「……し、心中の子?」
「はい……ユミさん。私の告解を聴いてくれますか?」
告解。その言葉はまるで、罪の告白をするかのようで。
ルリアが私の手を握る。
「……うん」
「ティナと出会ったのは10歳の時です。でも、仲良くなったのは13歳の時でした。寮では隣部屋でしたから、よく二人で会っていました。そして、告白されたんです」
「その告白って言うのは……」
「はい。典型的な意味です。好きと言われました。そして付き合うことになり、いつからか彼女は私に愛していると言うようになりました。けれど、私にはよくわからなかったんです。でも、それを隠して、私も同じと言いました。ティナが傷つくと思ったからです」
それはこの前に聞いた話と似ていた。
カナリアという人とルリアが付き合う時も同じような始まりだった気がする。でも、その時はルリアは自分の想いに嘘をついていなかった。けれど、ティナの時は違ったらしい。
そして、ティナはその嘘に気が付かなかった。というより、ルリアが隠すのが上手かったというべきなのか。
「ある日のことです。私はいつものように、旧校舎に行きました。そして、『一緒に死にましょう』……そう言われたんです」
「どうして、そんな」
「ティナは『心が移ろい、いつか互いへの愛が壊れてしまう前に、今のうちに死んで完成し、完結するべき』と言いました。そして『円環の理の先にこそ、私達の世界がある』と……」
……なんだか急に難しくなった。
ティナという子はどうやら言葉が難しい人らしい。
でも、完結するべきという言葉は、少し共感する。小説を書く時も一番気を付けることはそれだし……
「ええっと……魔神教の死生観なのかな」
「いえ、基盤はそうかもしれませんが、大体ティナ独自の物だと思います。けれど、ティナはそう信じているようでした。正直、意味が分かりませんでした。今でもわかりません」
「なら、なんで心中を……」
「許可したのかですか? それは、ティナの愛に応えるべきだと思ったからです。感じ取れない私でも、せめて向き合わなくてはと。だから、ティナがそのような愛の形を求めているのなら、一緒に死んであげないと。そう思いました」
ルリアは少し顔を綻ばせる。
なんというか、曖昧な笑みだった。
「上手く言えません。正直、私もよくわかりません。でも、私は心中を肯定し、私達は海に飛び込んだんです」
「え、でも」
「はい。私は生きてますよ。気づいたら、私は保健室の布団の上でした。それがティナの死亡事故の真実です。事件なんですよ。あれは」
事故ではなく、事件。
心中を、自分達への殺人事件として見るなら、確かに事件なのかもしれない。
「だから、今もまだ死のうと思ってるの?」
「いいえ。たしかにティナのことを思い出すことはあります。けれど、直接の原因ではありません。ティナはもう死んで、いなくなったんです。だからどうしようもありません」
……そうだけれど。
ちょっと、冷たく聞こえた。時折見せるルリアのそういうところは少し恐ろしく……同時に、それを嬉しいなんて。
「けれど、思うんです。ティナは私を愛してくれていました。それは、死ぬほどに。です」
「……そうかもね」
「それなのに、私にはティナの愛がわかりませんでした。そんな人が生きていて良いのでしょうか。そんな人が、孤独から逃れられるのでしょうか。ずっと感覚がうまくわからないまま、ずっとこの疎外感と共に孤立したままなら……消えてしまった方がいいと、そう思ったんです」
ルリアの横顔は、いつもよりも感情に乏しく見えた。
けれど、多分……ルリアは自らの感情に疎いだけで持っていないわけじゃない。鈍感でも、確かに小さく感じているはず。少なくとも、期待感は。
そうじゃないと、こうして私に話すことすらしていないはずなのだから。
「……なんだか世界から切り離されているような感じがします。心が、この世界にはないような」
「だから、心を見つけたいって……」
ルリアが部屋の窓を開く。
外からの冷気が入り込み、肌が少しひんやりとする。まるで、ルリアと手を繋いだ時と同じように。
「ここには雪が降りますよね。一緒に海に入ったのは、雪の積もった日でした」
彼女が私を見つめる。
その瞳はいつになく揺れている。
今にも泣きだしそうに見えた。
「ティナは幸せだったんでしょうか。独りで死んでしまって……私は、空っぽなのに。愛を手に入れられたのでしょうか。」
「彼女の視点ではそうだったんじゃないかな。きっとルリアに愛された人生だったと思うよ」
「そうですか?」
「……私視点でもそうだけれど」
少なくとも好きでもない人と心中はしないだろうし。
……こういう言い方をするのはおかしいのかもしれないけれど、ティナのことが羨ましい。ルリアにそんなに想ってもらえるなんて。
不意にルリアが私に体重を預ける。
彼女の柔らかな身体を、受け止める。長い赤い髪が首に触れ、少しこそばゆい。
「る、ルリア?」
「少しこうしていていいですか?」
「……いいけど」
飛び跳ねそうになる心を押さえつけて、平静を装う。
でも、ばれてしまっているような気がした。
風の音が流れる。
「……そろそろ帰りましょうか」
その言葉で、私達はルリアの部屋を出て、学校への帰路についた。
夕日が私達の影を伸ばす。帰り道は、あまり話をしなかった。
帰ってからも、私の部屋でぼんやりとしていた。正確には日中のことなどなかったかのように、一緒に星を見ていた。宇宙の彼方にある魔力の輝きを見ていた。
長い沈黙と時折漏れる息遣い、そして何故か目が合って、笑ってしまいそうになる。こんなことは初めてだったけれど、何故か気まずくはなくて。なんというか、そうするべきという感じがしていた。
やけに時間が短く感じた。
いつのまにか眠る時間になり、ルリアの手招きに誘われて、布団の中に入る。
最近は、こうして2人で眠ることが当然のことのようになっている。明日からここを離れるけれど、違和感を覚えずに眠れるのかな。多分、大丈夫とは思うけれど……
「今日は嬉しかったです。私と会ってくれて」
「……別に。これぐらい」
いつもしているのに。
けれど、ルリアは首を小さく横に振る。
「いいえ。こうして話を聞いてもらうのは私の夢だったんですから。ティナのことを話せる日が来るなんて思いませんでした」
「話したかったの?」
「……はい。自らの心の欠落を誰かに知っておいてほしかったのだと思います」
どうして、私なの。
喉元まで出かけた言葉を呑みこむ。
その疑問はまだ聞けそうにない。
「手を握ってくれますか?」
ルリアの手が目の前に現れる。
いつもは許可なんて取らずに、私の手を取るのに。
少し疑問に思いながら、手を握る。
安心したように、にこりと笑いルリアの眼が閉じる。
それを見ていれば、私の意識が眠気により弱くなっていく。
……なんだか、一緒にこの世界から消えていくようだった。まるで心中のよう。なんて笑えないことを思う意識を手放した。




