第6話 逃避的な幸せの在り方
「今日は試験勉強をしたんです」
「あぁ……もうすぐだもんね」
魔法学校は、学校らしく試験がある。
15歳から20歳の学年における試験は年に2回。15歳以下は、もっとたくさんあったけれど、気づけばこうなっていた。もちろん、大規模試験が2回というだけで、小規模な試験はいくつかあるけれど。そうおもえば、あまり大差ないかもしれない。
「けれど、難しくて。術式多重性の仕組みと言われても困りますよ」
「あー……それ難しいよね。私もよくわからなかったよ」
「最近の授業は難しくなりすぎですよ」
「まぁねー。でも、ルリアなら大丈夫だと思うよ」
「なんですか、その妙な信頼」
ルリアがやけに綺麗に笑う。白い寝間着も合わせて、魔力光の中の彼女を見ているとなんだか、不思議な感じがする。まだ私はこの感覚が何なのかわかっていない。
もう、こんな風に笑うようになってから3カ月ぐらいが経つ。気づけば、この笑顔を見るのが、好きになっている。
「でも、このまま難しくなるのなら、ユミさんの方が大変ですよね」
「まぁ、そうなる……のかな」
「試験勉強はどれぐらいしているんですか?」
「私は、あんまりやる気が出ないから、やってない」
自分でもわかる程度には、私は曖昧に笑っていた。
これはいつからか私の思考に蔓延る虚無病のせいだということはわかっている。私への期待感がないから、私は努力をしようと思えない。努力というものは、自分へ期待するからこそ行うものなのだから。
「え、大丈夫なんですか?」
「いや、あんまり。毎回、ぎりぎり赤点回避できるぐらいの点数だよ。正直、なんで単位取れてるかもよくわかってないんだよね」
「そうなんですか?」
「んー……まぁ、授業には行ってるし、課題も出しているからじゃないかな」
ルリアが首をことりと傾げる。
それだけでかわいらしいのはずるいような気もする。
「えっと?」
「ほら、この歳になると授業にたまに来ない人とか、課題を出さない人とかいるよね」
「確かにいますね。バイトとか、恋愛とかで休んでいる人は結構見かけます」
「そういう人が試験で頑張っているのは分かるよ。でも、そういう人に単位を出したのに、授業に全部出てて課題も出している私みたいな人に単位を出さないって、難しいんじゃないかな」
あまり詳しい仕組みは知らないけれど、あまり赤点の人を出しすぎると、先生も怒られるみたいだし。だから一応、授業を受けている素振りを見せている私はなんとか耐えきれている。
「だから、まぁ。幸運だからかな」
「勉強したからじゃないんですか? それかユミさんがすごく頭が良いのか」
「……私が頭良いように見える?」
「わかりませんけれど」
ちょっと意地悪な質問だったかもしれない。
ルリアを困らせるだけの。
自虐的すぎた。あまり良くないと思いつつ、自己評価の話になるとそうなってしまう。
「なんていうか課題とかは今時、時間を掛ければなんとかなるけれど、あんまり記憶とか問題解決とかは苦手だから……って、ルリアならわかってるかもだけれど。この前の合同演習でも散々だったし」
「この前の?」
「ほら、拡散術式が上手く編めなくて」
「あぁ……そんなことありましたね」
その言葉に、ほっとする。少し長い息を吐く。
ルリアがあの時のことを気にしていなくて、安心した。
15歳から20歳までの学年が一同に集まる合同演習では、大抵魔法の実践的な使い方を学ぶ。班ごとに課された課題を、魔法を使って何とかするという方式の授業だけれど。
私は毎度、あまり役に立ってない。上の学年の人ほど活躍できないのは当然にしても、下の学年の人よりも全然役に立っていない。一応、使える魔法の数はそれなりなはずなんだけれど、急に使えと言われてもどれを使えばいいのかわからない。毎回、上の人が言った通りの魔法を機械的に使っている。
けれど、この前の合同演習ではそれすらできなかった。それは多分、班の評価を下げることになっただろうし、実際上の学年の人にはちょっと嫌味を言われた。正直、あの日は居心地が悪かった。ルリアの眼も上手く見れなかったぐらいには。
「だからまぁ……うん。試験は好きじゃないかな。緊張するし」
「そうですか?」
「一発勝負ってのがちょっと合わなくて。時間に追われてると、すごくなんていうか、魔力がひりひりするっていうか」
「うーん……よくわからないです」
ルリアは曖昧に笑う。
まぁルリアはそういうのに適性がありそうだし。
実際、合同演習でも優秀な人というか、よく私を、というか班を助けてくれる。これはなんとなく印象だけれど、試験の点数も良いんだろう。
……偏見かもしれない。でも、そういう印象がある。
「緊張ってよくわからないんです。失敗も成功もなるようにしかならないのですから……私達にはどうしようもないことですよ。何も変わらないんですから、どちらでも良いと思いませんか?」
「んー……失敗するのは怖いよ」
ルリアほど私は達観できない。
私はどうして怖いんだろう。失敗したら、どうなるんだろう……
