第15話 白の騎士
朝の点呼で、セシルは今日も装備を規程どおりに数えた。
直剣、小盾、捕縄が二本、笛、認め状、路銀の袋。六つ数えて、鞍帯を検めて、最後に胸元の徽章を布で拭く。大誓約教会、誓約騎士団。白い制服にこの徽章を着けて、今年で四年目になる。
「セシル。おまえのその数えは、朝の祈りより長い」
年嵩の同僚が、馬上であくびまじりに言った。三騎での巡察も、ひと月を過ぎた。
「規程の第七条です。装備の検めを怠った騎士は、民の信を検められない」
「……教本どおりに育つと、おまえみたいになるのか」
「褒め言葉として受け取ります」
もう一人の同僚が吹き出して、隊列が動き出した。からかわれていることは、彼女にも分かっている。三騎のうち、女は彼女ひとりだ。分かった上で、直す気はなかった。誓約騎士は、誓いの証を身に帯びて民の前に立つ。その姿が緩めば、誓いそのものが緩んで見える。そう教わったし、いまも正しいと思っている。
三騎が追っているのは、人殺しでも野盗でもない。
誓いを騙る者たちだった。
この春から、中部の街道筋で同じ手口が続いている。誓約に縁のない堅気を選び、出鱈目の文句を唱えさせ、破れば紋が焼けると脅して銭を毟る。被害の届けは、分かっているだけで十一件。実の数は、その倍を下るまい。騙られた者の多くは、恥じて届けを出さないからだ。
昨日は、足取りを追って山側の枝道まで登った。騙りの一味が山あいの村々へ向かったという報せは、結局のところ空振りだった。村はどこも祭りの支度と堰の普請の話でもちきりで、よそ者の影は薄い。収穫といえば、枝道の坂ですれ違った旅人の一組くらいのものだ。
思い出して、セシルは手綱を握り直した。
三人連れだった。姉御肌ふうの女と、大きな男と、若い剣士。旅装は目立たず、荷は少なく、道を譲る作法にも険がなかった。どこにでもいる旅の者たち——のはずが、セシルの目は、若いほうの剣士の腰で止まった。細身の長剣。使い込まれた柄。そして、剣の据わりに寸分の遊びもない、静かな立ち方。
紋が、なかった。
手の甲にも、覗く手首にも。あれだけの得物を提げて、叙任の紋も、傭兵の請負の紋もない。剣士の手が白いままというのは、騎士の目には、かえって落ち着かない眺めだった。
「どうした、セシル」
「いえ。……何でも」
何でもない。ただの旅人だ。そう片づけたはずの眺めが、ひと晩たっても、目の奥に残っていた。
◇
祭りの町の一つ手前の宿場に、三騎が入ったのは夕方だった。
同僚の二騎は、頭目の足取りを検めに荷継ぎ場へ回った。この一味は三人。うち頭目格の男は、偽の立会状——教会の登録を騙る書き付けまで持ち歩いているという。騙りの中でも、性質が悪い。セシルは宿場の顔役に触れを回すため、一人で通りに足を向けた。
夕暮れの宿場は、祭りへ向かう旅人で混んでいた。
その雑踏の奥で、悲鳴が上がった。
「——刃物だっ」
人垣が割れる。セシルは駆けた。割れた人垣の先、荷車の陰の薄暗がりで、男が二人、組み合っていた。一人は頬に傷のある痩せた男で、手に山刀。もう一人は——あの、紋のない剣士だった。剣士は剣を抜いてすらいない。鞘ごとの剣で山刀を受け、柄頭で男の手首を打ち、刃物が石畳に落ちる。
頬傷の男が、セシルの白い制服を見つけた。
「き、騎士様っ、助けてくれっ。こいつは辻強盗だ、俺の路銀を狙って、いきなり」
男は転がるように、セシルの後ろへ回り込んだ。
嘘の匂いはした。した、が。
「双方、動かないでください」
セシルは規程どおりに立った。人垣の中の刃傷沙汰。まだ、片方の言い分しか出ていない。ならば、まず双方の得物を預かり、詰所で言い分を検める。それが順序だ。
石畳に落ちた山刀を、足で自分の側へ引き寄せた。屈まずに引いて、拾い上げ、腰の後ろに差した。目は、二人から離さない。
「一つ、預かりました。……そこの方。剣を、こちらへ」
「……お断りします」
剣士は、静かに言った。息ひとつ、乱れていない。
「刃を抜いたのはこの男で、私は止めただけです。得物を捨てる謂れは、この男にはあっても、私にはない」
「言い分は、詰所で伺います。得物を預けることと、罪を認めることとは、別です」
「存じています。それでも、剣は渡せません」
理屈の通った拒みかたが、かえって引っかかった。やましさの匂いとは、少し違う。だが騎士の命令に従えぬ事情がある、という匂いは、確かにした。
