第3話 ずっと夢見心地
それからルリアは毎日のように私の部屋を訪れた。
合同魔法演習では、いつもと変わらずにルリアとはただの班員に過ぎないのに、夜は一緒に寝ているというのは、なんというか、少しむずむずする。けれど。
今日も扉が叩かれる音を待っている。
「あっ、こんばんはー」
扉を開ければ、ルリアの間延びした声がする。
なんだかこの扉を見る時間が最近は伸びている気がする。放課後から少しふわふわするみたいな。ちょっと期待しすぎかもしれないけれど。
「ユミさんは今日も部屋にいたんですか?」
「うん、まぁ。私は毎日大体そうだよ」
「えー、ずっと同じなんですね。その、飽きないんですか?」
「まぁ、別に散歩とかには出るし、それに」
それに、部屋でしたいこともあるし。
最近はあまり集中できていないけれど。
「ほら、私、あんまり体力ないし。すぐ疲れちゃうから、休憩しているっていうか」
「たしかに……18歳以降の授業は大変ですよね。どういうのがあるんですか?」
「今日は……高次元解釈の課題が大変だったかな」
あの授業の課題は何故か今時、手書きで提出で、いつも計算量が多い。今日も手が黒くなるまで書くことになった。
それに、全然面白くない。高次元の話とかされても眠くなる。魔力を理解するためには必要な授業なんだろうけれど……別に興味ない。というのは、魔法学校にいる私が思っていいことではないかもしれないけれど。
「大変なんですね。すごいです」
「でも、ルリアはその授業の後に色々やってるよね。すごいよ」
「すごくは……なくないですか? 今日もほら、ただ遊びに行っただけですから」
「それができないよ。疲れて、そんなことするほど余裕がないっていうか。それでバイトに行く日もあるんだよね?」
「まぁ……そうかもしれませんが」
「それが体力があるっていうか、すごいと思う」
体力というのは身体的にもそうだけれど、精神的にもそこまで体力があるのは、ちょっとうらやましい。私はいつも、授業終わりにこの部屋に戻ってきたら、すぐに横になってしまうし。本当はもう少し色々やってみたいことがないわけじゃないんだけれど。
「うーん……そうですかね。別に私は、その、適当ですから。力のかけ方の問題だと思いますよ」
「えっと?」
「ほら、その。どこに一日の体力を使うかっていうか。私は多分、全部適当ですけれど、ユミさんは選んで力をかけているからじゃないかなって」
「あー、なる、ほど?」
わからないでもない。
そういう理論に則れば、私の体力のほとんどは放課後に使われている。それだけのために、今は生きていると言っても過言ではないのだから。
……やっぱり、過言かも。
「私から見たら、ちゃんと集中できてるユミさんのこと、すごいって思います。この世界でちゃんと生きいるんですから」
「……そうかな」
流石にちょっと首を傾げる。
ちゃんと生きている、のかな? 私は。
「私から見たらですけれど。でも、他人を見る時ってそんなものじゃないですか? ほら、よく言いますよね。隣の魔力は美しいって」
「まぁ、そうだね。私達、大分恵まれてるよ。こうして魔法学校に通える時点で」
魔法学校に通える財力のある家庭に生まれて、そして入学試験を突破するだけの魔力量や魔力出力があった。そしてこの歳まで生き延びている。この現代社会で死ぬことがそうそうあるのかはわからないけれど、2年前だって事故で亡くなった子もいたし。
だから、こうしていられる時点で、それなりに恵まれていることは、考えればわかる。
「そうですね。そういうこと、考えたこともなかったです」
「そうなの?」
「……じゃあ、なんていうか。やっぱりだめなんでしょうか。こんなに恵まれてるのに、消えたいなんて思ってしまったら」
「どうかな。私にはわからないけれど」
だめなのか、それとも良いのか、そんなことは分からない。
少なくともこの国の法律では罪には問われないはずだけれど、魔神教の教義ではどうだっけ。もしかしたらだめかもしれない。
でも、私にはわからない。私は裁定者じゃない。
けれど、わかることもある。
「でも、恵まれているかどうかと悩んでいるかどうかは別の問題じゃない?」
「……えっと、悩んでるんですか?」
「あ、違った? てっきりそうなのかと思ってた」
ルリアは一瞬、呆ける。
けれど、すぐに何かに気づいたように目を伏せて、いつものように髪を梳く。どうやら、自身の髪を梳くのは癖らしい。つられるように私も自分の髪を撫でてしまう。