「失敗したら……また失うことになるからかな。私は多分、何も得られないから」
「得られないって、何をですか?」
「何もかも。信頼とか、評価とか、そういうの……多分、私は生まれたときの幸運のおかげでここまで来ているから。だから、失敗したってことは、その幸運が枯れていくってことだから……なんていうか、失敗するたびに終わりが近づいてくる気がして」
「終わり……ですか。死ぬってことですか?」
一瞬、息を詰まらせる。
この前のルリアが心中しようとした話を思い出してしまうから。いつかは聞きたい。けれど、まだ私にはその覚悟ができない。
だから、動揺を悟られないように一瞬目を閉じて、布団にしわができるぐらいには手に力を込める。
「んー……どうなのかな。死ぬって言うよりは、どんどん不味い状況になって、取り返しがつかなくなって……不幸が近づいているって言った方が良いかも」
「不幸……不幸ですか」
結局私が恐れているのは抜け出しようのない不幸な状況に陥ること。
未来に来るであろう不幸への恐れが、今の私の幸福を削っている。
……そう思えば、結果的に私の人生はただ緩やかに坂道を落ちていくようなものでしかない。
「……ユミさんは、どうなれば幸せですか?」
「んー……やっぱり、自分を助けてあげられたらかな」
「この前も言ってましたよね。そのために小説を書いてるって。小説が人気になったら幸せですか?」
「いや……うん。どうなんだろう」
もしも、書いている小説がみんなに認められて、多くの人に読んでもらえたとしても、それは私にとって幸せなことなのかはわからない。きっと嬉しいだろうけれど、幸せかと言われると、首を傾げてしまう。
「多分、この現実によって引き起こされる無数の恐怖から助けてあげられたら、救ってあげられたら、その時に私の心はとても安心できる気がする。それなら、幸せなのかなって」
「安心が、幸せですか?」
「まぁ……わからないけれど」
安心していると、心に余裕ができる気がする。余裕があれば、きっと外の世界を見ることができるみたいな。そんな期待感がある。
いつか、私の心に安心と安寧をもたらすことができれば、どれほどか。
「安心が幸せなんて、そんな話、初めて聞きました」
「そうかな」
結構、ありがちな幸福論だと思うけれど。
同じような理論を小説とかで何度か読んだことがあるし。
「大抵はほら、家族とか恋人とか、友人とか……そういう話になりがちじゃないですか」
「まぁ、そうかもしれないけれど」
「私には家族がいますし、恋人だっていました。友人もです。けれど、幸せを感じられません。だから、おかしいのかと思ってました」
おかしいなんて……そんなことあるわけないのに。
でも、ルリアの横顔は真剣そのもので。彼女には自分の心がおかしいかもしれないという恐怖があるらしい。
「私の心は欠落してて、もうどうにもならないのかもって」
「そんなことないよ」
そんな風に思わなくていいのに。けれど、私がそう言っても、気休め程度の意味もないことはわかっている。でも、言わずにはいられなかった。
「……なら、私でも幸せになれますか?」
「なれる。とは言えないけれど。なってくれたら嬉しいかな」
「曖昧ですね」
「……ごめん」
けれど、私にはこういう答え方しかできない。
私はやっぱりどこまでいっても、意志薄弱だから。
「責めてるわけじゃありませんよ。そういうところも、好きですから」
「えっ」
好き。
そう言われただけで、心がぱちぱちと音を立てて、そしてふわりと浮かび上がるようだった。感じたことのない感覚が私を襲う。
「どうかしましたか?」
「あ、う、うん……えっと。もう寝ようよ」
「そうですね」
ルリアは何事もないように、布団の中に潜る。
……多分、彼女にはなんて事のない言葉だったのだと思う。けれど、私は誰かに好きなんて言われたことがなかったから。だから、多分、とても嬉しくて……
「ユミさん?」
「あ、うん」
遅れて、私も身体を横にする。
そうしてみれば、ルリアの顔が手を伸ばせば届く距離にあって。
なんだか熱っぽいかもしれない。もう寒くなる季節なのに身体が温かい。
「……こうしていると、安心します」
「そっか。それは良かった」
「……ユミさんは、しませんか?」
「んー……どうかな」
安心というよりは、未だに魔力がざわめく。
身体が熱を持って、なんだか変な感じがする。
嫌な感じじゃないけれど、同時に身体も強張るし、安心という感じはしない。
「でも、ルリアが安心できるなら、私も嬉しいよ」
「そうですか……」
「うん。だから、おやすみ」
「……おやすみなさい」
目の前で彼女の瞳が閉じられる。
それに思わず手が伸びそうになった。彼女の綺麗でほのかな赤みを持つ長い髪に触れたいと一瞬思ってしまったから。
「……ぃ」
いやいや。
何を考えているんだろう。
別に恋人でもないのに。
軽く頭を振って、そして目を閉じる。
けれど、ただの衝動は既に心の中で巣食ってしまったようだった。




