【第二部 風と鎖】第31話 鎖の出口
セシルは、レイフの右の腕の布を、巻き直していた。
客殿の部屋の、戸口の脇だ。朝の宮廷から戻ると、エルドは寝台に横になって、それきり動かなくなった。靴だけは、寝台の下に揃えてある。三晩ぶんの眠りだ。昼を過ぎても、息の深さが変わらない。
ゆうべ門のそばで巻いた布を解くと、レイフの指の先が白くなっていた。
「きつかったのですか」
「少し」
「なぜ、言わなかったのです」
「騎士様が、巻いてくれたので」
理由になっていない。セシルは、布を初めから巻いた。今度は、指が一本入るだけの緩みを残す。
傷の手当ては、教本に三行しか載っていない。騎士の傷は、日暮れまでにひとりでに閉じるからだ。血を止めるために縛るところまでは、セシルも習っていた。何日も巻いておく巻き方を覚えたのは、去年の秋だ。紋を外された日に、左の腕を浅く切られた。あの傷は、閉じるのに十日かかった。緩め方までは、覚えていなかったようだ。
「三日は、濡らさないでください」
「はい」
壁際で、マグダが喉の奥で笑った。椅子を二つ並べて、足を投げ出している。
「ちびは、寝かしときな。起きたら起きたで、また何か考えはじめる」
机の上には、あの証文が広げてある。升は、二十五番目まで埋まった。その下に、今朝、一行が足された。宮廷が済んですぐ、エルドとレイフが証人の前で告げて、老いた書記が書いた。——一日とは、朝の印から、次の朝の印まで。
回廊に、足音がした。速いのが一つと、それを追うのが三つ。
リヴィアだった。髪を後ろで一つに束ねて、書記を二人と、侍女を連れている。名代になって二日目の人は、歩きながら用を言う。
「北の騎士。頼みがある」
「伺います」
「ゆうべ厩で押さえた、白い外套の男だ。あの男を、わたしは裁けぬ」
リヴィアは、戸口の前で足を止めた。寝台のほうへ一度目をやって、声を落とす。
「わが国の法に、口上を売る罪は無い。誓いというものが無い国だ。無い罪では、裁けぬ。あの男は、叔父上の雇いの者だった。叔父上は、広間を出たその足で、雇いを解いていかれた。証人の前で告げて、罰の銀も置いてな。それで、あの男はどの欄からも落ちた。載らぬ者は、朝まで預かる。朝、載せる者がいなければ、門から出す」
「出せば、どうなりますか」
「次の買い手を探すであろう。川べりには、行く先の無い兵が三千いる。やめぬ兵を欲しがる者は、叔父上のほかにも出る」
マグダが、投げ出していた足を下ろした。
「だから、書け」
黒い目が、セシルへ来た。
「あの男が何者で、何をしたのか。そなたの国の決まりでは、それは何に当たるのか。口で聞いたことは、風になる。明日の朝、預かりを裁くときに、わたしは申し立てが要る」
「私には、あの人を裁く務めがありません。丘は割れていて、あの人は、私とは別の側の者です」
「裁くのは、わたしだ。そなたは、見たことを書け。見るのは、そなたの務めであろう」
「書きます」
「副使を貸す。丘の言葉は、宮廷の者には通じぬ。この国の者が読める形に直させよ。夕方、ここへ寄越す」
リヴィアは、もう歩きだしていた。少し行って、振り向く。
「ティトとルーカは、今朝、使節の護衛の雇いを解いた。二人とも、叔父上のあとを追って門を出た。あの板は、写しを蔵に納める。元の板は、北へ返す」
黒い目が、寝台のほうへ行った。
「それから、北の者は、まだ発てぬぞ。川べりの旗が下りたという知らせが戻るまで、橋への道は、わたしには請け合えぬ。半月はかかる」
言い終えると、青い裾は回廊の角を曲がっていった。書記の一人が、歩きながら何か書いている。
「半月かい」
マグダが立って、外套を取った。
「初雪には、まだ間があるよ。三千のあいだを抜けて帰るよりは、ましだ。……でかいの。あんたは、ここだ。ちびが起きたときに誰もいないんじゃ、具合が悪い。白いの、あたしも行くよ。あんたは書く。あたしは見る」
◇
西の棟は、匂いが少し変わっていた。
革と、油と、馬の匂いは同じだ。そこへ、豆を煮る匂いが混じっている。廊下に並んでいた赤茶の印は、一つも残っていない。かわりに、門や回廊で見慣れた顔が、槍を持って立っていた。きのう名代の名で雇い直された兵たちだ。十人は将軍の列を送って出たので、残っているのは十三人になる。
