二十五話 越さなくていい
五月から、私が迎えに行くようになった。
一月から四月の半ばまでは間に合わない。閉まる時刻に間に合うほうが行く、という決め方をしたので、その四か月はだいたい絵美になる。裏を返せば、残りの八か月は私が行ける。
行けるうちに行った。
名前を言うと、その日の紙が先に出てくる。何時に何を飲んで、何回替えて、どれくらい寝たか。時刻が並んでいる。初めのころ、私はそれを最後まで読んだ。夏に入るころには、上の三行だけ見るようになっていた。
読まなくなったのではない。並びを覚えたので、違うところだけが目に入るようになった。私の仕事はそういう読み方をする。合っている行は見ない。合わない行だけを見る。
その読み方が家に入ってきたことに、私はしばらく気づかなかった。
直美は、六月に寝返りを打った。七月に、支えれば座った。八月に、支えなしで座った。
どれも、紙に書いてあった。日にちも書いてあった。書いたのは私ではない。
九月に入って、私は紙を書いた。
冬に要るものだ。この子の分は、何も無い。去年の秋に用意したのは私たちの分で、生まれる前の話だった。
寝かせる場所も、座らせる椅子も、車に付ける器具も、あのとき三十分で埋めた紙に書いてある。冬のものだけが、その紙に無かった。
書き出して、順に埋めた。
埋まるのが速かった。
三十分もかからなかった。前の年の三十分とは、速さの種類が違っていた。あのときは、埋められるものだけが並んでいたから速かった。今度は、私が知っているから速い。
最初の雪は十一月の半ばに降る。降ったら、そのまま残る。気温が戻らないからだ。地面の色は、そこから四か月ほど見ない。
一月は別ものになる。氷点下二十度という数字がある。その数字が外れた年を、私は知らない。
外に出て何秒かで、耳と指の先が痛くなる。寒い、より先に、ほっぺが痛い、が来る。
春に解けるときは順番がある。車の通るところが先に出て、次が人の歩くところで、際に寄せられた分が最後まで残る。下から出てくるのは去年の秋の葉だ。
どれも、紙を見ずに書けた。
書き終えてから、私はその紙をしばらく見ていた。私がこの街の冬について知っていることは、全部ここに書ける。書けるようになるのに十一年かかった。
十一年前、私はこの中の一つも知らなかった。
持ってきた上着は合わせが薄くて裏地が無かった。日本の十一月なら、それで足りた。まだ大丈夫だ、と私は言った。二度言った。
教えたのはアブディだ。それでは無理だ、と言った。これはまだ冬ではない、とも言った。一月はこんなものじゃない、と言って、氷点下二十度という数字を出した。
あのとき私が持っていたのは、紙に印字された数字のほうだった。彼が持っていたのは、越した冬のほうだった。
いま、私も越した冬のほうを持っている。十。十一年いて、十だ。一つは日本にいた。
それを紙にして、私は店へ行った。子どもの冬のものは、大人のものと売り場が違う。並んでいるものも違った。厚さの表示が違い、寸法の刻みが細かい。私は棚の前で、書いてきた紙を出した。
紙は役に立たなかった。
書いてあるのは、この街の冬がどういうものかだった。棚の前で要るのは、この子の体にどれを着せるかだった。二つは同じ話ではない。
私は結局、店の人に訊いた。訊けば教えてくれる。教えてくれたことは、十分もかからずに済んだ。
十一年ぶんの知識は、そこでは一度も使わなかった。
使わなかったが、間違ってもいなかった。
この子は、冬を越さない。
越す、というのは、この街の人がする言い方だ。私は十年前にそれを聞いて、そういうものなのだと知った。越すには、その前に越していない状態がある。向こう側から来た者にしか、越すという言い方は要らない。
直美には、その前が無い。生まれたときからここにいる。氷点下二十度は、彼女にとって越すものではなく、ただ一月というだけのことになる。
私が持っているのは、この子が要らないものばかりだった。
では要るもののほうは、と考えて、そこで止まった。
私はこの国に着く側のことなら知っている。着いて、どこで詰まって、何を数えて、どう通ったか。全部書き留めてある。
ここで生まれた子に何が要るのかは、書き留めていない。書き留めようがない。私はそれをやったことがない。
十一月の半ばに、雪が降った。
その年の初めの雪だった。目安どおりだった。
夜だった。直美は起きていた。眠くなる時刻を過ぎているのに、眠らない日があって、その日がそうだった。
私は抱いて、窓のところへ行った。街灯の光の輪のなかを、白いものが斜めに横切っていた。音はしなかった。落ちるというより、横へ流れているように見えた。
十一年前、私は同じものを窓から見ている。夜中に目が覚めて、外が明るいので何かと思って起きた。あのとき私は、それが消えないものだということを知らなかった。
直美は窓のほうを見た。それから、私の襟のあたりを見た。それから、また窓を見た。
同じくらいの長さだった。
雪と襟を同じくらい見る子どもだった。この子にとって、外の白いものは、はじめてのものではあっても、越えてきた側のものではない。
私はそれを、少しのあいだ、惜しいと思った。
思ってから、惜しがるのは私の側の話だと分かった。あの晩の私は、これが消えるものだと思って寝た。消えないと知ったのは三月の終わりだ。間違えずに済む冬を渡せるなら、渡したほうがいい。
抱いたまま、私は話していた。
外は寒いこと。これが積もること。積もったら春まで動かないこと。三月の終わりに地面が出てきて、出てくるのは去年の葉だということ。
十か月の子に、そんなものが分かるはずがない。
言い終えてから、私は黙った。部屋は暗いままだった。
返ってこないと分かっている相手に、私は長く話していた。
この国へ来てから、私は黙るほうで通してきた。教室で言えなかった。食堂の机で言えなかった。仕事の場では、訊かれたことに答えるだけで足りたし、答えるだけで足りるように自分の立ち方を作った。名乗れば聞き返され、私は自分で先に短いほうを言うようになった。訊かれれば答えた。
黙らなかった相手は、この子が初めてだった。
何と言ったかは、翌日には思い出せなかった。書き留めてもいない。書き留めるようなことは、一つも言っていない。
どの言葉で話したのかも、私は考えなかった。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




