二十一話 二冊
六月に、子ができていると分かった。私が新しい勤め先に入って、一か月と少しだった。
生まれるのは一月になるという。
私は聞いて、数えはじめた。喜ぶより先に数えるのは、悪い癖だと思う。一月というのは、私が暦から消える四か月の、その入り口だ。生まれる週に、私は事務所ではなく会社にいるが、締めの来る時期は同じだった。
数えているうちに、もう一つ出た。生まれるとき、私はこの勤め先に八か月しかいない。八か月の人間に何ができるのかを、私は知らなかった。
絵美のほうは決まっていた。十二週休めます、と彼女は言った。日付ももう出ているのだという。それだけだった。
私の側は、何も決まっていない。訊けば分かる。訊かなかった。
入って一か月で、休みの話を先にする人間だと思われたくなかった。そう書くと打算に見えるが、そのときの私はもっと単純に、怖かったのだと思う。
事務所なら、隣の机に訊けた。五年いた。誰が何を知っているかも分かっていた。新しいところでは、まだそれを知らない。訊けば教えてくれるだろうが、誰に訊けばよいかを決めるための材料が無い。入って一か月というのは、そういう時期だった。
預金は数えた。春に切られたときの二か月ぶんが、まだ手つかずで残っている。使わずに済んだ分が、別の名目で出ていくことになる。
夏に、私は本を買った。調べるのが私の手だ。ほかに手を持っていない。この国へ来てから、分からないことは全部そうやって片づけてきた。二冊買った。日本の本と、こちらの本だ。
日本の本は、よくできていた。月ごとに何が起きるかが並んでいて、何を用意すればよいかが表になっている。読みやすい。読みやすいのは、書いた人が読む人のことをよく知っているからだ。
半分ほど来たところで、書いてある人たちが、私たちではないことが分かった。
里帰り、という言葉が出てくる。生まれる前に実家へ帰って、しばらく置いてもらう。母親が来て手伝う場合の段取りも、別のページに書いてある。どちらの場合も、その人はもう決まっている。決まっている人がいることが、書き出しの前提になっていた。
そのページには、いつ帰っていつ戻るかが、何週と何週で表になっていた。表があるというのは、そうする人が多いということだ。多い側の人のために本は書かれる。当たり前のことだった。
こちらの本は、違う書き方をしていた。二人でやる話として書いてある。役割を分けましょう、と書いてある。夜中に起きるのを交代でどうぞ、と書いてある。それはそれで筋が通っていた。
ただ、そのあとに、頼れる人を一人決めておきましょう、と書いてあった。
二冊とも、同じところで止まった。
私に実家は無い。日本で下の名前を呼ばれるのは家のなかだけのことで、その家はもうない。親戚は葬式に来て、それきりだった。
絵美には実家がある。帰らないだけだ。
里帰りの話は、一度も出なかった。彼女が言わないので、私も言わなかった。訊けば理由を言うだろうし、言わせれば彼女は何か一つ差し出すことになる。それを私は知っている。
だから二冊とも、途中から先は読まなかった。
もっとも、読んだところで足りなかったと思う。
本には、何をすればよいかが書いてある。書いていないのは、それをやっている人を見たことがあるかどうかだ。
私は見たことがない。十代の途中から、家に赤ん坊も、赤ん坊を扱う大人もいなかった。この国へ来てからは、人の家に上がったこともほとんどない。子が生まれてからの最初の一週間に人が何をしているのかを、私は一度も見ていない。読んで知っているだけだ。
読んで知っているものは、いざとなると手が動かない。それは、この国の言葉で何度もやっている。
六年前、私はこの国の人がどこで知り合っているのかを紙に書き出したことがある。教会。子どもの学校の親どうし。前の勤め先。同じ国から来た者の集まり。同窓の会。どれも私には無かった。
あのときは、無いものを数えていればよかった。数えれば、足りないものが分かる。足りないと分かれば、埋めに行ける。実際、私は籠を買って冬のあいだ立っていた。
今度は、数えるものが違う。紹介してくれる人がいない、という話ではない。この用件には紹介という仕組みが無い。誰かに口をきいてもらって子が生まれるわけではないし、そういう相手を探しに行く場所も無い。
届く道そのものが無い種類の用がある。この国へ来て十年で、私はそれを初めて知った。