いちばん奥の戸の前に、若い兵が立っていた。槍を、両手で持っている。右の手の甲に、細い白い線があった。
「マッテオ」
呼ぶと、兵は背筋を伸ばそうとして、槍の尻を床に鳴らした。
「名代の兵に、入れてもらいました。門にいたサンドロの口利きです」
「腕は、どうですか」
「重いです。ついこのあいだまでは、この重さで持っていたはずなんですが」
マッテオは、槍を握り直した。
「借りていたのは、二十日とちょっとです。それで、これだ。騎士さまは、慣れたと言いましたね。何年、借りてたんです」
「三年あまりです」
「慣れるのに、どれだけかかりました」
「一年たっても、朝は重いです」
マッテオの口が、開いた。慰めにならないことを言った、と気づいたのは、言ったあとだった。
「……ですが、分かることが一つ増えます。借りているあいだは、息が上がりませんでした。いまは、上がります。上がったら、休んでください。私は、それを半年、聞き流しました」
「聞き流すと、どうなるんで」
「目の下が、黒くなります」
マッテオは、笑っていいのかどうか、迷っているようだった。それから、戸のほうへ顎を引いた。
「中の人は、俺の指を一本ずつ組ませた人です。……指の組み方だけは、丁寧に教えてくれました」
窓が一つの、小さい部屋だった。ゆうべまでレイフが預けられていた部屋の、隣だ。あちらの戸は、外れたまま廊下の壁に立てかけてある。
寝台の端に、男が座っていた。
四十の手前だろう。白かったらしい外套の、胸の一か所だけ、布の色が新しい。背筋を伸ばして、膝を揃え、手を膝に置いている。その座り方を、セシルは知っていた。見習いが、最初の冬に教わる座り方だ。
男のほうも、こちらの外套を見た。徽章を見て、それから、右の手を見た。
「紋の無い手に、徽章か。……巡察のセシルだな。団長の命に背いた」
「背きました。認め状は、宿舎に置いてきました」
セシルは、帳面を開いた。
「名を、聞かせてください。書きますので」
「何に書く」
「名代に出す申し立てです。あなたが何者で、何をしたのか。見たことと、聞いたことを書きます」
「裁きに来たのか」
「いいえ。私には、あなたを裁く務めがありません。書くだけです」
男は、少しのあいだ黙っていた。
「ブルーノだ。叙任から、十五年になる」
書いた。
「いつ、丘を下りましたか」
「春だ。扶持を出すのは、大所だ。大所長は、登録の綴りも蔵の鍵も持って、前庭へ出た。前庭へ出てくれば出す、と言われた。奥に籠った者のぶんは、冬のうちに止まった。雪が消えるのを待って下りた者が、七人いる」
ブルーノは、目を逸らさずに続けた。
「騎士が持って出られる物は、三つしか無い。剣と、口上と、立会の手だ。剣は、どこの国でも銀で雇える。あとの二つは、丘の者しか持っておらん。それを、国境の市で売った。この国の将軍の使いが、買いに来た」
「売ってよい物では、ありません」
「巡察。おまえは、この国の兵を見たか。銀が倍の家へ行く。行った先でも、次の倍を待つ。立つ所が無いのだ。誓いは、人を立たせる。俺は、立つ所を売った」
誓いが人を立たせるのを、私は父で見ました。
去年の夏、丘の参道の石に腰を下ろして、セシルはエルドにそう言った。同じ教本で育った者の口からは、同じ言葉が出る。
「立たせた誓いが抜けたあとを、あなたは見ましたか」
「抜けぬ。破れぬものが、誓いだ」
「主が死ねば、抜けます。私の父は、仕えた家が絶えて、三日で紋を失いました。それからは、手を袖に入れて暮らしています」
「……それは、誓いの罪ではない」
「はい。誓いの罪ではありません。誓わせ方の罪です。……あなたは、誓わせる側に立ちました」
ブルーノは、答えなかった。
マグダは、戸口の脇の壁にもたれて、ずっと男の顔を見ていた。
「あたしにも、一つ訊かせな」
親指が、外套の胸を押さえる。四角い縫い痕のある所だ。
「あんたのそこと、同じ所だよ。あたしは、審問の記章を外した。外した晩に、人を裁く声も置いてきた。あんたは、徽章だけ置いて、あとは持って出たね」
