二十八話 名前は一つ
九月に、直美が学校へ通いはじめた。
初めの日は、私も行った。九月なので、行けた。
建物の前に親が集まっていて、子が順に入っていく。入口のところで立ち止まる子と、止まらない子がいた。止まった子の親は、しゃがんで何か言っていた。
直美は止まらなかった。
五年前の春に、私は同じことをしている。今度は移すものが無い。自分で歩いて入っていくので、こちらの手は初めから空いている。
空いた手をどうすればよいのかは、五年前と同じで、その場では分からなかった。
しばらく、そこに立っていた。ほかの親も立っていた。誰も先に帰らないので、私も帰らなかった。戸が閉まって、それから何人かが動きはじめた。私も車へ戻った。
会社には、いつもより四十分遅れて着いた。九月なので、それでよかった。
最初の週に、紙が何枚か来た。その中に、年間の予定表があった。
九月から六月まで、一枚に収まっている。休みの日。短く終わる日。親が来る日。学年ごとの行事。面談の週。何かを見せる会。
私はそれを二度読んだ。
一度目は、日付を追った。二度目に、一月から四月の半ばに落ちるものを数えた。
六つあった。
この国へ来てから、私はいつも期限を数えてきた。切れる日があって、その前に出すものがあって、出せば次の日付が来る。数えるのは、いつも先へ向かってだった。届くかどうかが分からないから数える。
これは違った。
九月の時点で、二月に行けないことが分かる。二月はまだ来ていない。来ていないのに、決まっている。決めたのは私ではないし、動かせるものでもない。
数えても近づかないものを、私はこれまで何度も数えてきた。これは、数えなくても分かるものだった。
紙を畳んで、冷蔵庫の脇に貼った。貼ってから、印を付けた六つの上を、指でもう一度なぞった。
十月に、教室を見る日があった。夕方の一時間、親が入ってよいことになっていた。私は行った。十月なので、行けた。
机が低い。壁に紙が貼ってある。名前が並んでいて、その下にそれぞれの何かが貼ってある。直美の分を探して、見つけた。何を描いたものかは分からなかったが、名前は読めた。
部屋には大人が二人いた。
一人は前に立って、来た親に順に話していた。同じことを何度も言っているらしく、言い方が滑らかだった。もう一人は、後ろのほうで机を直したり、床に落ちたものを拾ったりしていた。子が何か言うと、そちらへ行った。
初めに、前の人が二人ぶんの名前を言った。後ろの人は、そこで一度こちらを向いて、それから机へ戻った。
家に来る紙には、名前が一つしか刷っていない。
その一つは、前に立っているほうだった。紙の下のほうに、教室のことは何でも訊いてください、と書いてある。その下も同じ名前だ。
もう一つの名前は、その晩に一度、声で通っただけだった。
私は後ろのほうの人を、しばらく見ていた。この人はどこから来たのか。何年いるのか。何の紙を持っているのか。
頭のほうが勝手に動いた。預ける先の部屋でも同じことをやって、分かるはずがないことを確かめている。今度も同じだった。
訛りは聞こえた。それで分かるのは、その人が別のところから来たということだけだ。この街の半分の人に当てはまる。
分かることは、もう一つあった。
毎日その部屋にいて、家へ来る紙のどこにも名前が載っていない。名前が無いのではない。刷られていないだけだ。
私は自分の書類なら、いつ切れて、次に何を出すかまで言える。人の書類のことは、何一つ言えない。言えないまま、形だけが見える。
声はかけなかった。かけて何を言うのかも、思いつかなかった。
十一月に、面談があった。親と先生が一対一で座って、二十分話す日だ。
私は行った。十一月なので、行けた。
机を挟んで座ると、紙を出された。読める。書ける。数える。並んでいる項目に、それぞれ印が付いている。
先生は上から順に説明した。私は聞いて、書き留めた。
日付。窓口。話した人の役職。言われたこと。
四つとも埋まった。
書類の話でそうなったことは何度もある。この子のことで四つとも埋まったのは、初めてだった。
そのころから、直美が学校のことを話すようになった。誰と何をしたか。何を食べたか。誰が泣いたか。家では日本語で話す。学校のことも日本語で話す。
名前だけが、そのまま向こうの音で出てくる。
誰々が、と言うところだけ音が変わって、前後は日本語のままだ。名前は訳せない。だから混ざる。混ざっているのは、そこだけだった。
一度、その子はどんな子か、と訊いた。直美は少し考えて、やさしい、と言った。それから、はやい、と言った。
何がはやいのか、と訊いた。
ぜんぶ、と言われた。
それで終わりだった。五つの子の説明としては、足りている。
十二月の終わりに、その年の四か月が近づいた。私は予定表をもう一度見た。六つのうち、二つは平日の夕方で、三つは平日の昼、一つは土曜だった。土曜のは、私の土曜ではない。一月から四月の半ばは、土曜も出る。
絵美に予定表を見せた。この六つです、と言った。二つは行けます。あとの四つは無理です、と。
彼女は紙を受け取って、上から下まで見た。それから、この二つは行きます、と言った。
あとの四つのうち三つは、こちらで行けます、とも言った。日付を見て言っている。彼女の出張は、月のうち何日かが先に決まる。決まっていない月のことは、言わなかった。
残りが一つになった。
どちらも行けない日が、二月の半ばにあった。
その年、会社が持ち帰ってよい機械を配りはじめた。
一緒に、セキュリティー・キーを渡された。中へ入るのに要るものだ。窓に数字が六つ並んでいて、しばらく見ていると、別の六つに変わる。入るときはその六つを打つ。打っているあいだに変われば、打ち直す。
期限のついたものなら、私はいくつも持ってきた。これがいちばん短い。
機械は引き出しに入れた。キーのほうだけ、持ち歩いた。
使う場面を、そのときは思いつかなかった。
その日は誰も行かない、ということだけが決まった。決まったのは十二月で、その日はまだ二か月先にある。
私は書き留めなかった。書き留めるようなことではない。日付はあるが、窓口が無い。誰にも言われていない。
二月の半ばが来て、その日は過ぎた。
その日のことを、私はその日には何も知らなかった。会社にいて、締めの数字を開いていた。
あとで紙が来た。その日にあったことが書いてある。子どもたちが何をして、何を見せて、何を歌ったか。写真も小さく刷ってあって、誰がどれかは分からない。
私はそれを読んだ。読んで、もう一度読んだ。
二度目のほうが、よく分かった。
紙は何度でも開ける。あの日は一度しか無い。
それは六年前の冬に知っている。人に一度だけやって見せてもらって、その晩から毎日やることになったときだ。
知っていて、私は紙のほうを二度読んだ。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