「では、規程により」
セシルは剣を抜いた。刃の平で打つ間合いの、捕縛の型。誓約の恩恵が、腕に乗る。叙任の誓紋がもたらす膂力が、この細腕に宿っている。得物を叩き落とし、組み伏せ、縄を打つ。見習いのころから、幾百回と繰り返した型だった。
最初の一打が、空を切った。
正しくは、切らされた。鞘ごとの剣が、打ち込みの腹を撫でるように受けて、力の行き先ごと外へ流したのだ。二打目は手首を狙った。読まれていた。三打目の胴払いは、半歩の後退と、鍔元での受けで殺された。恩恵の乗った打ち込みを、真っ向から受ければ、並の剣士は腕ごと持っていかれる。この男は、真っ向から受けない。力の来る道を先に読んで、道のほうをずらしてくる。
四合目で、セシルは気づいた。
相手は、一度も打ってこない。
受けて、流して、外して——それだけだ。踏み込めば下がり、囲えば回る。攻めの意思が、剣のどこにもない。なのに、崩せない。まるで、水を斬っているようだった。
「……なぜ、打ってこないのです」
「打つ理由が、ありません」
剣士の声は、立ち合いの最中だというのに、平らなままだった。
「あなたは務めで動いている。私は、罪を犯していない。……どちらも正しいなら、どちらかが倒れる立ち合いにする理由が、ない」
その言葉の途中だった。視界の端で、後ろに庇っていたはずの頬傷の男が、そっと人垣の切れ目へ動いた。逃げる——セシルが踏み直すより早く、男は雑踏へ走り込み、そして、走り込んだ先で、壁にぶつかったように止まった。
壁ではなかった。大きな男が、いつの間にかそこに立っていた。あの三人連れの、大きいほうだ。大男は逃げてきた頬傷を見下ろして、静かに一歩、間合いを詰めた。それだけで、頬傷は石畳に尻餅をついた。
「——おやおや。往来のど真ん中で、白い騎士様と、うちの若いのが盛大にやってるじゃないか」
人垣を掻き分けて、姉御肌の女が現れた。女は尻餅の頬傷を一瞥して、それから、心底うんざりした顔をした。
「またあんたかい」
「げっ」
頬傷の顔から、血の気が引いた。女は構わずセシルへ向き直り、親指で男を指した。
「騎士様。そこの頬傷はね、三つ北の宿場で、誓いを騙って堅気の兄さんから銭を毟ろうとした男だよ。月と星にかけて、なんて出鱈目の文句でね。あたしが潰した口だから、面は忘れちゃいない。……そっちの若いのは、うちの連れだ。刃物を先に抜いたのがどっちかは、この人垣の誰にでもお訊きよ」
人垣のあちこちから、声が上がった。刃物はそっちの男が先だ、旅の人は止めただけだ、荷車の陰に連れ込もうとしてた——。
セシルは、剣を納めた。
納めて、息をひとつ整えた。型が乱れたのではなく、読みを違えた息だった。
「……失礼しました。規程により、双方の言い分を検める必要があったとはいえ」
「規程なら仕方ないね。宮仕えってのはそういうもんだ」
女は笑って、それから頬傷の襟首を、慣れた手つきで掴み上げた。
「ほら、騎士様。獲物だよ。縄は打てるんだろ」
◇
頬傷の男は、宿場の詰所の柱に繋がれた。
同僚の二騎が駆けつけて、調べは夜までかかった。男は観念が早かった。問われるままに吐いた中身は、セシルたちの読みと重なっていた。一味は三人。手口は誓い騙り。そして頭目は、偽の立会状を懐に、ひと足先に祭りの町へ向かった——人が集まるところに、獲物も集まるからだ。
「祭りの町、ですか」
セシルは、詰所の外の焚き火に目をやった。
火のそばに、あの三人がいた。調べの証人として残ってもらったのだ。大男は火の番をして、女は詰所の役人相手に、騙りの手口を講釈している。あの女の講釈は的確すぎて、途中から役人が筆記を始めたほどだった。素人の目端とは思えない。かといって、どこの筋とも知れない。
そして、あの剣士は、焚き火の脇に静かに座っている。
セシルは歩み寄った。夜気の中で、焚き火が爆ぜた。
「先ほどは、失礼をしました。……それと、御礼を。あの男を止めたこと。それから、立ち合いで、こちらを傷つけずにいてくれたことも」
「務めで抜いた剣に、詫びは要りません」
剣士は顔を上げた。焚き火の明かりで、初めてまともに目が合った。琥珀の色の目だった。夕暮れの薄闇では、分からなかった色だ。
「ひとつ、伺っても」
セシルは、我慢がきかなかった。
