【第二部 風と鎖】第11話 六尺半の花婿
マグダは、詰所の帳場で、ユリアンを見上げていた。
朝だ。使節が王宮の坂を上がってから、二日になる。王の末の子が詰所の板間に立って、こちらを見下ろしている。困っている。困っているのを隠す気が無いのが、ユリアンの取り柄だ。
「副使殿が、断ち手殿の家の方と話したい、と申しております」
ユリアンは言った。
「家の方」
「はい。縁組の話は、当人ではなく家の者と、と。……レイフに訊きましたら、家は村だが、いちばん近いのはマグダだ、と」
でかいのめ、と思った。思っただけで、口には出さない。
「あたしが、でかいのの家の者だって」
「そう、なります」
「八年、飯を食わせただけだよ」
「副使殿の国では、それで足りるそうです」
ユリアンは、真面目に言った。真面目に言えるのが、この王の末の子のいい所だ。マグダは帳場から立った。八年、飯を食わせた男の縁談に、家の者として呼ばれる日が来る。去年の秋には、誰が思っただろう。
戸口の脇で、セシルが帳面を閉じた。
「マグダ。証文の婚礼を、見てきてください」
「見物かい」
「前庭側の用として、です。婚礼の証文がどう書かれるか、まだ見ていません」
「あんたも来るかい」
「詰所の当番です」
セシルは、残念そうに言った。帳面を持ったまま。
◇
ユリアンの後ろについて、マグダは王宮の坂を上った。王宮へ上がるのは、これが初めてだ。白い所は眩しい、と言って詰所を選んだ女が、縁談の家の者として上がっている。
使節の宿は、王宮の東の客殿だった。白い石は同じだが、王宮より天井が低い。廊下を歩くと、匂いが変わった。何かの樹脂を焚く匂いだ。甘くて、少し煙い。北の宿にも王都の宿にも無い匂いだった。使節は、自分の国の匂いを持ってきたようだ。
通された部屋には、机が一つと、椅子が幾つか。
机の向こうに、小太りの男がいた。ドナートだ。坂の上でレイフに手を差し出した男。今日も汗をかいている。その脇に、痩せた若い書記が一人。壁際に、老人が一人、結び目のついた紐を手に持って立っていた。仕立て屋だろう。
こちら側の椅子に、レイフが座っていた。
小さい椅子だった。レイフが小さくしているのかもしれない。膝が机の下に入りきらずに、横へ出ている。その後ろの壁際に、エルドが立っていた。座らされていない。
ユリアンは、机の端の椅子に座った。王宮側の立会だ。侍従が一人、戸口に立った。
ドナートが立ち上がって、右の手のひらを上に向けてこちらへ差し出し、左の手を右の手首の下に添えた。紙を渡すときの手の形だ。手には、何も載っていない。
「断ち手殿の、家の方でいらっしゃいますな。ドナートと申します」
「マグダだよ」
「わが国では、何も持たない手で紙を渡す形をするのが挨拶でございます。隠すものが無い、と。……どうぞ、お手を」
マグダは、同じ形で右の手を差し出した。剣だこと、竈の火傷の跡がある。ドナートは、それを見た。見て、目を丸くした。
「これは。……家の方も、剣を」
「教えた側だよ」
「なるほど」
ドナートは、うなずいて座った。座って、懐から板を出して、何か書いた。あたしの手のことを書いたのだろう。書く男だ。
◇
「では、本題に」
ドナートは、板を置いて、両手を机の上で組んだ。
「わが国の、王家に連なる家の姫君——リヴィア王女殿下の、母方の従妹にあたる方でございます——と、断ち手殿の縁組を、お願いに参りました」
早口だが、よく通る声だ。言い切ってから、レイフを見た。見上げた。座っていても、見上げる。
レイフが、口を開いた。
「俺は、断ち手ではありません」
「左様。断ち手殿は謙虚な方だと、伺っております」
ドナートは、うなずいた。深く、満足そうに。
「断てません」
「なるほど、なるほど」
二度うなずいた。噂どおりだ、と言いたいらしい。マグダは、声を出さずにいた。
壁際で、エルドが一歩前へ出た。
「副使殿。断ち手というのは——」
「お付きの方は、お控えを」
ドナートは、エルドのほうを見もせずに、片手を上げた。止める手だ。
「縁組の席で、お付きの方が口を挟むのは、わが国ではよろしくありません」
エルドの口が、閉じた。
閉じて、一歩、壁へ戻った。広場で、この副使が見ていたのはレイフの背丈だけだ。エルドのことは、板になかったのだろう。板に無い当人が、いま、お付きの方、と呼ばれて壁に立っている。