ブルーノの目が、縫い痕へ行った。
「それは、まあいい。食えなきゃ、人は売れる物を売る。訊きたいのは、こっちだ。あんたが指を組ませた兵は、二十六人いる。名を、一つでも言えるかい」
長い間があった。
「……名は、訊いておらん。口上に、名は要らぬ」
「だろうね」
マグダは、壁から背を離した。
「戸の外に立ってる若いのは、マッテオっていうんだ。葡萄畑の家の三男だよ。厩で死んだのは、ネリ。粉屋の次男だ。あたしが斬った。斬った相手の名を、あたしは、けさ将軍に訊いたよ」
声は、低いままだった。ブルーノは、膝の上の手を見ていた。
セシルは、書いた。訊かなかった、と男が言ったとおりに。
「雇いの証文を、持っていますか」
ブルーノは、懐から葦の紙の証文を出した。この国の者と同じように、持ち歩いている。
——ガイウスは、アルデンの丘の者ブルーノを雇う。務めは、口上を先に言うこと。給金は、月に銀貨十枚。年限は、一年。解く条。どちらからでも、証人の前で告げれば解ける。解いた者は、銀貨二枚を払う。
いちばん下に、新しい墨で一行、書き足してあった。雇う者の側より、解く。今日の日付だ。
「あなたの約束には、解く条がありました。今朝、それで解かれています」
「この国の決まりだ。無ければ書けぬ、と書記が言った」
「あなたが兵に唱えさせた口上には、ありません」
「誓いだからだ」
ブルーノは、初めて声を強くした。
「解ける誓いなど、誓いではない。おまえが前庭で並べているという、あれもだ。引き取れる、だと。四十人立たせて、一つも浮かなんだと聞いたぞ。浮かぬのは、天がそれを誓いと認めておらぬからだ」
四十二回です、と言いかけて、やめた。数を直しても、浮いていないことは変わらない。
「はい。浮いていません」
解ける誓いは、誓いではない。その理屈に返す言葉を、セシルは、まだ持っていなかった。
書いたものを、初めから読んで聞かせた。違う所があれば言ってください、と言うと、ブルーノは首を横に振った。
戸口まで行ったとき、背中に声が来た。
「巡察。朝になれば、俺は門を出る。ここの定めは、もう聞いた。載らぬ者は、朝までだ」
「載せる者が、名乗り出なければ、です」
「誰が、俺を載せる」
答えは、まだ持っていない。セシルは、黙って戸を閉めた。
◇
夕方、客殿の小部屋で、副使のドナートが机に紙を広げた。
板は、持ってきていない。葦の紙と、羽根ペンと、蝋の塊だ。額の汗を拭いて、ペンを構える。
「申されたとおりに、書きます。分からぬ所は、伺います。伺ってから、書きます」
「お願いします」
セシルは、帳面を初めから読んだ。丘を下りた騎士、ブルーノ。叙任から十五年。春に丘を下りて、国境の市で口上を売った。将軍に雇われて、二十六人に口上を先に言った。指を組ませた。名は、訊かなかった。
ドナートのペンは、一行ごとに止まって、次の読み上げを待った。先へは行かない。
「丘の決まりに照らすと、二つに当たります。一つ。丘の外で、銭を取って口上を教えてはならない。二つ。立会に立った者は、成った誓いを登録に出さなければならない。この二十六の誓いは、どこにも出されていません。……どちらも、丘の決まりです。この国の法ではありません」
「は。……伺います。立会、と申しますのは、わが国の証人のことでございますか」
「違います。立会は、口上を先に言って、成ったのを見届ける役です。名は、口上の中にありません」
「見届けて、それきりでございますか」
「登録に出します。それで、務めは終わりです」
「では、もう一つ伺います」
ドナートは、ペンの先を紙から上げた。
「解くときは、どなたが聞くので」
「……誰も、聞きません」
「誰も」
「誓いは、解かないものですので。主が死ぬか、家が絶えるかすれば、ひとりでに薄れます。人に告げて解く、ということが、初めからありません」
「左様で……」
なるほど、とは続かなかった。ドナートは、困った顔で紙を見ている。
「それは、どう書けばよろしいので。聞く者のおらぬ条を書く書式が、わが国にはございません」
