四話 上着
十一月の中ごろには、朝に降りた霜が昼まで解けなくなった。
八月に窓を開けて感じたあの冷たさは、朝のうちだけのものだった。九月の終わりごろから、それが正午を過ぎても引かなくなった。教える建物までの十分の道で、木の葉が週ごとに減っていき、十月のうちに全部なくなった。寮の暖房が入ったのも十月の半ばで、窓の下の鉄の箱が夜のあいだ低く鳴るようになった。
十一月の寒さは、日本で私が知っているものと種類が違った。湿っていない。まとわりついてこない。風のある日は、外に出てすぐ耳が痛くなった。歩道の土のところは硬くなって、靴の裏で音が変わった。手袋をしていない指は、十分の道の終わりにはうまく曲がらなかった。
着いて三か月がたっていた。
討論の授業は、三十回のうち二十四回が終わった。残りは六回だ。一回目から、一度も飛ばさずに数えてきた。
二十四回のうち、私が口を開いたのは四回だった。部屋が割られたのも、四回だった。教える人が、三人ずつでやれと言う日がときどきある。そう言われると四角い机が崩れて、見なければならない顔が二つに減る。三人なら、誰かが言い終わってから次が始まる。その間に、私は自分の二十秒を置くことができた。
割られなかった二十回では、一度もない。部屋が変わった日にだけ、私は喋った。私の側は変わっていない。プリヤは、割られようが割られまいが喋っていた。
その週の終わりに、アブディが私の格好を見た。
私は日本から持ってきた上着を着ていた。合わせが薄く、裏地がない。日本の十一月なら、これで足りた。彼は私の袖のあたりを見て、それから窓のほうを見て、また私を見た。
それでは無理だ、と彼は言った。
まだ大丈夫だ、と私は答えた。先週も同じことを言った。彼は首を振って、これはまだ冬ではない、と言った。それから、一月はこんなものじゃない、と言った。氷点下二十度という数字を言った。私はその数字を頭のなかで二度繰り返した。日本で私が知っている冬に、その数字はなかった。
彼はこの街の冬を、小さいころからいくつも越している。私は一度も越していない。数えられる長さを持っているのは、この前は私のほうだった。今度は逆だった。彼が持っているのは紙に印字された数字ではなく、越した冬のほうだ。
授業のない日に、私は街の中心の店へ行った。
バスの乗り方は九月に覚えた。それでも歩いた。歩けば、いくらまで出すかを決める時間が長くなる。
八月に渡った橋を、また渡った。同じ橋だ。あのときは風が抜けて気持ちがよかった。十一月の橋の上では、風は川の面から上がってきて、上着の合わせから中へ入った。途中で一度、風に背を向けて立ち止まった。指は袖の中に引っ込めた。水は八月より低いところを流れていて、色が濃かった。渡りきるのに五分ほどかかるのは、八月と同じだ。その五分は長かった。
店は八月と同じだった。ただ、八月には無かった棚がいくつも出ていた。厚いものが積んである棚だ。
上着は奥にあった。同じような形のものが、色違いで何列も掛かっている。私は袖を持って厚みを比べ、裏の札を見た。
二つに絞れた。
薄いほうは四十九ドル九十九セント。厚いほうは八十九ドル九十九セント。持ち上げると重さがはっきり違った。厚いほうは襟が高く、立てると顎の下まで隠れた。
橋の上で、薄いほうは一度消えていた。棚の前で、また戻ってきた。金のほうが強かった。
差は四十ドルだった。八月にこの店で使った額と、ほぼ同じだ。
持ってきた金は減っている。寮費は一年ぶん先に払ってあるし、食事はその寮費に入っている。減ったのは教科書と、細かいものの分だ。残りのうちいくらかは、帰りの航空券に要る。行きの券にいくら払ったかは覚えている。同じくらいの額を残しておかなければ、私は帰れない。
四十ドルの差は、券の値段を変えない。変わるのは、券を買ったあとに手元に残る分だ。
私は厚いほうを取った。手袋と帽子も要ったが、その日は上着だけにした。
精算では何も訊かれなかった。袋のことも訊かれなかった。上着は袋に入る大きさではなかったからだ。係の人が値札を切ってくれた。私はその場でそれを着た。
外に出ると、もう暗くなりかけていた。十一月のこのあたりは、夜になるのが早い。八月に、夜になるのが遅いことを知ったのと同じ道だった。
橋の上では、行きと同じ風が吹いていた。行きと違って、それは中まで入ってこなかった。私は襟を立てた。顎の下まで隠れた。
歩きながら、自分に一つ訊いた。なぜ厚いほうを買ったのか。
寒いからだ、と答えられる。だが、今日の寒さなら薄いほうでも歩けた。私が知らないのは一月のほうだ。氷点下二十度がどういうものなのか、見当がつかない。見当がつかないなら、足りるほうを買うしかない。それが理由だ、と一度は思った。
襟のことも考えた。立てれば顎の下まで隠れる。だが、薄いほうにも襟はあった。
