二十四話 いちばん長い時間
四月に、三つが同じ月に来た。
締めが終わった。あちらから受け付けの紙が来た。そして絵美の十二週が終わった。
三つとも別の暦から来ていて、たまたま同じところで重なっただけだ。それでも、並べれば同じ月に並ぶ。私はその月の紙を、一つの封筒に入れた。
預ける先を探すのは、三月から始めていた。空きがあるところから順に見た。
見に行けるのは平日の昼だった。土曜も日曜も閉まっている。
いまの勤め先は、こういう用で昼に抜けることに何も言わない。大きいので、一人抜けても回る。前の事務所では、抜けた分がそのまま誰かに寄った。
何も言わないのと、抜けられるのとは別だった。一月から四月の半ばに、私の昼は無い。
絵美は休みの中にいた。だから彼女が先に見て、二つに絞った。そのうちの一つへ、二人で行った。行けた日は、その四か月に一日しかなかった。
建物は低くて、窓が大きかった。中は暖かい。床に物が散らかっていて、散らかっているのが正しい床なのだと、あとで分かった。
案内をしたのは、そこを回している人だった。説明が丁寧で、順番が決まっていた。部屋の割り方。人と子の数の割合。何時に何をするか。閉まる時刻。遅れた場合にどうなるか。私が訊く前に、私が訊こうとしていたことのほとんどが出た。
費用の話も、はっきりしていた。週にいくらで、そこに何が入っていて、何が別にかかるか。
家賃は月で出ていく。並べるには、どちらかに直さなければならない。
私は暗算した。暗算して、二度した。
一度目で、掛ける数を間違えた。週の額に四を掛けても、月にはならない。年は五十二週あって、月は十二ある。四で掛ければ四十八週にしかならない。四週ぶんが、どこにも入らないまま残る。
二度目は、五十二を十二で割ってから掛けた。
家賃より高かった。
高いと言われていたのは知っている。数字も見て知っていた。見て知っているのと、自分の月の出入りに入れてみるのとでは、置き場所が違う。
入れてみると、これは私たちが二人とも勤めているための費目だった。片方が勤めるのをやめれば消える。消えるが、そのときは入るほうも消える。並べて引き算をすれば、勤めているほうが残る。残るが、残る幅は思っていたより薄かった。
薄いところで回っているものを、私たちは回していくことになる。
一つだけ、私の商売が家の中で使えた。
子を預ける費用は、税のかかる前に取り分けておける。決めた額が給料から先に引かれ、引かれた分に税がかからない。決められるのは年の始まる前だけで、子が生まれた場合だけ、そこが開く。開いている日数は、生まれた日から数える。
私は一月のうちに出した。預ける先は、まだ一つも見ていない。いくらかかるかも知らなかった。
知らなくても出せた。上限が決まっていて、一年ぶんがそれを超えることだけは、数えなくても分かる。
その上限は、二人で一つだった。一人ずつではない。
いま、週の額を月に直して並べてみて、一月の見当が合っていたことが分かった。取り分けた分は、一年ぶんの三分の一に届かない。
届かないが、引ける分は引ける。
一月に数えた日付が、二つある。三か月のほうと、この開いている日数の終わりだ。
どちらも、生まれた日から数えた。片方は国籍で、片方は税だった。数え方は同じだった。
部屋を見せてもらった。小さい子の部屋に、大人が三人いた。一人が抱いていて、一人が床に座っていて、一人が布を畳んでいた。三人とも、私たちのほうを一度見て、それから子のほうへ戻った。
案内の人が、この部屋の担当です、と言った。名前を三つ言われた。
三人が何か言った。短い挨拶だった。訛りが一人ずつ違った。
私はそれを、聞き分けようとした。聞き分けて、どうするつもりだったのかは分からない。手が勝手に動くように、頭のほうが勝手に動いた。この人はどこから来たのか。何年いるのか。何の紙を持っているのか。
分かるはずがない。訛りで分かるのは、その人が別のところから来たということだけだ。それは、この街の半分の人に当てはまる。
十一年前、私は食堂の机で同じことをやっている。あのとき私は、四年ある人と、一年ある私と、数えられない人を並べて、三人とも同じ一つの言葉で呼ばれるのだと思った。