セシルは、帳面を、夏の終わりの頁まで繰って戻した。
王都の詰所で、同輩に口上を唱えてもらった日だ。浮かなかった。違う、と書いた。その下に、同輩に訊かれたことが一行ある。
——引き取るときは、誰に言えばよいのか。
その下に、この国へ来てから足した行が、二つ並んでいる。
——証人に、告げる。
——告げる者。聞く証人。下に書き足す手。
答えの半ばは、とうに書いてあった。証文なら、証人が聞く。それを口上へ移せずに、二十日あまり、ここで止まっている。
人に告げて解けるのなら、その誓いは、破れるということだ。破れるものは、紋にならない。昼に、ブルーノが言ったとおりだった。
「……聞く者がいない、と書いてください。そのとおりですので」
「は。申されたとおりに」
ペンが動いた。聞く者、なし。
「証人を、お二人」
「一人は、あたしだ」
マグダが、ペンを取った。
「もう一人は、私が書きます」
戸口に、ユリアンが立っていた。手に、あの板を持っている。屋根が九つの絵の側が、上だ。
「王女殿下から、預かりました。叔母に渡すように、と。朝の預かりの話も、聞いています」
ユリアンは、申し立てを初めから読んだ。読み終えて、顔を上げる。
「この人が朝に門を出れば、次に口上を買うのは、国境の川べりの誰かです。丘の者を量るのは、丘の務めでしょう。丘が割れているのなら、王宮が預かるほかありません。私が、載せます」
「殿下の欄に、ですか」
「客の欄に、連れとして書いてもらいます。国へ連れて帰って、叔母に渡します」
言ってから、ユリアンは自分の足を見下ろした。
「連れて橋を渡るのは……止まらないと思います。北へ帰るほうですので。たぶん」
「止まったら、後ろから押してやるよ」
マグダが言って、名を書いた。ユリアンが、その下に書いた。
◇
夜明け前の客殿は、冷えていた。
秋が、深くなっている。炭を持つ指が、うまく曲がらない。窓は、まだ青い。
エルドは、起きていた。きのうの昼前から夜半まで眠って、起きて、冷めた膳を三皿、行儀よく食べたという。髪に、寝癖が一つ残っている。当人は、気づいていない。
「今日も、お願いします」
「今日も」
二十六番目の升の上で、セシルの炭は止まった。
升の下に、きのう足されたばかりの一行がある。一日とは、朝の印から、次の朝の印まで。
「どうしたんだい、白いの。印は」
マグダが、あくびの途中で言った。
「付けます。その前に、一つ。……レイフ。きのうの朝に結んだ一日は、いま、どうなっていますか」
レイフは、少し考えた。
「済みました。朝が来たので」
「破ったのでは、ありませんね」
「破っていません。一日、と書いてあります。一日が、済んだだけです」
「もし、今朝、結ばないと決めていたら。あなたは、どうしましたか」
「騎士様と、マグダに言います。証文に、そうあるので」
「それは、約束を破ることになりますか」
「なりません。そう書いてあります」
済む。
ゆうべは、ここで止まっていた。人に告げて解けるのなら、破れるのと同じだ、と。
同じでは、なかった。この証文は、毎朝、済んでいる。告げて解けば、それも済む。どちらも、初めからそう書いてあるからだ。書いてあるとおりに終わるのは、破れるのとは違う。
「西の棟の、初めの朝は」
セシルは、顔を上げて訊いた。
「あの朝、あなたは、誰に言いましたか」
「……壁に、言いました。今日も、と」
エルドが、レイフを見上げた。初めて聞く話のようだった。
「石が、吸いました」
告げても、聞く者がいなければ、石が吸う。この国の者なら、風になると言うだろう。
「口上に、欠けていたものが分かりました」
「聞く者のことかい。あんた、秋の初めに、辻で書いてたろ。証人に告げる、って」
マグダが言った。
「はい。聞く者が要ることは、書いていました。分からなかったのは、その先です。人に告げて解ける誓いは、破れる誓いだと思っていました。破れるものは、紋になりません」
言葉は、順に出てきた。
「違いました。宴の門で立てる誓いは、夜が明けて城を出れば、ひとりでに解けます。今宵かぎり、と口上に置いてあるからです。破れたのではなく、済んだのです」