マグダは、壁際のエルドを見た。
去年の秋に、この子が失くしたものは、思い出だけではない。値の掛け合いも、人前で顔を作る技も、理屈で相手を追い込む癖も、一緒に持っていかれた。残ったのは、礼と、分からないものを訊く口と、一度で覚える頭と、辛いものが駄目な舌だ。だからこの子の顔には、いま、思ったことがそのまま出る。
目が、少し明るい。
去年の秋からこちら、会う者はみな、この子を先に知っていた。知らない目に素通りされるのは、これが初めてだ。それを、この子は面白がっている。
机の端で、ユリアンが腰を浮かせた。エルドが、目でそれを止めた。この席を、もう少し見ていたいらしい。ユリアンは座り直して、口を結んだ。結んだ口の端が、震えている。
マグダは、頬の内側を噛んで、天井を見た。噛んでも、口の端が勝手に上がっていく。
◇
「まず、寸法を」
ドナートが手を上げると、壁際の老人が紐を持って前へ出た。
レイフは、立たされた。立つと、老人の頭が、レイフの胸の下に来た。老人は紐を伸ばして、肩から床までを測り、腕を測り、胸を測った。測るたびに、結び目を数えて、書記に言う。書記が書く。
「……七尺は、ございませんな」
老人が、紐の結び目を見ながら言った。
「六尺と、半分です」
レイフが言った。
「なるほど」
ドナートは板を取って、何か消して、書き直した。
「では、六尺半で書き直します。噂の分は、当方の書き損じでございました」
書き損じ、と来た。半尺の噂を、この副使は板の上で直した。
老人が、レイフの手を取った。
手のひらを上に向けさせて、指の長さを測る。測りながら、老人は手のひらを見た。剣だこと、あかぎれの痕と、縄の跡。老人は、何も言わずに、ドナートを見た。
「働く手でございますな」
ドナートが、代わりに言った。
「わが国では、婚礼の証文に、双方が自分の名を書きます。断ち手殿は、字を」
「書けます」
書記が紙と炭を寄せた。レイフは、座って、書いた。
四角い、大きな字だった。ドナートは、それを覗きこんで、それから、板に書いた。
「力強い」
感心した声だった。書記も、うなずいている。
「姫君の名の隣に、この字が並ぶわけでございますな」
レイフは、炭を置いた。置いて、書いた名を見ずに、手を机の下へ引いた。
壁際で、エルドが、その字を見ていた。口の端が、緩んでいる。レイフの字が褒められるのが、嬉しいらしい。
◇
食事が、出た。使節は、料理人まで連れてきたようだ。
南の作法だ、とドナートが言った。皿が一つずつ出て、一つが済むと次が来る。北の宿のように鍋を真ん中に置いて椀を回す形とは、まるで違う。パンは白い。葡萄の酒は、南のものだ。甘くて、深い。秋の日にしか買わない酒が、昼の席に、頼みもしないのに出てくる。それだけで、上がってきた甲斐はあった。
レイフは、出たものを全部食べた。
一皿目の魚。二皿目の鳥。三皿目の、豆と何かの煮込み。皿が空くと、次が来る。次も、空く。書記が、皿を数えはじめた。数えていることは、書記の目で分かった。
「よく召し上がる」
ドナートが、感心して言った。
「副使殿。南じゃ、婿は何杯まで食っていいんだい」
マグダは、葡萄酒の杯を持ったまま訊いた。
「何杯でも。わが国では、よく食べる婿は喜ばれます」
「そりゃよかった。この男は、三杯食っても誰も何も言わない所で育ったんでね」
レイフが、匙を止めた。
止めて、マグダを見た。それから、何も言わずに匙を動かした。四皿目が来た。
◇
「では、条件を」
ドナートが、書記に書き付けを出させた。
「家の方と、詰めさせていただきます」
「その前に一つ」
マグダは杯を置いた。
「あたしは三十だよ。でかいのより、六つ上なだけだ。母君じゃない」
「これは失礼を。……では、姉君と」
「……それでいい」
姉で通すことにした。八年、飯を食わせた姉だ。悪くない。
ドナートは、書き付けを見ながら、条件を並べはじめた。南の都の東に館を一つ。畑が二十。年の給金は銀貨で幾ら。姫君の持参の品は、机と、寝台と、南の葡萄の木が三十本。書記が、一つずつ書き取っていく。
マグダは、聞いていた。聞きながら、ドナートの手を見ていた。書き付けを持つ手だ。書き付けを見て喋る手だ。この副使は、人の顔を見て喋っていない。
「副使殿」
並べ終わった所で、言った。
