第4話 一筋の星明りの下で
かたりと音が流れる。画面に文字が流れる。
多分、私が比較的得意なことはこうして魔導計算機を用いて画面上に文字を浮かび上がらせることな気がする。昔からやってきたおかげか、今こうして課題と向き合っていても文章を書くことには困らない。
それが特に誇れることなのかと言われると首を傾げるけれど。ただ文字を打つのが早くても、結局課題をやる時には考えをまとめたりする時間の方が長いのだから。
「んー……」
腕を伸ばす。
この魔法学校には5歳からずっと通っている。
つまり、この寮部屋にも13年もいることになる。
そう思えば、変な気もする。
でも、こうして夜に扉を気にするのは初めてかもしれない。
そして、今日も扉は叩かれる。
「ユミさん、こんばんは」
扉を開けば、いつものようにルリアがいた。
でも、ちょっと俯いてて、表情は暗い。気がする。
「こんばんは。今日は来ないかと思ってた」
「……どうしてですか?」
「デートって言ってたから、忙しいのかなって」
私も別にそういうものに関して詳しくはないけれど、それがそれなりに長いものであるということは知っているし、場合によっては一緒に眠るようなこともあると聞いたことぐらいはある。
だから、今日はここには来ないかと思っていた。
……来ることを期待していなかったわけじゃないけれど。
「なんでですか。別にデートなんてすぐ終わりますよ」
「そうなの?」
「少なくとも、私とカナリアさんはそうですよ」
そういうものなのかな。
うーん。まぁお互いがそれで良いなら良いけれど……
「どれぐらいの頻度で会ってるの?」
「会うのは……週に3回ぐらいです。部活で会いますから」
「毎日じゃないんだ」
「占星部は、そこまで熱心じゃないんですよ。でも、2人で会うのは週に一度ぐらいですね」
「それが、デート?」
「はい。休日前の日には会おうと言われます」
多分……ルリアから会おうとは言わないんだろう。
そう思えば、ちょっとその恋人に同情してしまう。でも、同時に……なんだか力が抜ける。ほっとしているのかな。
「休日に会おうとは言われないんだ」
「そうですね。今のところは」
「あ、そっか」
まだルリアとその恋人の関係はまだ短いんだった。
18歳になってからだから、そろそろ三カ月ぐらいか。
恋人関係が破局しやすい時期はどれぐらいだっけ。半年だっけ。少なくともまだ安定した関係とは言えない。
それに……正直、ルリアを見ていると続くようには見えないけれど。
「……でも、デートと言っても他の人と遊ぶのと変わりませんよ。ただお茶したりするだけですから。そこまで特別視するようなものでもないと思いますけれど」
「そうなの?」
「多分、違うんでしょうね。普通の人なら。恋人といるのなら、多分特別な思いを得ることができるんでしょう」
「普通の人、ね……」
普通の人というのは存在しているのかな。いわゆる典型的な人から、大なり小なりみんな外れている。
それこそ私から見れば、ルリアだって十分に大衆側に迎合できているように見える……というのは偏見かもしれないけれど。
「……恋ってどんな感覚なのでしょうか」
「私にはわからないけれど……好きの延長線上とは言うよね」
「好きの延長……じゃあ、私はカナリアさんに恋をしているんでしょうか?」
「……好きなら、そうなんじゃないかな」
少し指に力が入る。
ルリアが恋をしていたら。
もしも本当に恋をしてしまったら、もうここには来ないだろうから。
その想像に一瞬息が止まる。視界が暗くなる気がした。
「でも、特別に好きってわけじゃなくて。みんな好きなんです。嫌いじゃなくて。でも、それだけで……」
「……ルリアは恋がしたいの?」
「うーん……わかりません。でも、恋がわかれば、もうちょっと心が掴める気がするんです」
ルリアが自らの裾を強く握る。
しわができそうなぐらい強く。
「それに、恋をしないといけないと思います」
「……しないといけない?」
「はい。カナリアさんは、私のことが好きです。そう言ってました。多分、特別に好きなんだと思います。けれど、そんな彼女に私は……」
恋ができませんでした。
ルリアは消えてしまいそうな声で呟く。
……ちょっと焦りすぎなんじゃないかな。まだ付き合って三カ月程度らしいのに。好きで付き合ったのならともかく、ルリアは好かれて付き合っているのだから。
けれど、そんなに焦って恋をしないといけないと言うのなら……
「やっぱり、告白を断った方が楽だったんじゃないかな」
「どうしてですか?」
「恋をしないといけないって……強迫観念みたいで、辛くないの?」
「……私はしんどくはないです。でも、きっとカナリアさんは悲しみます。それは嫌なんです」
傍から見ていると、やっぱり最初に断っておけばと思ってしまう。
いや、そういうことじゃないのかな。もしかしたら。
「もしかして付き合うことを決めたのも同じ理由なのかな。悲しませたくないから、付き合うことにしたの?」
「……そうかもしれません。でも、私でも恋ができるかもしれないという期待があったのも事実ですから」
ルリアは俯いていて、表情はよく見えない。
ちょっとざわりとする。
「恋ね……恋ってそんなに特別なものでもないらしいけれど」
「そうなんですか?」
「いや、私としては、特別なものであった方がなんていうか……素敵だなと思うけれど……聞いた話ではそうなんだって」
