第43話 番人
宰相府は、黒かった。
丘の裾に横に長く伏せている。石が黒い。屋根が低い。白い王宮の丘が後ろにそびえているのに、この館だけが昼の光を吸って黒いままだ。王都でいちばん古い建物だとセシルは言った。古い石は、光を返さない。
門の脇に台があった。
教会の紋を刻んだ石の台。綴りと、燭台。脇に、宰相府の式官。エルドはその顔を見た。見て、分かった。離宮の門で綴りを開いた男だ。同じ顔が、同じ綴りを、同じ手つきで開いた。
式官はレイフを見た。
「また、誓わぬ者か」
「はい」
レイフが答えた。
式官は綴りをエルドのほうへ向けた。一句ずつ後について唱えよ、と、口が動きかけた。
「今日は、私も誓いません」
エルドは言った。
式官の口が止まった。
この館の内で、刃を向けず、手を上げず。今日は、それを本心で言えない。言えないことを唱えても、紋は浮かない。浮かなければ、門で割れる。割れる前に、言わないほうが早い。誓えぬことを軽々しく口にするな。父はそう言った。今日は誓えない。だから、口にしない。
「私も、誓いません」
セシルが言った。白い制服の胸を張って、規程どおりの姿勢で。
「私が守ると誓ったのは、誓いの正しさです。閣下の館ではありません」
「あたしも、やめとくよ」
マグダが言った。
「今日は、手を出すと決めてるからね。出さない、と誓ったら、嘘になる」
式官は四人の顔を順に見た。
見てから綴りを閉じた。閉じて、門の内へ入っていった。長くはかからなかった。戻ってきた式官の顔は、式官の顔のままだった。
「閣下の仰せだ。誓わぬ者を四人、通せ、と」
それから少しだけ、付け足した。
「七年前、北の広間の扉の前を、誓わずに通った者は一人もいなかった。……私が、先導した」
エルドは式官の顔をもう一度見た。あの夜、大広間の扉の前で綴りを掲げていた顔だ。覚えていない、と離宮で思った。覚えていなかったのではない。見ていなかったのだ。十三の自分は、綴りしか見ていなかった。
四人は門を通った。
◇
広間は、低かった。
天井が低い。石が黒い。窓が小さくて、燭台の火が多い。離宮の長い部屋とは違う。ここは、古い。床の石がほかの床より低く沈んで、真ん中が擦り減っている。何百年、人がここを歩いた。
壁際に黒い装備が並んでいた。左に十。右に十。槍を立てて、四人を見ている。
エルドはその右手の甲を見た。
紋が一つずつ。門衛と同じ、職務の紋だ。客の紋は無い。今日、この兵たちは門の台で誓っていない。自分の館だからだ。この部屋で、客の誓いに縛られている者は誰もいない。壁際の二十も、自分たちも。離宮の広間と、反対だ。
部屋の奥に机。
その向こうに、黒い官服の痩せた人が座っていた。総白髪。膝の上の細い杖。供が二人、机の両脇に立つ。
机の上に、茶器があった。
匂いが先に来た。
甘い匂いだ。ほのかに甘い、湯気の匂い。エルドの足が一歩、遅れた。遅れたことに、自分で気づいた。母の茶だ。北の城の冬の味。あの居間の匂いが、この黒い広間の机の上から来ている。
ある。それは、ある。
「エルド=ファーレン」
平らな声だった。
「二度、話す気はなかった。話す前に済む、と数えていた。座るがいい」
エルドは座らなかった。座らずに、部屋の真ん中で止まった。レイフが後ろ。セシルが右。マグダが左。離宮と同じ並びだ。並びだけが同じだった。
「立ったままか」
「はい」
「好きにするがいい」
誓約主は杖を膝の上で動かした。薄い灰の目が、四人の手を順に見た。客の紋の無い手が、四つ。
「誓わぬ者が四人、私の前にいる。七年前は一人もいなかった。珍しいものを見せてもらった」
◇
エルドは懐から書状を出した。
灰色の蝋に三筋の印。机の上に置いた。
レイフが革袋から三冊目を出して、石の字の頁を開いて、書状の隣に置いた。セシルが帳面を開いて、その隣に置いた。掌典の読み下し。前庭の報せ。詰所の板間。