橋を渡りきったところで、本当の理由が出てきた。
私は店で、一冬なら薄いほうでも足りるかもしれない、と考えていた。そう考えたということは、一冬ではないかもしれない、とも考えていたということだ。
二度目の冬を、私は数えていた。
立ち止まらなかった。歩いているあいだは、それを言葉にしないで済む。
部屋に戻ると、アブディはいなかった。扇風機は箱に戻されて、机の下に押し込んであった。窓は閉まっていた。私は上着を椅子の背に掛けて、その前に座った。
紙には一年と印字されている。着いて三か月が過ぎた。数字は動いていない。動いたのは私のほうだ。
残ることができるのかどうかを、私は知らなかった。ここに来る前、私は表を何度も読んだ。在留資格――この国にいてよいと認められる資格のことだ――の種類と、種類ごとに許される長さが並んでいる表だった。長さの違う欄が、いくつもあった。だが、一つの欄から別の欄へ移る道が書いてあったかどうかは、覚えていない。読んだときの私には、要らない行だったからだ。
大学のどこかに、それを扱う窓口があるはずだった。私は行かなかった。訊くというのは、残りたいと言うことだ。まだ何も決まっていないうちに、それを口に出してしまうことになる。
それに、許されるのかどうかも分からなかった。授業料は日本の大学が払い、こちらでは払わない。つまり、私がいま座っている席は、私が買ったものではない。私の代わりに選ばれなかった誰かがいて、その人はここにいない。一年という取り決めで、私は来た。取り決めを片方が勝手に伸ばすことは、できない。
帰れば、私は日本の大学に戻る。窓際の、後ろから二番目の席に座る。傷のある側が窓を向く席だ。慣れるのに三年かかったその席で残りを済ませて、卒業して、それから働く。
どういう働き方になるかの見当は、ついていた。日本にいたころ、私は練習場で球を拾っていた。打席には出ない。客のいる側の仕事は、私には回ってこなかった。誰も理由を言わなかったし、私も訊かなかった。そういうものだと思っていた。
一度だけ、例外があった。
休憩のとき、私は控室の隅で冊子を読んでいた。ラジオの英語講座の、月ごとの薄いやつだ。放送は夜で、聞き逃した回を字で追っていた。始めたのは受験のためだが、続いたのは面白かったからだ。ラジオには顔がない。喋る人の顔も、聞いている私の顔も、どちらからも見えない。順番を取らなくていい会話が世の中にあるのだと、そこで知った。
それを見ていた人がいたらしい。ある日、外国から来た客に、応対できる者がいなかった。私が呼ばれた。英語ができるのだろう、ということだった。
できたわけではない。相手の言うことは半分しか取れなかった。それでも、球の借り方と打席の場所は伝わった。相手は待った。
そのあいだ、誰も私の顔を見なかった。
終われば私は球を拾いに戻った。あの冊子を、私は五年ぶん買っている。一冊は昼の食事より安かった。私に買えたのは、それだけだった。
帰れば、たぶん同じことがもう一度ある。今度は、生きていくための仕事のほうで。あの何分かは、五年で一度きりだった。
この国では、私の顔は入国審査で一度だけ正面から見られた。二分もかからなかった。それきり、誰も見ていない。
その夜、雪が降った。
夜中に目が覚めた。窓の外が明るかったからだ。街灯の光の輪のなかを、白いものが斜めに横切っていた。音はしなかった。日本で見た雪はもっと重く落ちて、地面で溶けた。これは落ちるというより、横へ流れているように見えた。
この街では初めての雪だった。日本でも雪は見ている。降れば、そのうち消えるものだった。
隣のベッドから、規則正しい息の音が聞こえていた。それはいつのまにか、この部屋の音の一つになっていた。
椅子の背の上着が、街灯の色で暗く見えた。八十九ドル九十九セント。一冬で使い終われば、高い買い物だ。二冬使えば、半分になる。
どちらになるのかを決めるのは、私ではなかった。
窓の外では、雪がまだ降っていた。
それは消えなかった。この街では、いったん積もった雪は春まで動かない。私が次に地面を見たのは、三月の終わりだった。
この話の寒さについて、少しだけ補足します。
ミネソタは、アメリカの冷凍庫と呼ばれることがあります。十一月でも、ふつうの年で昼の最高気温が数度、朝は氷点下です。秋は雨が少なく、空気がよく乾いているので、同じ気温でも日本の冬より寒く感じます。十一月のミネアポリスは、東京の一月より寒いと思ってください。
そして、ここからが長い。氷点下二十度まで下がるのは一月と二月です。
初めての雪が降るのは、十一月の半ばごろ。気温が戻らないので、その一度目がそのまま残ります。日本語でいう根雪です。四か月あまり、地面の色を見ないことになります。
ここに書いたのは一九九九年ごろの、ふつうの年の話です。




