第1話 自己世界の破滅願望
ひんやりとする深い夜に扉がこんこんと音を立てる。
「……はーい」
眠気で目を擦りながら身体を起こして扉を開けてみれば、そこには小柄で長い赤い髪を携えたルリアがいた。すらりとした白い寝間着を着て。
なんだか私のやぼったい寝間着がちょっと恥ずかしいというか。場違いのように感じる。いや、私の部屋なんだけれどね。
「ユミさん、こんな時間にごめんなさい。今、少し話してもいいですか?」
「……どうかしたの?」
少し警戒心が湧き立つ。
ルリアは合同魔法演習で同じ班の、私よりひとつ下の陽気な子。けれど、それぐらいしか知らない。あまり話したことが多いわけじゃない。そんな人がどうしてここに来たのかよくわからない。
「今じゃないとだめ?」
薄っすらと拒絶してみる。
いや、この部屋に来ること自体は同じ寮だからできるだろうけれど、消灯時刻はとっくにすぎてる。私だって、もう寝るつもりだったし。だからよくわからない。
でも、ルリアは願うように私の手を握る。ひんやりとした感覚が掌を包み、思わず飛び跳ねそうになる。
「お願いします。少しで良いですから。話を聞いてくれませんか?」
「……えっと、じゃあなに?」
少しひんやりとしている手に握られていると、心のどこかが音を鳴らす。
警鐘かもしれない。それとも、別の何かか。
単純に緊張しているだけかもしれない。
それを隠しつつ、ルリアの言葉を待つ。
「あの、こんなこと言うのはおかしいってわかってるんですけれど」
「うん」
「あの……その……」
ルリアは言葉を詰まらせる。
……早く要件を済ませて欲しいと思うのは薄情すぎるかな。けれど、こんなところを見れば、怒られるだろうし。いや、この寮の規則はそこまで厳しくはないし、多少注意されるだけで済むかもしれないけれど。
でも、あまり好ましい体験じゃないことは想像しなくてもわかる。
ルリアはちらりと私を見て、少し俯きながら、言葉を紡ぐ。
多分考えた結果として選ばれた、とても単純な言葉を。
「私、すごく死にたいんです」
「……え?」
言葉の意味が一瞬わからなかった。
死にたい? 死にたいって言ったの?
ルリアみたいな人から出る言葉としては、意外で。
なんと言えばいいのかわからない。
「あー……とりあえず中で話す?」
考えてもよくわからなかった。けれど、話が長くなりそうなことはわかる。
だから、手招きしてみれば、にこりとルリアが笑みを浮かべる。彼女が笑っているところは演習の時にはよく見かけるけれど、こうして正面から見てみれば、ちょっと不思議な感じがする。不気味という言い方でもいいかもしれない。
この魔法学校の寮の一室はあまり大きくない。けれど、最低限の物ぐらいはある。それこそ2人が座れる場所ぐらいは。私は布団の上で、彼女は椅子だけれど。
一応、私が部屋主なのにと思わないでもないけれど、布団の上に座ってもらうのも気まずいし。
「それで、えっと……」
「その急にごめんなさい」
「いや、まぁ、いいんだけれど。えっと、どういうこと?」
「わからないんです。ただ上手く眠れなくて。なんだか死にたくて。どうしたらいいのかわからないんです」
ルリアは言葉とは裏腹にすごく穏やかで。
なんだかつかみづらい。でも、冗談という感じでもない。
「あー……っと、そうだね……」
どうなんだろう。
眠れなくて、死にたい。そういう感覚は覚えがある。
でも、そういう日がルリアにあるのは不思議な感じがする。そういう暗いだけの感情とは無縁そうなのに。まぁ、そういう風に言えるほどルリアのことを知らないけれど。
「理由とかはあるの? そういうふうに思う理由」
「えっと、なんていうか疎外感があって……あっ、別にそんなのはいつものことなんですけれど、今日はちょっと酷くて……だからえっと、ぼんやりと死んでしまえたら、みたいな……」
「疎外感って……」
「私らしくないですか?」
「まぁ……そうかな」
ルリアとはもう3年ぐらい同じ班だけれど、彼女は明るいし班員とも上手くやっているように見える。疎外感なんて感じるような立場のようには見えない。その評価はとても典型的過ぎるかもしれないけれど。
まぁ、表層以外の面を知るには、あまりにも関係値が薄いのだから当然だけれど。今も関係値は薄いままなはずなのに、何故か別の面を知っているから、不思議な感じがするのかもしれない。
「……やっぱり死にたいってのは、おかしいですか?」
「おかしくはないんじゃないかな」
「そうですか?」
「うん。そこまで珍しい感情でもないよ」
多分だけれどね。
死にたいって思う日ぐらい、いくらでもある気がする。ちょっとしたことがあった日でも、大したことがあった日でも。