「城を出たら、消えました」
レイフが、低く言った。八年前の、初めての紋のことだろう。
「同じように、口上に置きます。引き取りを聞く者の名と、その人に告げるまで、という一句をです。告げたときに、誓いは済みます。焼けずに、薄れます。……はず、です。まだ、誰の手でも見ていません」
「聞く者は、何をするのですか」
エルドが訊いた。眉が、少し寄っている。
「聞きます。それから、聞いたと言います。私とマグダが、二十五の朝、ここでしてきたことです。私たちは、今日も、を聞いていたのではありません。今日は結ばない、と告げられたときに、それを聞く役でした。告げられずに、済んできただけです」
「それなら、断つ手は要りませんね」
「この口上には、要りません。告げるのは、誓った当人です。聞くのは、名を置かれた者です。誰も、何も払いません」
エルドは、自分の右の手を見た。
少しして、頬が緩んだ。おとといの晩に名を三つ失くした人が、自分の手は要らないと聞いて、笑っている。
「この口上一つの話です」
セシルは、急いで足した。
「臣従も、婚姻も、商いの誓いも、口上は教会の定めたままです。王都の坂に並んだ人たちの誓いには、まだ出口がありません」
「一つ並んだら、二つ目は、並べられませんか」
「分かりません。まず、一つです」
「待ちな。ここで試さないのかい」
マグダが、机に肘をついた。
「王様の子の供は、三人とも北の者だろ。一人借りて、唱えさせりゃいい」
「ここでは、唱えません」
考えるより先に、答えが出た。
「きのう、この国の宮廷は、北の口上で縛られた手を二十四、見たばかりです。客の身で、同じ門の内で口上を唱えるのは、違います。それに、聞く者は、告げに行ける所にいなければなりません。私は、半月で、この国を出ます」
「聞く役が旅に出ちまっちゃ、世話が無いね」
「はい」
炭を、升に下ろした。二十六番目に、印が付く。エルドが、銅貨を一枚、レイフの手のひらに載せた。
「聞いたかい、でかいの。あたしらは、あんたがやめるのを待つ役だったんだとさ」
「やめません」
「知ってるよ」
マグダは、あくびの続きをした。
◇
日が出て、王宮の門が開いた。
門の内の、石を敷いた庭だ。名簿の机の脇に、リヴィアが立っている。書記が二人と、名代の兵が四人。そのあいだに、ブルーノがいた。外套の襟を、正しく合わせている。
「預かりの裁きだ。この者を載せる者は、名乗り出よ」
「アルデンの王ゲオルクの子、ユリアンです」
ユリアンが、前へ出た。
「この者を、私の客の欄に、連れとして載せます。国へ連れて帰ります」
リヴィアは、セシルの申し立てを、もう一度、終わりまで読んだ。それから、ブルーノを見た。
「預かりの者。言うことは、あるか」
「俺は、この国の法を、一つも破っておらん」
「破っておらぬ。だから、裁かぬ。載せる者が出たので、引き渡す。それも、この国の定めだ」
ブルーノの目が、セシルへ来た。セシルは、見返した。裁いてはいない。見たことを、書いた。
書記が、名簿に一行書き足した。ブルーノは、兵に挟まれて、ユリアンの供のほうへ歩いていく。
「北の騎士」
リヴィアが呼んだ。
「申し立てに、聞く者なし、とあったな。蔵でも、そなたは、自分の国の誓いには出口が無いと言った。あの男の売り物を見て、なお、誓いの側に立つのか」
「立ちます」
セシルは、背筋を伸ばした。
「出口を、付けます。付け方は、けさ分かりました。この国の証文に、教わりました」
リヴィアは、胸の青い石に指を置いた。少しして、離した。
「聞く者を、置くのか」
「はい。口上の中に、名で」
「わが国の者が聞けば、それは証文だと言うであろうな」
「丘の者が聞けば、それは誓いではないと言います。きのう、言われました」
黒い目が、少し細くなった。
「どちらからも、そう言われる物か。……並んだら、知らせよ。読んでみたい」
「帰って、並べます」
門の外で、朝の荷車が坂を上がってくる音がした。
四十二回、違う、と書いた。四十三回目は、北で唱えてもらう。その下に何と書くことになるのかは、唱えてみるまで分からない。