さっきも言ったけれど、と小さく前置きする。
「ただの好きの延長線上みたい。少し好きだなって感情が、大きくなっただけらしいよ」
「……えっと、どれぐらい大きければいいんでしょう?」
「それはわからないけれど。多分、自分で決めて良いものなんじゃないかな」
そう、自分で決めて良いもの。
そして逆に言えば、人には決められないもの。
だから、私にはルリアの恋はわからない。
……私自身の恋も、きっと私にしかわからない。
「その、カナリアさんのこと……嫌いじゃないんだよね。好きではあるんだよね?」
「……はい」
「なら、良いんじゃないかな。それが恋してるってことにしちゃえば」
「でも、特別じゃありません。それならみんなに恋してるってことになります」
「それでも良いんじゃない?」
努めて気軽に言う。
でも、なんだか胸の奥が痛い。とてもよくわからないことをしている。
……何をしているんだっけ。
「ユミさんは恋をしていることにしたほうが良いと思いますか?」
「……私は」
どうだろう。どうなのかな。
手を握り、開いてみる。そこに何かあるわけじゃないけれど。
でも、その感情はまだ私の中に生まれたことは無くて。そして、誰かから与えられたこともない。だからこそ。
「恋はもっと特別で素敵なものだって信じちゃうかも」
……ちょっと恋に恋しすぎかな。
でも、恋をしているレンとサラはとても幸せそうで。悩んでいることもあるけれど、人生を生きているように見える。
だから、私の中の好きという感情の延長とは思えない。もっと輝いているものって、信じている。宗教的かもしれないけれど。
「信じる……」
「……これはずるい言い方だけれど」
「はい」
「ルリアが好きな方を選ぶべきだよ」
「それが、ずるい言い方ですか?」
「うん。すごく逃げてる卑怯な言葉。でも、私は結局ルリアの人生に責任は持てないし、救うこともできない。だから、好きな方を選んで」
ルリアは私を見て、首を傾げる。
瞳の中に私が映っているだけで、なんだか温かくなる。安心して。
でも、同時に身体が震えそうになる。恐怖で。
「……誠実な言葉じゃないですか?」
「そう思いたいなら、それでも良いけれど」
私の言葉にルリアは考えるように自らの髪を撫でる。
この癖を見るのも、もう何度目だろう。
彼女の長い赤い髪。きっと触ったら、ふわりとしているんだろう。
……いつか触ってみたいと言ったら、怒られるのかな。
「うーん……そうですね。別れることにします」
「そっか」
「はい。カナリアさんには悪いことをしましたけれど。でも、私には恋はできないみたいです」
「できないってことは、無いんじゃない? まだこれからかも」
ルリアは曖昧に笑う。
たしかに今の言葉はちょっと適当すぎたかもしれない。でも……なんとなく、そうなることを祈っている。ルリアの心の中にも特別な感情が宿り、それが幸福へと導いてくれることを。
「……私、断るのって苦手なんです」
「どうして?」
「たとえば、遊びに行こうと誘われたときに断れば、誘おうとした相手の心を踏みにじることになります」
あまりよくわからないけれど、心を大事にするルリアらしいかもしれない。ルリアの世界観と言った方がいいのかな。
ちょっと面白い……なんて。
「そうしたら、きっと悲しみます。だから、断りたくないんです。できればみんなの願いを叶えてあげたい」
「まぁできるなら、そうするけれど……できないこともあると思うんだけれど」
「私もできないことは引き受けませんよ?」
「え?」
ルリアの言葉に思わず疑問符を零してしまう。
「でも、付き合うことにしたんだよね」
「それは……できるかどうかわからないことでしたから」
「んー……」
だからできないことではない。そういう理屈らしい。
逆に言えば、さっき恋はできないとわかったから、別れることにしたのかな。
「私は人の心が好きです。その勇気や願いを持って、自らの幸福のために動いている人を見ていると、とても憧れます。私にはないものですから」
それはなんとなくわかる。
私は憧れというよりは、好奇心の方が近いかもしれないけれど。
だから、物語が好きなのかもしれない。
「けれど、結局カナリアさんの想いを砕くことになってしまいました」
「悲しいの?」
「……いいえ。何故か、少し楽になりました。とても酷い人です。私は」
「そうかもね。でも、私はカナリアさんの心より、ルリアの心が楽な方が嬉しいよ」
ちょっと言ってて、声が震えそうになった。
気づかれてはいないだろうけれど。
「私が楽だと、嬉しいんですか?」
「うん」
「なら、足し引き零かもしれませんね。世界の幸福度は」
「そうかな。多分……」
多分、引いてる方が大きいと思う。
カナリアという人の想いが恋なら、私の想いはそれには匹敵しないだろうから。私のは、ただの祈り。あまりにも微かで、弱い想いだから。
「ふ、ふふ」
「ん?」
「ははっ」
不意にルリアが我慢できないとばかりに笑い声をあげる。
「だ、大丈夫?」
「ご、ごめんなさい。なんだかおかしくて」
えー……そんなにおかしいことあったかな。
けれど、ルリアの笑い声は止まらない。廊下にまで聞こえてそうでちょっと怖いぐらいには笑っていた。でも、止めたいとは思わない。
窓から漏れる星明りがルリアの笑顔を照らす。
なぜかそれから目を離せない。
とても綺麗で……きっと忘れられない。
そんな予感がした。