模倣、みたいな。ちょっと影響を受けやすすぎるかもしれないけれど。
「……そうかもしれません。そっか。私悩んでるですね……へぇ……」
「へぇって……」
「なんか意外で。私って、悩むんですね」
……それはどっちかと言えば、私の台詞だけれど。
まぁ、でもこれだけ話していると意外でもない。意外なのは、そのことに気づいていないことというか。
「ルリアって、鈍感なの?」
「そ、そうですか?」
「うん。自分の事なのに」
「……ユミさんは、自分の事わかってるんですか?」
「わからない。わかるわけない。けれど、ルリアは分かってると思ってた」
単純にそういう印象があった。
少なくとも私よりは自分への理解度が高いだろうと思っていた。
けれど、ルリアは心底わからないという風に首を傾げる。その姿はとても……綺麗で。
「どうしてですか?」
「だって、ルリアは……なんていうか。明るいし……ごめん。これも偏見かも。定型的視点って言うか」
思えば、あまり笑っていないルリアの表情は、この部屋でしか見たことがないかもしれない。教室ではいつも何かしら表情を浮かべている気がする。
……もしかして、つまらないのかな。
「謝らないでください。でもそうですね。私もそうですけれど、人の事を理解するのって難しいと思います。だから表面だけで決めつけちゃうのかもしれません。多分……楽だからですかね」
「まぁ心の内なんて、誰にもわからないよね」
「……そうですね」
「だからきっと自分自身にもわからなくても、おかしくないよ」
「でも、普通の人はわかってるみたいなんです。何が好きで、何が嫌いか。自分がどうしたいのか。全部わかってて、それがとても……寂しいんです」
「……それは、きっとみんな分かった気になってるだけなんじゃないかな。自分の事も、全部。心の全てを理解するのって、それぐらい難しいと思う」
もしかしたらそうじゃないのかもしれないけれど。
みんなは自分の心のことは完全に理解していて、心がどう思っているのかわからなくなって、迷路の中にいるような感覚にみまわれることなんかないのかもしれないけれど。
でも、私の世界観では心は誰にもわからない。そういうふうになっている。少なくとも今のところは。
「心って、何なのでしょうか」
ルリアがことりと首を捻る。
けれど、その答えは私の中には無くて。
あまりにもつまらない答えを返す。
「……生物学的には、魔力が生み出す情報処理機能とかになるのかな」
「魔力自体が心っていうのは、もう証明されたんでしたっけ?」
「証明されたっていうか……魔力が思考しているから、そういう風に思われているっていうか」
心の在処。ちょっと髪の毛先を手の中で弄り、考えてみる。
私の場合は、きっとあの世界の中に在る。
少なくともここじゃない。ここに心が在るにしては、あまりにも私はこの現実を生きてなさ過ぎる。
ルリアは……ここ以外のどこかにあるということしかわかっていないのかもしれない。
「ルリアは、心がどこにあるのか、知りたいの?」
「……わかりません。知りたいかもしれません」
「それは、困ってるの?」
ルリアは私の問いに曖昧に笑う。
それはいつも通りの定型的な笑みで。
綺麗だけれど、同時にちょっと怖くもある。
「どうなんでしょうか。ずっと自分の心がよくわからないんです。ずっとふわふわしてて、半分眠っているような感覚が付きまとうっていうか」
「夢見心地?」
「……多分そうです。そのせいであんまり視界に現実感がなくて、ぽわぽわしてて、曖昧な泡の中にずっといるような……上手く言えません」
ルリアの目線が私を捉える。
青い瞳の中に私がいて、それがなんだかとても。
……上手く言えない。
ぐるりとする。
「ユミさんも、同じですか?」
「……えっと、どうなのかな。心がわからないのがなんでかなんて、考えたことなかったから」
「そうなんですか?」
「んー……まぁ、言われてみたら、不思議だけれど。そういう割り切りっていうか、心の決めつけ? みたいなことが、私にはできなかったから。すごいなーとしか思ってなかったかも」
これは諦観なのかもしれない。
最初から、彼らのようにはなれないということを受容した結果なのかも。
「それに……私もやりたいことぐらいあるよ」
「……あ、そうなんですね」
「うん……意外?」
