三十一話 打った数
五月のあと、籠が一つでは足りなくなった。二つ買うと、二つとも空になった。三度目に行ったとき、私は数えるのをやめた。
六月に、コースへ連れて行った。
パブリックコースというのは、誰でも予約して回れる場所のことだ。会員も、紹介も要らない。市や郡が持っているものが多く、値段はそのぶん下がる。私が出ていたのは、そういうところだった。
子どもの料金がある。歩けば、さらに下がる。カートは借りなかった。
九ホールにした。十八ホールは長い。八歳のときに十度空を切った子が、いきなり四時間は持たない。
私がコースを回るようになったのは、この国へ来てからだ。日本では回っていない。網の内側を歩いて球を拾っていて、打席には出なかった。
この国では、打席に出てよかった。
初めのころは、朝のいちばん早い時間に出ていた。人がいない。値段も安い。安いからだ、と私は自分に言っていた。二十年目の夏になっても、まだ早い時間を取っている。
クラブは一揃い持っていない。要るものだけを何本か、バッグに入れて担ぐ。年に何回か、夏のあいだだけだ。冬にドームへ行かなくなってからは、そのぶんも減った。
直美と行った日は、夕方にした。六月のこのあたりは、夜になるのが遅い。六時を過ぎても、まだ昼のような明るさがある。
その時間になると、蚊が出る。日が傾いてから、草の低いところに湧く。腕と首に虫よけを塗って、直美にも塗らせた。塗っても、耳のそばで音がする。
一番ホールで、私は数え方を教えた。打った数を数える。当たっても、当たらなくても、振ったら一つ。入るまで数えて、入ったら書く。
スコアカードは、受付でくれる。小さくて、升目が並んでいる。
直美は自分で書きたがった。書かせた。字は大きくて、升目からはみ出した。
九ホール回って、書き終えるまでに、二時間近くかかった。
練習場と違うところが、一つあった。
練習場では、どこへ向かって打つかを考えなくてよい。前は全部前で、遠くへ行けばそれでいい。ここでは、向かう先が決まっている。ピンが立っていて、そこまでの間に木があり、バンカーがあり、低いところに池がある。
ピンは、初めのうちは見えない。ホールが曲がっているので、打つ場所からは木しか見えない。
直美が、どっち、と訊いた。
私は、あっち、と言って指した。それで足りるかどうかは、指してから考えた。
持ち方なら、手の形を作って見せられる。足の幅も、地面に線を引ける。どっちへ打つかは、見せるものが無い。
説明は短くした。長く言っても入らない。それは前の年に分かっている。
この国へ来てから、私が数えてきた数は、どれも先へ向かっていた。あと何か月で切れるか。何日で届くか。届かなければどうなるか。数えるのは、届くかどうかが分からないからだ。分かっているものを、人は数えない。
打った数は、後ろを向いている。
打ってしまったものを数えるので、増えることはあっても、減ることはない。そして九ホール終われば、そこで終わる。次の週に持ち越さない。持ち越すところが無い。
升目の下に、足した数を書く欄がある。書けば、その紙は済む。
私はそういう紙を、この国で受け取ったことがない。
前の組がいた。後ろの組も来た。
打つ前に、前の組が抜けるのを待つ。待っているあいだ、後ろの組が同じように待っている。三組が縦に並んで、順に動く。
直美は待つのが嫌ではないようだった。待つあいだ、草を抜いたり、ピンのほうを見たりしていた。
私は待つのが嫌ではない。ただ、待つあいだは見られている。前の組が振り返る。後ろの組は、初めからこちらを見ている。当たらなければ、それも見える。
直美は当たらなかった回のほうが多かった。当たらないたびに、後ろへ手を振っていた。後ろの組の男が、手を振り返した。
私は、そういうことをしたことがない。
三番ホールで、隣が見えた。
同じ時間に、子どもが十人ほど並んでいた。大人が二人ついていて、順に打たせている。並び方が決まっているので、教わっている組だと分かった。
私は顔を数えた。癖だ。十人のうち、六人か七人が、私と同じ側の顔だった。
この街の子どもの割合ではない。ゴルフをしている子どもの割合でもないはずだ。この時間の、この値段の場所の割合だった。
どの子も、道具は揃っていなかった。クラブの数が足りない子もいたし、バッグが大人用の子もいた。担いでいる子と、引いている子がいた。
親は少し離れたところに立っていた。並んでいる子の数より少ない。何人かは、車のところで待っている。
私はその一団を、一つの組が抜けるあいだ見ていた。順に打って、順に下がる。下がった子は、次の子の後ろに並び直す。
直美が、あれは何かと訊いた。日本語で訊いたので、日本語で答えた。
教わっているんだ、と私は言った。
返ってきたのは英語だった。私も出たい、という意味のことを言った。
私は、いいよ、と言った。それだけ言って、次のホールへ歩いた。
家に帰って、調べた。夏のあいだ、子どもに教える組がいくつかある。市が回しているものと、コースが自分でやっているものがあって、値段が違う。安いほうは週に一度で、夕方の一時間だった。
申し込みの用紙があった。生まれた日。学年。前に習ったことがあるか。
締切は七月の初めだった。
私はその紙を印刷して、机に置いた。それから引き出しを開けた。
三月に出さなかった紙が、まだそこに入っている。控えの束と同じ引き出しだ。四月からの分で、期限は三月の半ばだった。出さない、と決めた晩は無い。
同じ引き出しに、今度は出す紙が増えることになる。
絵美に見せた。予定表を上から下まで見て、その曜日は空いています、と彼女は言った。
それで決まった。出す紙は、期限の前に出した。いつもそうしている。
決まってから、私は数えはじめた。
この子に渡せるものが一つあって、それは日本で球を拾って覚えたものだ。持ち方。足の幅。どこを見ているか。渡せるのは、そこまでだった。
そこから先を、私は知らない。知らないところを、これから別の人が教える。
それでいい。私が渡せる一つは、日本で五年かけて覚えたものだ。この子は夕方の一時間で、その先を受け取ってくる。順番として、そうなるほうがいい。
ただ、私がこの子に教える回数は、そこで決まったのだと思った。
九ホール回った日の紙は、まだ台所にあった。升目からはみ出した字が並んでいて、下の欄に足した数が書いてある。
多い。初めてなので、多い。
直美はその数を気にしていなかった。書いたときも、書き終えたときも、見返していない。
いつまで気にしないでいられるのかは、私には分からなかった。
分からないまま、私はその紙を捨てなかった。
この子が持って帰るものは、置く場所が無くなってから、捨てるようになった。どれを残すかを決める手が、私には無い。日付が無い。番号も無い。同じものが二枚あるのかどうかも、見て分からない。残す分は、いつも先に手が伸びたほうになる。
この紙には、数が並んでいる。下に、足した数がある。
残す理由が、初めて紙の側にあった。




