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雪解けを待つ街で  作者: 一之瀬 樹
第三章 正しくしていれば
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八話 写らなかった一件

 二〇〇一年の八月に、私はもう一度この街に降りた。


 三度目の八月だった。一度目は来る八月で、二度目は帰る八月で、三度目がまた来る八月だ。同じ月に三回、私は鞄を二つ持って空港にいたことになる。


 査証は郵送で下りた。旅券を送って、待って、返ってきた。二年前と同じやり方だった。呼ばれることも、誰かと話すことも、一度もなかった。


 寮には入らなかった。院生は入らない。大学から少し離れた安い部屋にした。上着は鞄の底から出して、押し入れの上に上げた。八十九ドル九十九セント。日本の押し入れで一冬眠っていたやつだ。こちらの押し入れのほうが、あれには合っていた。


 三週間して、街から声が減った。


 人が減ったのではない。声のほうだ。食堂でも、廊下でも、大きな声を出す人がいなくなった。何日かして、それは戻った。戻らなかったものが、いくつかあった。


 その一つが、書類の話だ。それまで、誰もしなかった。一度目の一年のあいだも、戻ってきてからも、私は自分の在留資格――この国にいてよいと認められる資格のことで、種類があり、種類ごとにできることと許される長さが違う――を、人に言ったことがない。誰も訊かなかったし、私も訊かなかった。学位は四年だとか、一年で帰るとか、小さいころ家族と来たとか、口に出るのはそういう話で、そのうしろにあるものの名前を、誰も言わなかった。


 秋のあとから、言うようになった。


 更新はいつだ。あれはもう出したか。廊下でそういう言い方が聞こえるようになった。声は小さかった。小さくても、前には無かった音だ。


 ウェイと同じ学科になったのは、その秋だった。


 私と同じ院生で、私と同じように授業料を免除され、暮らす分をもらい、その代わりに教える手伝いをしていた。年は少し下だったと思う。訊いていない。彼が話すのは、寒いとか、バスが来ないとか、その週に読む量が多いとか、そういうことだった。


 分からないところを訊いたのは、たいてい彼にだった。彼は学部から会計をやってきている。私は経済のほうから入り直した側だ。同じ課程にいて、土台の厚みが違う。訊けば、彼は短く答えた。答えたあとで、なぜそうなるのかを、訊いていないところまで紙に書いた。紙なら、私は持って帰れた。


 私が返せるものは、ほとんど無かった。車の無い者どうしで、冬の朝に同じ道を歩いた。それくらいだ。


 私たちは書類の話をしなかった。二人ともあの音を聞いていたはずだが、しなかった。話さないことのほうが、二人には自然だった。


 課程は二年で、初めの年に足りない科目が入っていた。学部で会計をやってきた者は、そこを飛ばして先へ行く。私は飛ばせない。同じ教室に、四年やってきた者と、その年に初めて会計の教科書を開いた者とが並んで座っていた。


 教える手伝いというのは、実際には採点だった。学部の授業の答案を、決められた枚数、決められた日までに見る。合っているか、合っていないかを見る。合っていないものには、どこで合わなくなったかを書く。


 時間はいつも足りなかった。免除は授業料までで、暮らす分は暮らせるだけしか出ない。校内で働ける時間には上限がある。足りない分は、寝る時間から出した。ほかの埋め方は、してはいけないことになっている。


 二〇〇三年の一月に、仕組みが変わった。


 それまで、学生が在学しているかどうかを国が知る道は紙だけだった。学校が書き、本人が持ち、要るときに出す。一月から、学校が電子で報告することになった。誰が在学していて、誰が何単位取っていて、誰が辞めたか。学校の側が、その都度、送る。


 新しく始めるので、前からいる者の分は、手で入れ直すことになった。


 私は自分の記録を確かめに行った。合っていた。三つの欄を、私は指で押さえて読んだ。日付と、単位と、課程の終わりの日だ。どれも合っていた。


 ウェイのは、合っていなかった。


 一年目の秋、彼は一つの学期だけ、取る単位を減らしている。減らしてよい場合は決まっていて、当てはまるなら学校が先に許可を出す。彼は許可をもらっていた。紙をもらって、持っていた。


 その学期が、移した先では単位の足りない学期になっていた。


 その許可があると知っているのは、学校の中だけだった。移すときに、その一件が写らなかった。それだけのことだ。


 私は彼の部屋で、その紙を一緒に読んだ。


 人の書類を見たのは初めてだった。自分のを見せたのも初めてだ。二人で開いて並べて読むというのは、そういうことをする間柄だから、ではない。ほかにやりようがなかったからだ。


 紙のほうは正しかった。日付も、署名も、当てはまる決まりの番号も、全部そろっていた。私が読んでも、彼が読んでも、正しかった。


 正しいことと、直ることは、別だった。


 窓口へ行った。窓口の人は紙を見て、こちらの記録は正しい、と言った。そのとおりだった。だが送ったあとの側を、この人は書き換えられない。送り直す手続きがあり、それには順番があり、順番には時間がかかる。


 時間がかかるあいだ、彼は在学していないことになっている。


 在学していない者は働けない。働けないというのは、教える手伝いができないということだ。手伝いができなければ、その代わりの免除も、暮らす分も止まる。止まれば授業料が払えない。払えなければ在籍できない。在籍できなければ、記録のほうが本当になる。


 輪ではなかった。輪なら、どこから入っても同じところに戻る。これは階段だった。一段ずつ下りる。下りたところから上がる道は、書いてはあった。申請して、待って、認められれば戻れる。認められるとは書いていなかった。


 誰も悪くなかった。


 紙を書いた人は正しく書いた。移した人は何千件を移して、そのうちの一件を落とした。窓口の人は自分にできることをした。教える人は驚いて、手紙を書いた。手紙は効かなかった。効くところに宛てられていなかったからだ。


 悪い人が一人もいないというのが、いちばん怖かった。


 悪い人がいるなら、説得するか、上に言うか、待てば替わる。誰もいないなら、待つしかない。待っているあいだ、階段は下りていく。


 二月に、ウェイは来なくなった。


 最後に会った日、彼は借りていた本を返した。それだけだった。次の週、部屋にいなかった。その次の週も、いなかった。


 誰も何も言わなかった。教える人も、名簿も。名簿からは、ただ一行が無くなっていた。無くなった行のあとは、詰まっていた。前からそういう並びだったように見えた。


 私は自分の記録を、もう一度確かめに行った。合っていた。


 合っている、というのは、いま合っている、というだけのことだった。

 この話の仕組みについて、少しだけ補足します。


 前からいる人の記録を手で入れ直す作業は、数が多く、期限も決まっていました。写し落としや打ち間違いが出ます。


 学生が取る単位を減らせるのは、病気や、その学期にどうしても科目が揃わない場合など、決まった事由に当たるときだけです。


 記録の上で在学が切れたものを元に戻すには、復権の申請をします。審査には数か月かかり、手数料が要り、認められる保証はありません。そのあいだに、授業料を払う手立てのほうが先に無くなることがあります。


 ここに書いたのは二〇〇三年ごろの話です。


 この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。

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