第2話 世界が大人になっていく
夜にまたしても扉が叩かれる。
文字の並んだ画面を閉じて、扉を開けば、昨日と同じようにルリアがそこにはいた。
「今日も?」
「……迷惑ですか?」
一瞬、考えてみる。
昨日の夜の時間のことを。
「そんなことはないけれど」
「それなら良かったです」
ルリアが笑みを浮かべる
なんだか昨日より、彼女の姿がこの部屋に合っている気がする。別に昨日と髪型も寝間着も同じなんだけれど……なんでだろう。雰囲気の問題なのかな?
「……えっと、今日は何?」
「うーん。用がないとだめですか?」
「だめってことはないけれど。何かあるのかなって」
ルリアはちょっと考えるように袖を頬に当てる。
それだけで、なんだかふわりとする。
「ま、そうですね……なんていうか、昨日と同じです。独りで眠れなくて、来てみただけです」
「……そっか」
ルリアも昨日は眠れたらしい。それは良かった。
私も意外とすんなりと眠れた。誰かと一緒に寝るのなんて、多分幼少期に親と寝た以来だったけれど、割と気にせずに眠れるらしい。
「そういえばユミさんは今日、何か予定でもあったのですか?」
「何もないけれど。どうして?」
「授業終わってから、今日はすぐ帰っていましたよね。見かけましたよ」
「いつもそうだよ。別に教室に残ってても用はないし、この部屋の方が落ち着くから。それだけ」
それにここじゃないとできないこともあるし。
一瞬、悩んでそれを口にしないことを決める。
大したことじゃないけれど、私にとっては大したことだし。
「どこかに出かけたりはしないんですか? 喫茶店とか、服屋とか、教会とか、そういうところに行く人は多いですよね」
「まぁ、お金がなくて。散歩とかは行くけれど」
「バイトとかで稼ごうとはしないんですか?」
「……そこまでして、やりたいこともないし」
曖昧に頷いてみる。
それにそんなことをしている疲れる。
ただでさえ最近は学校の課題も多いのに、加えて働いていたら、私の体力が持つわけがない。別に支出も多いわけじゃないんだから、今のままで良い。現状維持を望みすぎかもだけれど。
「ふーん……」
「ルリアはしてるの?」
「喫茶店のお手伝いをしてます」
「へー……すごいね」
「家族のやってる店ですからね。全然、気楽ですよ」
……どうなんだろう。
結局は労働なんだから、それなりに大変なんじゃないかと思うんだけれど。私には働いたことがないからわからないけれど。
「でも、お金を稼いで何をしてるの?」
「うーん、大体遊びに行ったりとかしてますね」
なんとなくそんな印象はある。
わかっていたけれど。でも、腕を組んでしまう。
なんだか別世界の人のように感じるから。
「ユミさんは誰かと遊びに行くとかもしないんですか?」
「そうだね。あんまりしないかな」
「友達がいないわけじゃ、ないですよね? よく話してる人いますよね」
「あー……」
多分、サラとレンのことかな?