三つが、机の上に並んだ。
誓約主は手を伸ばさなかった。伸ばさずに見た。書状の印を見て、写しの字を見て、帳面を見た。読んでいない。読まなくても知っている顔だった。
「東の家が、書いた」
誓約主は言った。
「丘が、割れた。詰所は、半分が背を向けた。お前の母の家が、七年ぶりに、王宮の集まりで口を開いた。端の家の声は小さい。小さくとも、聞こえる」
エルドは息を吸った。
開いた。あの門は、半分より先まで開いた。
「全部、知っている」
誓約主は続けた。
「知っていて、座っている。言うがいい。何を持ってきた」
「値切りに、来ました」
エルドは言った。
言って、書状に手を置いた。灰色の蝋の上に。
「東の当主の証し。あの夜、誰も誓いを破っていない。破らずに、外された。外したのは、あなたです」
手を、写しへ移した。レイフの字の、石の字へ。
「壁の字。読める人が、丘と、王都と、この四人にいる。……あなたが七年前に書いた筋書きは、もう通りません」
「通らぬな」
誓約主は認めた。市の値を認めるように。
「筋書きが通らなくなったので、書き直しを頼みに来ました」
エルドは写しの頁の、右の壁の三つ目の行に、指を置いた。堂で、掌典がそうしたように。
「繋げる、と書いています。あなたはそれを、外すためにしか使っていない。繋げるなら、結び直せる。万の民から預けさせたものを返して、結び直す」
指を、セシルの帳面へ。
「無断で、を、承知で、に。二度と引き取れない、を、いつでも引き取れる、に。戦を封じる意図は残して、質だけを差し替える」
「口上は」
「あります」
セシルが帳面の頁をめくった。めくって、読んだ。
「——我らは、承知の上で、わずかを預ける。いつでも引き取れると、定めて。二度と戦を起こさぬために、この盟を結ぶ」
読み終えて、セシルは言った。
「その下に、私は、まだ違う、と書いています。並んでいません。並べるのは、繋ぐ血です。私には、並べられません」
誓約主は、しばらく何も言わなかった。
言わずに、机の上の茶器へ手を伸ばした。伸ばして、蓋に触れる前に止めた。止めた手を、杖に戻した。
「引き取れる誓いは、誓いではない」
誓約主は言った。
「いつでも降りられる平和は、平和ではない。降りたい者が降りた日に、戦が戻る。それは、賭けだ。……私は、人間に賭けない」
「賭けです」
エルドは言った。
「あなたの平和は、賭けをしていません。していない代わりに、幾百年、誰にも選ばせていない」
「選ばせれば、殺し合う」
「分かりません」
エルドは言った。
「起きない、とは私も言えない。あなたも、起きる、とは本当には言えない。幾百年、誰も試していないからです。あなたは賭けをしないのではない。始祖がした賭けの側に、乗っているだけだ」
誓約主の目が、エルドの上で止まった。
止まって、動いた。
「私が倒れたら、誰が、お前の家から平和を護る」
低い声だった。平らなまま、低くなった。
「大誓約は、放っておいても崩れぬ。崩せるのは、お前の家だけだ。壊せる鍵が一本、いつまでも、この国のどこかに在る。その鍵から格子を護る者が、私だ。私の前の者も、そうだった。私は、番人だ。番人が倒れれば、鍵を止める者がいなくなる」
「壁の字は、断つ者があるように、と書いていました」
エルドは言った。
「いつか、この誓いが人を殺す鎖に変わる日に。……絶やせ、とは、書いていない」
「書いていない」
誓約主は言った。
「始祖は、鎖に変わる日に断つ者があるように、と書いて、北へ遣った。あれは、始祖の賭けだ。人がいつか、鎖より自由を選ぶ、という賭けだ。……私の家は幾百年、その賭けに乗らなかった。乗らずに、番をした。始祖が賭けた分を、私の家が埋めてきた」
「選べる盟約なら」