「ううん。でも、そうなんですね。それなら良かったです」
……聞かれない。それが何なのか。やりたいことがなにか。
力が抜ける。なんだか身構えていたのが馬鹿らしい。笑ってしまいそうになる。ルリアは私のことに興味があると思い込んでいたのが、とても滑稽で。
でも同時に、ちょっと安心した。そこまで踏み込まれることは、想像するだけで身震いする。
「ルリアは、何がしたいのかわからないの?」
「……はい」
「いつもどこかに遊びに行ったりしてるのに?」
「あれは……行きたいって言われるから、それで」
「他にも、ほら、バイトとかもしてるのに。それはやりたいからやってことなのかと思ってた」
「……そこまで考えてません。ただみんなやってて、おばあちゃんにもやってみたらと言われたから……それで、やったほうがいいかなって思っただけですから。意志じゃありません」
「……そっか」
やったみたほうが良いかなと思うのは意志のような気もするけれど。
多分、ルリアが言いたいのは反応として出る受動的な意志のことではなく、自発的な意志のことだろう。けれど、それは、究極的には存在しないものなのに。
「ごめんなさい。困らせてるだけですよね」
「ううん。なんていうか……いつか心の形を捉えられると良いね」
「……できるでしょうか。私にも、何か望みを持つことが」
その言葉に何て答えればいいかわからなかった。
結局、自発的な意志を持ったとしても、この世界にいる時点で、何から影響を受けた受動的な反応であることには違いないのだから、ルリアの言う意志を持つことができるとは思えない。
でも……
「わからない。できないかもしれない。私にはなにもできないし、何もわからないけれど……でも、ルリアに幸運があることを祈ってる」
「……ありがとうございます」
……間違っていたかな。
言葉は難しい。私には上手く扱えない。
ルリアを横目で盗み見る。表情は長い髪に隠れて上手く読み取れない。
「んー……」
不意にルリアが身体を伸ばす。
「もうこんな時間ですね。話していると時間が早く感じます」
……そうかもしれない。
今日もこの夜の時間をルリアと過ごしてしまった。
それが悪いこととは思えないけれど……でも、ちょっと後悔が残る。今日もほとんど書かずに終わってしまう。最近、あまりできていない。これまでは寝る前のこの時間に、書き進めることが多かったから。
それなのに、どうしてまだ話していたいと思ってるのかな。
「もう寝ましょうか」
「……うん」
心に目を背けて、頷く。
流石に明日のことを考えれば、もう寝た方が良い。それぐらいのことはわかる。
2人で同じ布団の中に寝転がる。
この瞬間はまだ緊張する。彼女の顔がとても近くて、ほのかな赤髪の色彩が目に飛び込んでくるから。
断じて、どきどきしているとかじゃない。多分。
「今日もありがとうございます。こうやって、一緒に寝てくれて」
「……別に。これぐらいいいけれど。結局、恋人さんは大丈夫だったの?」
「うーん……大丈夫ですよ。だめって言われましたけれど」
「え? じゃ、じゃあだめだよ」
「いいんです。なら別れるって言ったら、良いって言われましたから」
……えーっと。
それはとても良くないような気がするんだけれど。
本当に大丈夫なのかな。
「ね、ユミさん」
「ん、なに?」
「ユミさんといると、私の心を見つけてあげられそうです」
思わずふわりとする。その声はあまりにも、なんていうか……穏やかで。
ルリアから聞いたことのない声だった。普段から穏やかな声をしているけれど、その言葉はあまりにも、私の中にするりと入ってくる。
だからこそ、余計に言葉の意味がわからなくて。
「な、え、ど、どういう意味?」
けれど、ルリアは何も答えずいつかと同じようにいたずらっぽい笑みを浮かべ、目を閉じる。
「おやすみなさい」
「ぇ……」
気になる。
どういう意味だったんだろう。
……まぁ、考えても仕方ない。
眼を閉じたルリアに背を向ける。
流石に彼女の顔を見ていると寝られない。なんていうか見られている気がして、身体が強張る。
まぁ背を向けていても視線を感じるけれど。それもあってか最近の夜は少し眠りづらい。
ルリアのせいでそわそわする。けれど、不快なわけじゃない。
それがなんだかおかしくて、笑ってしまいそうになる。
きっと今日も、ルリアが夢にでてくる。
そんな期待と共に目を閉じた。