確かに彼らは友達と言えるのだろうけれど。
「遊びに行くなら、彼らだけで行くんじゃないかな」
「……えっと、それはどうしてですか?」
うーん。理由はなんとなくわかるけれど、話していいんだっけ。
隠しているわけじゃなさそうだし……まぁいっか。
「あの子達は、付き合ってるみたいだから」
「あ、そうなんですね」
「元々、幼馴染みたいで」
「ふーん……最近、そういうの増えましたよね」
「そうかな。昔からあったような気がするけれど」
「いや、明らかに増えましたよ。恋人ができて、みたいな人。それも真剣に」
そうなのかな。
確かに言われてみると、そんな気はする。
これぐらいの歳になれば、恋人の1人や2人ぐらいは作ってて当然みたいな意見も、よく見かけるし。なんなら、恋人を作ったことがないのは、人として欠陥があるとまで書かれていた気がする。
……私に限れば、それは否定しづらいんだけれど。
「……そういえば、ルリアは?」
「まぁ、いますよ」
「え、そうなんだ」
「意外ですか?」
「あ、そうじゃなくて……」
ルリアも恋人とかいるんだ……そう思うと変な感じがする。
なんとなく、いないと思っていた。冷静に考えれば、恋人がいる可能性の方が高そうな人なのに。
「それより、えっと……なんで?」
「珍しい問いですね。大体、誰? って聞かれますよ」
「どうせ誰か聞いても私にはわからないし……こういう時は、誰より、何故好きなのか聞いた方が良いかなって」
その方が、私の好奇心としては満たされる。
人への解像度が上がると、役に立つことも多いし。
「うーん、なんでなのでしょうか」
ルリアが自らの手を合わせる。
細い指先がひゅるりと髪の動きに合わせて揺れる。
その様子を見れば、どうやらルリア自身にもよくわかっていないらしい。
「ていうか、いいの?」
「えっと、何がですか?」
「恋人がいるのに、こんな風に私の部屋に来て。浮気だと思われない?」
「……あの、あんまり恋人とかいたことなくて、よくわからないんですけれど……もしかして、だめなんでしょうか?」
「多分……?」
私も、恋とかしたことないけれど、あまり良くない気はする。
実際に浮気になっているのかと言われれば、別に話しているだけだからそんなことはない……と思うんだけれど。でも、こんな風に2人でいるのは結構怪しいというか。疑われる気はする。
……もし私が、ルリアの恋人だったら絶対嫌だし。
「うーん……また今度聞いてみます」
「え。相手の人に直接?」
「はい」
えぇ……それは、なんというか。
私としては、ちょっと身震いするというか。
「……あの、あんまり私の名前は出さないで欲しいって言うか」
「わかってますよ。別に巻き込みたいわけじゃないですし」
……まぁ、それならいいのかな。
よくわからない人の恋路で恨まれたくはない。そういう感情とは無縁の生活でいるというのはそれなりの目標ではあるのだから。
「連絡してみました。まぁ返信は明日だと思いますけれど」
「……多分、だめって言われると思うよ」
「そうですかね?」
「多分ね。そうなったら、えっと……どうするの?」
もうここには来ないの?
そう聞いた方が良かったのかもしれないけれど、それは言葉にはできなかった。それに、それが聞くことができる立場なのかもわからない。
「ま、まぁでも。私じゃなくても、その……恋人さんと一緒に寝れば大丈夫だよね。というか、その方が良いと思うし」
最初からそうしてくれればよかったのに。
その言葉が喉元まで出かけた。胸のあたりがきゅるると音を鳴らす。
「うーん……それはちょっと。あの人じゃだめですよ」
「え」
「だから、今日もユミさんに会いに来たんですから」
感覚がふわりとする。魔力が跳ねる。
照れる。そんな直球で。そんなに嬉しいことを言われたら。
でも、同時にわからない。
「ど、どうして? 恋人なんだよね?」
「そうですけれど……私の場合は、恋人って言っても、私が恋しているわけじゃないですし」
「……えっと?」
「先輩に好きって言われたんです。それで、付き合ってみてるんですけれど、私としては好きとは違うと思うんです」
ルリアが自らの髪を梳く。
その横顔は恋人のことを語る人とは思えない表情をしていて、なんというか、ちょっとぎょっとする。
「あ、いや。そうじゃなくて。なんていうか、嫌いなわけじゃないですよ。元々、先輩としては良い人だと思ってましたから……でも、ほら、恋っていうのはよくわからなくて」