道が無いと書いた。一つだけ、例外があった。
秋に、絵美が紙を一枚持って帰ってきた。病院で渡されたのだという。
教室の案内だった。産む前に、何回か夜に通う。二人で来てください、と書いてあった。
二人で、というところで、私は止まった。彼女の側の用で私が呼ばれたのは、初めてだった。
申し込んだのは彼女だった。番号を調べて、かけて、日にちを取った。取れてから、この日です、と言われた。
行った。病院の中の、廊下の奥の部屋だった。椅子が並べてあって、私たちのほかに何組かいた。前に立っていたのは看護の人で、順に話した。
始まりから終わりまでを、順に並べる話だった。何がどの順で来るか。どこまでが普通で、どこからがそうでないか。それぞれの長さの目安。
途中から、私は書きはじめた。書くことがあったからだ。
いつ来ればよいか、という話になった。
痛みの間隔を計る。何分おきになって、それが何時間続いたら、この番号にかける。かければ、来てくださいと言われるか、まだですと言われる。夜のあいだは、正面ではなく別の入口から入る。その入口は、あとで見せてもらった。
私はそれを書き取って、二度読んだ。
いつ生まれるかは、誰にも分からない。分からないものが、分と、時間と、番号で書けるようになっていた。
別の晩は、生まれたあとの話だった。
何をどれだけ飲ませるか。一日に何回か。足りているかどうかは、出るほうの回数で見る。
産んだ側が控えるもの。酒。ある種の魚。薬は自分で決めない。
熱が出たとき、どこからが電話をかけるところか。生まれて何か月かのうちは、この数を超えたらすぐに、と言われた。様子を見る、という選び方の無い数だった。
診てもらう先と、急ぐときの行き先は別だ。夜中でもかけてよい番号がある。行き先の場所も教わった。
書き取ったものを見返すと、線がどれも数で引いてあった。何回。何時間。何度。いくつを超えたら、誰にかけるか。
仕事で私がやっているのと同じ形だった。値が線を越えたら手を挙げる。越えるまでは動かない。線を決めるのは私ではない。
その形なら、私にも持てる。
帰りの車で、絵美が口を開いた。当日のことは、これで決まりましたね、と言った。
決まっていないことを言わない人が、決まったと言った。
書き留めるものは決めてある。日付。窓口。話した人の役職。言われたこと。
その晩、私は三つまで埋めた。窓口は書けた。話した人の役職も書けた。言われたことは、そのまま書けた。
日付だけが埋まらない。埋まらないが、埋め方のほうは渡された。
その日のことを考えずに眠れた。片づいてもいないのに眠れた晩は、それまで無かった。
あの部屋で教わったことは、全部紙に書き取れた。書き取れるものだけが、あの部屋にあった。
そのあとで、要るものを紙に書き出した。寝かせる場所。座らせる椅子。車に付ける器具。産む場所。かかる費用。休む日数。
書き出して、順に埋めた。費用は数えられる。日数は数えられる。器具は買える。
三十分ほどで、全部埋まった。
埋まってしまったのが、いちばんこたえた。
二〇〇三年、私は同じように紙を出して、埋められない欄が一つあることを確かめている。あのとき残ったのは、人の名前を書くところだった。推薦をくれる人。保証人になる人。紹介してくれる人。埋められない欄は、いつもそこだった。
今度の紙には、その欄が無い。
誰かの名前を書けと言ってくる紙が一枚も無いというのは、頼まなくてよいということではなかった。頼む先が制度の中に用意されていない、というだけのことだ。
用意されていないものは、埋められないとも言えない。数え落としたのかどうかも分からない。
私はその紙をしばらく見ていた。
絵美が台所から、何を書いているんですか、と訊いた。
要るものです、と私は答えた。
彼女は覗き込んで、少し見て、抜けているものがありますね、と言った。
どれですか、と私は訊いた。
彼女は答えずに、紙を裏返した。
裏は白かった。
こちらは埋まっていません、と彼女は言った。それだけ言って、台所へ戻った。
私は裏を向けたままの紙を、しばらくそのままにしておいた。
書くことは思いつかなかった。思いつかないものを紙に置いておくというのは、この国へ来てから一度もしたことのないやり方だった。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