あのときの私は、数えられない側の隣にいた。
いまは、部屋の入口に立って、案内をされている。
説明をするのは、そこを回している人だ。子を抱いているのは、そうでない人たちだ。私はその分かれ方に気づいて、気づいたことをどうしようもなく、そのまま部屋を出た。
用紙は、その日のうちに渡された。書くところは多かった。生まれた日。かかりつけ。飲めないもの。触れて赤くなるもの。迎えに来てよい人。
迎えに来てよい人の欄は、親のほかに二つあった。
連絡がつかないときに、代わりに来てもらえる人を二人。そう書いてある。
私はその欄を、しばらく見ていた。
去年の秋、要るものを書き出したときには、その欄が無かった。無いというのは楽なことではなかったが、少なくとも、空いているものを見ずに済んだ。
今度は、ある。二つある。
ふつうは何を書かれますか、と私は案内の人に訊いた。
近所の方、と言われた。おばあさま。お友だち。そのあたりです、と。
絵美が用紙を取って、二つ埋めた。一つは私も知っている人だった。彼女の勤め先の人で、家に来たことがある。
もう一つは、知らない名前だった。
訊かなかった。彼女は自分で番号を調べて、自分でかけて、自分で入る人だ。人の名前も、そうやって増やす。私が知らないところで増えているのは、当たり前のことだった。
私の側は、空いたままにした。
書ける名前が一つも無かったわけではない。年に一度か二度、飯を食う相手がいる。書かなかった理由を、私はその場では考えなかった。
欄が二つあって、二つとも埋まったのだから、紙としては足りている。
足りているものを、私はそれ以上見なかった。
その月の終わりに、預けはじめた。朝、絵美が連れて行く。夕方、間に合うほうが迎えに行く。一月から四月の半ばまでは私が間に合わないので、その四か月はだいたい彼女になる。
初日の朝は、私も一緒に行った。その日だけは行けた。
部屋の入口で渡した。渡すというのは、腕から腕へ移すことだ。移してしまえば、こちらの腕が空く。空いた腕をどうすればよいのかが、その場では分からなかった。
その日の夜、私は帰ってから、あったことを訊いた。
絵美は、渡されたと言った。一枚に、その日の様子が書いてある。何時に何を飲んで、何回替えて、どれくらい寝たか。時刻が並んでいる。
私はそれを最後まで読んだ。読んで、少しのあいだ、落ち着いた。時刻が並んでいると、私は落ち着く。
落ち着いてから、その紙が何であるかが分かった。私が家にいない時間に、あの子がどうしていたかの記録だ。書いたのは、私が名前を三つ聞いたうちの誰かで、どれかは書いていない。
私が初めて迎えに行ったのは、それから何日かたった日だった。名前を言うと、その日の紙が先に出てきた。子より先に紙が出る。順番はそうなっている。
部屋を出るときに、抱いていた人が、今日はよく寝ました、と言った。私は礼を言った。往復はそれだけだった。
この国へ来てから、私は自分の一日を紙にして残してきた。日付。窓口。話した人の役職。言われたこと。
いま、私の家でいちばん長く紙になっているのは、私の一日ではない。
そして、そのいちばん長い時間、あの子を抱いているのは、私が名前しか知らない人だった。
紙は全部揃っている。この半年で、私は揃えられるものを全部揃えた。生まれたことを証するもの。国籍を留保したもの。預けるための用紙。迎えに来てよい人の欄も、二つ埋まっている。
そのどれにも、その人のことは書いていない。
この話の手続きについて、少しだけ補足します。
子を預ける費用を税のかかる前に取り分けておける仕組みには、上限があります。当時は年に五千ドルでした。
そこが開くのは出産のときだけではありません。結婚など、決められた出来事の場合も同じです。開いている日数は多くは三十日で、決めた分が効くのはそこから先です。さかのぼりません。
ここに書いたのは二〇一〇年ごろの話です。制度はその後も変わっています。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