「へー……」
ルリアでもそんなことを……
なんというか、これも意外な気がする。
「ユミさんは? 恋とかわかりますか?」
「全然。誰とも付き合ったことないし、好きになったこともないし」
「じゃあ、おんなじですね」
隣でルリアがほっとしたように息を吐く。
その横顔は小さく笑っているように見えた。
ルリアとこんな感情で共感できるなんて。
不思議な感じ。
「その、恋人さん? はルリアがそう思っているのは知ってるの?」
「それは、はい。そうです。告白されたときに、そう言ったんですけれど」
「それでも、付き合いたいって言われたんだ」
「そうですね。付き合っているうちに好きになるかもって言われました」
それで付き合うことにしたらしい。
それは……どうなんだろう。確かに恋の始まりというものはよくわからないけれど、そういう時に付き合うのはちょっと軽率のような気もしてしまうけれど。
「結局まだ好きにはなっていないんですけれど。告白されると意識するみたいな話は聞いたことがあったんですけれどね」
あー……
確かにそれなら聞いたことがある。好きだと言われると、その人を好きになりやすいみたいな。返報性の原理だっけ。
「付き合って、どれぐらい?」
「新年ですね。歳をとるときです」
それなら、二カ月も経ってない。
なんていうか、思ったよりも。
「随分と最近だね」
「そうですね。先輩が18歳になるっていうのが、大きかったみたいです」
「あー……一応節目ではあるのかな」
18歳になると卒業するか、魔法学校に残るか選ばないといけない。その卒業式もあった。実際、私の知り合いも何人か卒業していった。
けれど、私は残ることを選んだ。選んだというか……卒業して社会に出ることから逃げた。まだ何も考えていない。よくわからなくて。
一応、5歳にここに来てから、これまで魔法を学んできたのに、私の中には何もない。やりたいことも、できることも、したいことも。
「うーん……それもあんまりよくわからないんですよね。18歳になったって言っても、別にただ年を跨いだだけですよね。それに新年の日だって、ただの1日なのに。そんなに特別視することなのでしょうか」
言いたいことはわからないでもないけれど。
同級生が卒業するというのはそれなりに大きな事のような気もする。
「別れの日が来ることなんて……それこそ卒業式とかが来るのは、最初から分かってることですよね。それなのに、どうして最後だけ特別にしようとするのかよくわからないんです。それなら最初から特別に、大切な日にしておくべきじゃないですか?」
「まぁね……ルリアはそういうの好きなのかと思ってた。偏見だけれど」
ルリアが少し頬を緩ませる。
なんとなく、彼女の表情は柔和だけれど、同時にどこか違和感がある。
それがなんなのか、今は分からないけれど……
「本当に偏見ですね。でも、別に私も卒業式が嫌いなわけじゃないんです。単によくわからないだけで」
「好きでも嫌いでもないか……そういう意味では私は嫌いかも。そういう特別な日って」
「そうなんですか?」
少し体制を整える。ちょっと足が痛い。
それに眠たくなってきた。髪を撫でてみる。
「まぁ、あんまり騒がしいのは好きじゃないし。だから、嫌いっていうか、苦手? そういう儀式的な日は向いていないっていうか」
「儀式的な日ですか……たしかにユミさんは嫌いそうです」
そう言って、ルリアはくすりと笑う。
……また、ちょっと変な感じ。
「もう結構な時間ですね。そろそろ寝ましょうよ?」
「……うん」
「なんか私ばかり話してしまいましたね」
「そうかな」
「そうですよ。もっとユミさんの話も聞きたいです」
「……また、今度ね」
明日ねとは言えないらしい。
あまり自信がないというか。
そこまでルリアに期待してはいない。
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
くるりと布団をかぶる。
彼女に背を向けて、目を閉じる。
どこか背中に視線を感じる。気のせいだと思うけれど。
「……ぁ」
小さく息が漏れる。
……同じ。
ルリアは私と同じで恋をしていないと言っていたけれど。
私からみれば、彼女は十分に恋路の中にいる。だって、誰かに好きと言ってもらえたのだし。それなら欠落してはいないのだから。
やっぱりみんな恋をするものなのかな。
あんまりわからないけれど。