「あなたの剣は、どこで習ったものですか。私の打ち込みには、誓約の恩恵が乗っています。それを四合、道ごと外された。あんな受けは、騎士団の教練でも見たことがない」
「……剣の師が、一人。それだけです」
「叙任は。その腕で、紋のない手は、もったいない」
剣士の目が、ほんの一瞬、焚き火のほうへ逸れた。
「誓う機会に、恵まれませんでした」
嘘の匂いは、しなかった。ただ、その言い方の底に、蓋をした井戸のような深さがあって、セシルはそれ以上、桶を下ろせなかった。
「……騎士様は」
かわりに口を開いたのは、講釈を終えた女だった。杯——詰所の白湯だ——を手に、焚き火の輪に割り込んでくる。
「ずいぶん熱心に、騙りなんぞを追いかけるんだね。教会の白いのってのは、もっと大きな式だの祭だのの警固で、ふんぞり返ってるもんだと思ってたよ」
「騙りは、誓いへの冒涜です」
セシルは、背筋を立てた。
「誓約は、この国の土台です。誓いは破れない——その信が、和睦を保たせ、契約を守らせ、戦のない世を続かせている。騙りは、その信を銭に換える。あれを放っておけば、民は誓いを疑い、疑いは土台を蝕みます。ですから、騎士団は騙りを追う。祭りの警固より、こちらが先です」
「ご立派なことで」
女は杯を傾けた。傾けてから、笑いを消さないまま、こう続けた。
「けどね、騎士様。あたしはこの街道で、誓いさまさまの世の中の、裏側も浚って生きてきたんでね。……誓いは破れない。結構。じゃ、破れない誓いに、飯の種にされてる連中がいるのは、ご存知かい。縛られた口。縛られた足。誓いってやつは、守る値打ちのないものまで、律儀に守らせるよ」
「それは——」
セシルの声が、思ったより尖った。
「それは、誓いの罪ではありません。誓わせ方の罪です。誓いは道具ではなく、礎です。礎の上に何を建てるかを誤るのは、人のほうで」
「おや。言うじゃないか」
「教本のとおりです」
「教本ねえ。……あんた、その教本の頁の外を、歩いたことはあるかい」
「毎日、歩いています。今日も、頁の外で騙りを縛りました」
女が、目を丸くした。丸くして、それから、今夜初めて、皮肉の混じらない声で笑った。焚き火の向こうで大男の肩が揺れ、剣士が短く息を抜くのが見えた。笑われた理由は、セシルには分からなかった。分からないが、悪い笑われ方でないことだけは、分かった。
「……口の減らない騎士様だ。気に入らないね」
「奇遇です。私も、あなたのような方を何と呼ぶべきか、教本で習っていません」
「マグダでいいよ」
女は、ひらりと名乗った。名乗り返す作法として、セシルも胸に手を当てた。
「誓約騎士団、巡察のセシルです」
剣士と大男は、名乗らなかった。女——マグダが、旅の者だよ、人捜しの、と二人ぶんまとめて片づけ、二人もそれを訂正しなかった。旅の者が名を惜しむのは、珍しいことでもない。それでも、セシルの目は、また剣士の白い手の甲に落ちた。
◇
翌朝、詰所の前で、二つの道行きが並んだ。
セシルたち三騎は、頭目を追って祭りの町へ。捕えた頬傷は、後続の教会の護送に引き継ぐ。そして、あの三人連れも、荷を担いで南へ向かうところだった。
「祭りの町へ、ですか」
「ああ。人捜しの続きでね」
マグダが答えた。セシルは、馬の鼻面を撫でながら、少し考えて、言った。
「では、道は同じです。……頭目は偽の立会状を持っています。教会の登録を騙る書き付けです。祭りの雑踏で、それを振り回すかもしれない。もし見かけたら——」
「教えてやるよ。商売敵だからね、騙りは」
「商売敵?」
「あたしの顔検めは、本物しか扱わないんでね」
どういう商売だ、と思ったが、追及はやめておいた。この女に問いを重ねると、答えの代わりに皮肉が倍になって返ってくることは、ゆうべ一晩で学んでいる。
三騎が先に発った。
街道を南へ。朝日の中に、祭りの町の川霧が、遠く白く見えはじめる。セシルは一度だけ振り返った。三人連れは、ゆっくりと、同じ道を歩いてくる。姉御と、大男と、紋のない剣士。
琥珀の目。読まれた四合。蓋をした井戸。
旅の者など、この街道に幾らでもいる。関わりが済めば、忘れていい顔たちだ。……そのはずなのに、セシルの目は、もう見てしまっていた。見たものを見なかったことにできない目は、騎士団では美徳と呼ばれ、母には損な性分と呼ばれてきた。
どちらが正しいかは、たぶん、祭りの町で分かる。