セシルが言った。
声は平らではなかった。平らにしようとして、できていなかった。
「番人は、要りません。誰も、地の底の番をしなくていい。……閣下も、です」
誓約主が、一拍、黙った。
一拍だけだった。杖が膝の上で動いた。
「賭けだ」
同じ言葉が、もう一度、机の向こうから来た。
◇
「西の町の、桶屋」
マグダが言った。
初めて口を開いた。低くて、揺れていない声だった。誓約主の目がマグダに移った。
「八年前の春だ。西の町の登録院に、一枚の頁があった。あんたは、覚えてるかい」
「覚えている」
誓約主は言った。
「会ってはおらん。書かせた名は、忘れん」
「何のために、あの男は死ななきゃならなかった」
エルドは口を挟まなかった。挟まない、と決めていた。これはこの人の的だ。八年、この人が持ってきた問いだ。
誓約主は杖を膝の上で少しだけ動かした。
「三人の口より、一枚の頁が勝つか」
数える口調だった。
「私は、それを確かめておく必要があった。宴の前に。東の家の目より一枚の触れ書きが勝つかどうかに、私は懸けるつもりがなかった。懸ける前に、確かめる。確かめるには、頁が一枚と、頁を信じる審問官が一人、要る。桶屋は、値の安い者だった。ほかに理由はない」
マグダは動かなかった。
「頁は、勝った」
誓約主は言った。
「審問官は、頁を信じた。三人の口を退けて、男の首を落とした。……名は、聞いておらん。聞くまでもない者だった」
部屋が静かだった。エルドは隣のマグダの息を聞いていた。一つ。二つ。息は止まらなかった。隣で、マグダの右手が外套の胸元へ動いた。縫い痕のある所だ。動いて、そこで止まった。この人は手を出す、と決めてきた。どこで出すかは顔を見てから決める、と。……手は、胸元で止まったまま、出なかった。
名乗りも、しなかった。
「……そうかい」
マグダは言った。それだけだった。
エルドはマグダの顔を見なかった。見ないで、机の向こうの人を見ていた。この人は、当の審問官が目の前に立っていることを知らない。知らないまま、数えた。値の安い者。この人はそう言った。宴のために、桶屋を一人、試しに使った。安く済ませた。安く済むものは安く済ませろ、と自分は教わった。同じ言葉の反対側に、この人はいる。
◇
誓約主は茶器に手を伸ばした。
供に任せなかった。自分の手で、蓋を取って、注いだ。蓋の下に黒い茶の葉が見えた。干した果実の皮と、白い小さな花が混ざっている。椀に湯を注ぐと、甘い匂いが広間に広がった。
エルドの喉が動いた。
誓約主は椀を一つ、机のこちら側へ置いた。
「飲むがいい」
平らな声だった。
「これに、毒は入っていない。……お前の母が十三年、淹れていた茶と、違ってな」
エルドは動かなかった。
動けなかったのではない。動かなかった。
「言い方が悪かったな」
誓約主は言った。
「あの茶も、お前には毒ではなかった。父にも、そこの従士にも。疲れに効く葉だ。身重の者にだけ、効く。流れやすくなる」
燭台の火が動いていない。
「私の家は代々、北の家を絶やす役目を負っている。誅するのではない。子の生まれにくい家にして、穏やかに絶やす。手立ては代ごとに違う。私の代は、茶だった。お前の母は王都の家の娘だ。四代前に私の家を出た娘の、家の娘だ。婚礼の立会は私がした。あの女の左の手首に赤い紋が浮くのを、私はこの目で見た。見て、決めた。あの家から北へ届く茶に、葉を混ぜさせた。年に二度。春と、秋に」
エルドの手が懐に行った。
行って、止まった。母の文がそこにある。今年の茶も、たしかに受け取りました。
「お前の母は、四度、授かった」
目録を読む口調だった。
「四度、流した。北の冬のせいだと家の者は言ったろう。北の家は代々、子が少ない、と。三代、一人子だ。私の前の者たちの手立てが違っただけだ」