だから、そこまで深刻に捉えるものかと言われると首を傾げる。というか、深刻に捉えても仕方ないというべきかも。
死にたいと願う人のことを何とかできると思えるほど、私は私に期待していないし。
「……ユミさんもあるんですか? こういう風に思うこと」
「まぁ、あるにはあるかな。死にたいって言うか、消えたいの方が近いかもだけれど」
死にたいというのは、私にはちょっと直接的過ぎるというか。
単純に私が死ぬ想像が上手くできない。刺殺も絞殺も飛び降りも、もしくは魔物にやられて死ぬのも、想像はできるけれど、ちょっと現実感がないし。だから、消えてしまいたいと思うのかな。
消える想像ができるのかと言われると、そういうわけじゃないけれど。
「消えたい……確かにそっちの方が近いかもしれないです」
「あの、どうして疎外感を感じるの?」
私から聴いていいことなのかわからないけれど、我慢できなかった。
好奇心は天使を落とすとも言うけれど、気になる。人の思想というか、そういうものは。
「あ、いや。話したくないなら、別に話さなくてもいいんだけれど。少し気になって」
「……私の事、気になりますか?」
「まぁ……人の話を聞くのは、なんていうか、面白いっていうか」
あ、この言い方でいいんだっけ。
今のはルリアの死にたいという感情を、面白いと言うと誤解されるような言い方になったような。
「あ、そうじゃなくて。馬鹿にしてるわけじゃなくて、単純に興味深いっていうか」
……うん?
これはこれで、ちょっと失礼なのかな?
少し誤解を生みそうで焦る。別に嫌われたいわけじゃない。
「わかってますよ。別に気にしてません」
「そ、そっか。それならいいんだけれど」
「私こそ、ごめんなさい。急に夜中にこんな話をしてしまって」
「ううん。私も、だからえっと、面白いと思って聞いてるから」
逆にルリアはこれでいいのかな。私が聞き手で。
特に気の利いたことは何も言えてないけれど……
「えっと、どうして疎外感を感じるか、ですよね」
こうして話してくれているから、別にいいのかな。
大体、どうして私なんだろう。どうして私に話しているのかな。
長い髪の毛先を弄るルリアを見ても、その心の内まではわからない。
「なんか……みんな色々なことをわかっているからかもしれません。何もかも知っているような感じがして、なんていうか、まだ私だけが何も知らないみたいで」
「あぁ……」
わかる。
と気軽に言うわけもいかないんだけれど。
でも、そういう感覚には覚えがある。15歳ぐらいからかな。その頃から、急激に周りの人が大人になっていって、私だけが取り残されているという感覚はある。
私としてはルリアもその大人になっている人の1人に見えたんだけれど……
「でも、そうなんですね……みんなこんな想いになるんですね」
「そうだと思うよ。別におかしいことじゃないと思う」
「なら、みんなこんな想いを抱えて寝てるんですか? なんていうか、ざわざわして全然眠れないんですけれど」
「んー……なにか安心できるものと一緒に寝るのがいいって聞いたことあるけれど」
「例えば、どういうものですか?」
「抱き枕みたいな。ほら、子供の頃から一緒に寝てるぬいぐるみとかあると眠りやすいみたいな感じじゃないかな」
「……うーん。そういうのは持ってないんですよね」
「えっと、あとは、安心できる誰かと一緒に寝るとか。そうすれば怖くない、とは聞いたことあるけれど……」
いや、ルリア別に怖くて眠れないわけじゃないのか。
何言ってるんだろう。こういう適当に知識を言葉にしてしまうのを、会話だと思い込んでいるのは何とかしたほうが良いと気づいてはいるんだけれど。
「えっと、だからね。まぁ、寂しくないようにしたら、眠れるんじゃないかな。ほら、疎外感って、孤独感みたいだし」
「なるほどー……ユミさんは詳しいですね」
「いやー……」
そういうわけじゃないんだけれど。
これは単純に、どういう時間の使い方をしてきたかという話でしかない。私は暇なときに豆知識本みたいなのを読んでいた弊害で。代わりに、色々な人生経験を取りこぼしてきているから、それを褒められてもどういう顔をすればいいかわからない。
まぁ一応、他にしていることもあるけれど。現状特段意味はないし。これからも意味を持つかもよくわからないし。
「じゃあ……」
ルリアが私を見つめる。
椅子から立ち上がり、天井の魔力光が後光のように射す。
「ユミさんが一緒に寝てくれますか?」
「……は?」
「だめですか?」
ルリアは首をことりと傾げる。
なんとなくそれだけでも絵になる。長い赤髪が綺麗だからかな。
いやいや。そうじゃなくて。
一緒に寝るって、え?