「その姫様は、でかいのの顔を見たのかい」
「いえ。まだ」
「顔も見ずに、値を付けたのかい」
「わが国では、顔より先に条を決めます。条が決まってから、顔を合わせる。……順が、逆でございますか」
「逆だね」
マグダは言った。
「あたしの流儀じゃ、顔を見てから値を付ける。紙は、あとだ」
ドナートは、少しのあいだ黙った。それから、書記に何か言って、小さな板を持ってこさせた。板に、絵が描いてある。若い女だ。黒い髪を結い上げて、こちらを見ている。目元のやわらかい、まだ幼さの残る面差しで、柱のように背筋の立ったあの王女とは、似た所が見当たらない。母方の従妹なら、そんなものだろう。
「姫君のお姿でございます。顔を先に、と仰せなら」
「絵かい」
「絵師が、証人二名の前で描きました。似ていることは、証人が請け合っております」
似ていることに証人を立てる国だ。マグダは板を受け取って、見た。悪くない。絵というのは、たいてい悪くない。
「絵は、嘘がつけるよ」
「証人の前では、つけません」
ドナートは言い切った。マグダは板をレイフの前に置いた。レイフは、絵を見た。見て、何も言わずに、マグダのほうへ板を戻した。
「では、姫君にも、でかいのの顔を先に見せてやっとくれ」
「承りました」
ドナートは、自分の板に書いた。
壁際で、エルドが口を開いた。
「副使殿。一つ伺ってよろしいですか」
今度は、止める手が出なかった。条件の話が済んで、気が緩んだのだろう。ドナートは、うなずいて問いを許した。
「姫君は、なぜ断ち手と縁を結びたいのですか」
「よい問いでございます」
ドナートは、うなずいた。
「断ちの血を、わが国にも。それだけのことでございます。血さえ継げば、断ちの手は、わが国にも生まれる」
言い切った。
エルドは、壁際から動かずに、一つだけ言った。
「血で継がれるかどうかは、誰にも分かりません」
「お付きの方が案じられることでは、ございません」
ドナートは、そう言って、板をしまった。話は済んだ、という手つきだった。エルドは、口を閉じた。さっきまで面白がっていた目から、明るさが一つ引いている。怒ってはいない。呆れに近い。この副使は、レイフを婿に欲しいのではなく、血を買いにきた。それを、悪びれもせずに言う。エルドは、壁へ戻る前に、レイフの背中を一度見た。
人を見ずに血を見る縁談を、あたしは縁談とは呼ばない。マグダは、杯の残りを干した。甘い酒が、少しだけ苦かった。
レイフは、五皿目を食べ終えていた。食べ終えて、匙を置いて、ドナートを見た。
「俺は、断ち手ではありません」
もう一度、言った。
「左様。存じております」
ドナートは、満足そうにうなずいた。
◇
話は、それで済んだ。ユリアンは副使に引き止められて残り、マグダは、エルドとレイフと三人で部屋を出た。戸は、廊下に向けて開け放してあった。廊下の先に、回廊がある。
庭に面した回廊だ。柱が並んでいる。その柱の一本の陰に、人が立っていた。
長くて、まっすぐな黒い髪だ。
王女だった。
侍女が一人、離れた所にいる。王女は、柱に手を置いて、こちらを見ていた。部屋の中の話が聞こえていたのかどうかは、分からない。聞こえる距離ではある。
笑っていなかった。
開いた戸の向こうの席を、柱の陰から見ていたのだろう。笑うか笑わないかは、人の勝手だ。マグダが見たのは、王女の目の向く先だった。
でかいのではない。
ちびだ。
王女の黒い目は、廊下に出てきたエルドを見ている。お付きの方、と呼ばれた人を。ドナートが姫君の館の広さを並べているあいだも、あの目はたぶん、壁際のエルドにあった。
エルドは、気づいた。
気づいて、足を止めずに、頭を下げた。胸から上だけの礼だ。王女は、顎を少しだけ引いた。礼は受けた、と分かる動きだった。目は、動かない。
廊下の角を曲がって、王女が見えなくなってから、マグダはレイフの腕を叩いた。
「あんたの縁談だよ、でかいの。あんたを見てる奴が、一人もいなかった」
「はい」
「あの副使は紙を見てた。仕立て屋は紐を見てた。……あの黒いのは、ちびを見てた」
レイフは、答えずに、前を歩くエルドの背中を見た。
あたしに見て取れたのは、そこまでだ。笑わずに、ちびを見ている。値踏みの目とも、買い手の目とも違う。その先はまだ分からないが、一つだけ確かなことがある。
あの目は、取り違えていない。