北の家は、代々、子が少のうございます。
侍女頭の声だ。台所で、廊下で、幾度も聞いた。北の冬のせいだと年寄りは言った。この土地の女でもそうだ、と。子どものころから、聞いていた。聞いていて、疑ったことがなかった。
「五度目を」
誓約主は言った。
「私は、数え損ねた」
エルドは誓約主を見た。
「宴の年の夏の終わりだ。お前の母は五度目を授かった。つわりで、甘い匂いを受けつけなくなった。茶を、口にしなくなった。それで、育った。秋に、宴の段取りに行かせた典礼官が、城でそれを察して私に告げた。奥方が、今年の茶を口にしていない、と」
三つ。
帳面の頁が、胸の中で開いた。——奥方様が、茶を淹れた。三つ。俺の分もあった。甘い匂いの茶だった。……三つ。父に一杯。自分に一杯。壁際のレイフに一杯。母は飲んでいない。あの晩、母の茶の椀は無かった。四つ目が、無かった。レイフの字で、三つ、と書いてある。
春になりましたら、ひとつ、お知らせしたいことがございます。
春に。
「春に、産まれるはずだった」
誓約主は言った。
「お前の、弟か妹だ」
◇
しばらく、何も聞こえなかった。
聞いていなかった。エルドは、自分の膝が床の石をどう踏んでいるかを感じていた。石が低い。擦り減っている。何百年、ここを人が歩いた。膝は抜けなかった。抜けそうになって、抜けなかった。
息を吐いた。
吐いた息が、甘い匂いを運んで出ていった。
母は知っていて、言わなかった。知っていて、言わない。この家の癖だ。宴が済んだら、と決めていたのだ。父も知っていた。父は春のことを一度も口にしなかった。誓えぬことを口にしない人だ。春は誓えない。だから言わなかった。
二人とも言わないまま、あの夜に死んだ。
春は来なかった。
「血が二つになる前に」
誓約主は言った。
「静かに絶やす手が、届かなくなった。だから、宴だった。五度目が育っていると典礼官が告げた秋に、東の家が和睦を受けた。二つが、同じ秋に揃った。お前の父はよい当主だった。それと、これとは関わりがない」
エルドは机の上の椀を見た。
湯気がまだ立っている。
手が伸びた。伸びて、椀を取った。熱かった。持って、匂いを吸った。北の城の冬の味だ。この匂いは残っている。井戸端で数えたときも、あった。あったものの中身が、いま、机の向こうから裏返された。匂いは同じだ。同じ匂いの中に、四度と五度目が入っている。
飲まなかった。
椀を机に戻した。手は震えていなかった。震えていないことを、自分で確かめた。確かめたことが、震えていた。
「あなたに」
声は出た。
「母に、恨みはありましたか」
「無い」
誓約主は言った。
「数の話だ。あの女はよく笑う女だった。婚礼の日に一度、見た。恨む筋の女ではない」
◇
「お前に、一つ言っておく」
誓約主は杖を握り直した。
「私に子はない。分家から養子を取っても、業は移らぬ。業は、家名を負って生まれた血にだけ憑く。お前の母の家に繋ぎが顕れぬのも同じ理由だ。私は、最後の番人だ。私が死ねば、格子を護る者はいなくなる」
薄い灰の目がエルドを見ていた。
「だから、お前を、私の生きているうちに消さねばならなかった。消し損ねた。……そこで、だ。エルド=ファーレン。北へ帰れ」
声は平らだった。
「北へ帰って、子を残すな。お前が死ねば、断ちの血は絶える。格子は永久に不壊になる。番人は要らなくなる。私はお前を追わぬ。追う理由が無くなる。お前は父の顔を覚えたまま、北の川で魚でも釣って、死ねばよい。それが、私からの値だ」
値。
エルドはその一語を聞いた。
この人は、値切っている。万の民から取り上げたものを、一人にだけ差し出して、選べ、と言っている。幾百年、誰にも選ばせなかった人が、自分一人に、選べ、と。
「あなたは、私にだけ、選ばせる」
エルドは言った。