視界がぱちぱちとする。
「だ、だめっていうか……何で私?」
「だってユミさんが誰かと一緒に寝たらって」
「それはだから、その、安心できる人とって」
そう言ったはずなんだけれど。
その条件でどうして私になるのかよくわからない。
けれど、ルリアはちょっと考えるように自らの髪を梳いてから、私の隣に座る。私の布団の上に。
「……うーん。ユミさんが良いと思うんですけれど」
「えー……」
「どうしても、だめですか?」
「……まぁ、いいけれど」
あれ、いいんだっけ?
もういいって口にしちゃったけれど。
でも、友達と寝たことなんてないのに。ルリアなんて、それこそ友達なのかも怪しぐらいなのに。後輩みたいな言い方が近いのかな。
「ありがとうございます」
「う、うんまぁ。どういたしまして?」
困惑の中、そう言った頃にはルリアは私の布団の中で横になっていた。
少し緊張する。寝るって、おかしな意味じゃないことはわかっているけれど、それでも、緊張する。
ルリアは気にしないのかな、そういうの。
別に私達、恋人でもなんでもないのに。それどころか、授業以外では話したこともあまりないのに。
「寝ないんですか?」
……その問いの声はあまりにも純粋で。
なんだか気にしてる私が馬鹿みたいだった。
意を決して私も身体を横にする。
布団の大きさは2人が入ってもそれなりに余裕があるけれど、やっぱりちょっと変な感じがする。でも、そこまで嫌な感じでもない。意外と。
安心するとまでは行かないけれど……
「おやすみなさい」
「あ、うん。おやすみ……」
というか、今更だけれど怒られたりしないよね?
消灯時間後に自分の部屋にいない人がいるわけだし、規則的には怒られてもおかしくはないけれど、これぐらいのことはみんなやってるわけだし……それこそ見せしめにでもならない限り怒られないはず。
いやいや、それよりも。
私には疑問がある。それを解消しないと、眠れそうにない。
「ルリア、起きてる?」
意を決して、囁くように問いかける。
するとゆっくりと彼女の眼が開く。
「どうかしましたか?」
「えっと、少し気になって」
こんなことを聞く必要があるとは思えないけれど。
でも、私の好奇心は止まらない。
「どうして私だったの?」
別に嫌というわけではなかったけれど、ルリアには私よりも仲の良い友人がたくさんいるはずなのに。どうしてただ同じ班というだけの私にこんな話をしたのかわからない。
「うーん……」
ルリアは一瞬悩むように目を伏せて、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべる。
少しどきりとした。こんな顔をするなんて。
「ユミさんなら、他人事だと思ってくれそうだったからです」
「……それって、どういう」
「それじゃあ、おやすみなさい」
答えを問うよりも早く、ルリアはくるりと背を向ける。その背に問いかけられるほど、勇気は出ない
まだ眠るまではもう少し時間がかかりそうな気がした。