「選べるのが私だけなら、要りません」
言い切りではなかった。答えだった。答えてから、根拠を順に置いた。置かずに言い切るな、と七年、自分で自分に言ってきた。
「パン屋の娘は、六代、足を縛られていた。誰も誓っていない。前の掌典は、五十年、口を縫われていた。本心で誓った人です。本心で誓って、黙ることが何を守っているかを、あとで知った。東の当主は、七年、恥で縛られていた。誓いは無い。あなたが筋書きを書いた。丘は割れました。割れたのは、預かった、と書いてある壁の字を読んだからです。万の民は、預けさせられただけだ。誰も、選んでいない。……それから」
息を一つ、入れた。誓約主の目が、机の上の三つを一度なぞった。書状。写し。帳面。それから、エルドに戻った。杖の上の手は、動いていない。
「母の、四度と、五度目。あなたの格子は幾百年、番人と、狩られる血を要り続けてきた。私が北で死んで格子が不壊になっても、それは母の四度の上に立っている。次の番人は要らなくなる。代わりに、幾百年、上を望まない民が、上を望まないまま残る。私一人が選んで済む値では、ありません」
誓約主は聞いていた。
聞き終えて、言った。
「ならば、何を持って帰る」
「値切れませんでした」
エルドは言った。
「……相場は、知っています」
右手を見た。紋のない手。四つの紋を焼き切って、四つを払った手。この手があの床の下で何を払うか。壁は書いた。すべて、と。父の顔。母の茶の匂い。宴の前の晩。雪の道の背中。いちばん奥の、あの男。
「払います」
言った。
断つ、とは言わなかった。すべて、とも言わなかった。払う。それだけを言った。七年、値切ってきた口が初めて、払う、と言った。
後ろで、レイフの手が革袋に触れた音がした。
「払わぬ」
誓約主は言った。
「お前は払わぬ。私はそう数えた。空になってまで払う者はおらん。お前の父も、その前の者たちも、鍵であることを知らずに死んだ。知った者は、鍵を回す前に、鍵の重さで手を離す。私は七年、そう数えてきた」
「数え損ねは」
エルドは言った。
「二度目になります」
誓約主の目が止まった。
離宮でマグダの顔を覚えるときに一度止まった、あの止まり方だった。止まって、動いた。動いた目がエルドの顔を長く見た。琥珀の目を。婚礼の日、この人は父の目を見ている。父の目と同じ目を、いま、見ている。
◇
「ならば」
誓約主は言った。
「早めるだけだ」
供の一人へ、顎が動いた。
供が壁際へ歩いていった。歩いて、広間の戸の脇に立って、外へ何かを言った。
戸が閉まった。
外からだ。重い木の音が低い天井の下で一度鳴って、それきりだった。閂の音が、戸の向こうで落ちた。
二十の槍が下りた。
穂先が四人を囲む。離宮と同じ形だ。形だけが同じだった。あの広間では自分たちは縛られていた。この広間では誰も縛られていない。壁際の二十も。この四人も。
誓約主は座ったままだった。
座ったまま、杖を膝に置いて、机の上の三つを見ていた。書状。写し。帳面。取らなかった。取る手はいつでもある、という顔だった。
「お前の的は、この床の下だ」
誓約主は言った。
「始祖が最初の口上を唱えた石の間は、この広間の下にある。七年、私はこの上に座って、お前が空になるのを数えていた。下りられるなら、下りてみよ。下りる口はこの部屋にある。二十と、私が、その間にいる」
エルドは床を見た。
擦り減った黒い石。何百年、人が歩いた床。その下に、あの人の言う格子がある。万の民の預けたものが、凝って。父の顔はまだ、ある。母の茶の匂いはまだ、ある。四度と五度目の入った匂いのままで、ある。
レイフが後ろで革袋を担ぎ直した。セシルの剣が鞘の中で一度鳴った。マグダが隣で外套の前を開けた。開けて、何も言わなかった。
戸は閉まった。的は床の下だ。……四人で、来た。




