二十話 五つ目
事務所を出て二年になる。
出れば、一月から四月の半ばは終わるものだと思っていた。終わらなかった。会社の側にも決算はあって、締めは同じ時期に来る。減らないまま、そこへ月末が十二回足された。
毎月あるものは、季節にならない。
事務所にいたころは、四か月消えて、そのあと戻った。いまは、消えきらないかわりに、戻りきらない。
新しい勤め先で、私は日本の親会社との数字を任されていた。事務所にいたころにやっていた仕事の、こちら側だ。あのときは外から見て、合わない行を探した。今度は中にいて、合わない行が出ないように先に手を打つ。
それを一人でやっているのは私だけだった。私より長くいる人は何人もいる。二つの暦を両方読める人が、いなかった。
この国へ来て初めて、私は代えのきかない側にいた。
直美は一歳を過ぎた。靴を履かせるのに時間がかかる。じっとしていないからだ。その何分かが、朝の全部を動かす。
朝は誰かが預けに行き、夕方は誰かが迎えに行く。デイケア――働いている親の代わりに、小さい子を日中あずかるところだ――は六時に閉まる。閉まる時刻に間に合うほうが、その日は迎えに行く。熱を出せば、どちらかが休む。どちらが休むかは、その朝に決まる。
半分ずつにしてある。朝はどちらか、夕方はどちらか、休むのもどちらか。数えれば、その年は互いに同じくらい休んでいた。
同じくらい休んでいて、揉めた。
揉めるのは日数のことではなかった。前の晩に決まっているか、その朝に決まるかのほうだ。決まっている日は、どちらも先の予定を動かせる。決まっていない日は、先に口を開いたほうが取る。私は口を開くのが遅い。遅いので、たいてい残ったほうを取ることになる。取ってから、取らされたような気になる。
その年、アブディから一度連絡があった。留守番の電話に、飯だ、とだけ入っていた。かけ直すつもりでいて、かけ直さなかった。
春に、絵美の勤め先が、彼女に新しい持ち場を任せようとした。出張が増える。月のうち何日かは、この街にいない。
その持ち場は、向こうから来た。彼女がこの会社に入ったときは、自分で番号を調べて、自分でかけている。入ってからも、取りに行くほうだった。向こうから来たのは、これが初めてだった。
彼女はその話を、決まる前に私に言った。
六年前、彼女は転勤の希望を三月に出していた。私がそれを聞いたのは五月で、もう出したあとだった。あのときも、彼女は自分から言った。ただ、言ったのは出したあとだ。
今度は、受ける前だった。
私はそれを、相談として受け取った。受け取って、数えた。
紙を出して書いた。私の締めの日。彼女の出張になりそうな日。デイケアの閉まる時刻。休める日数。私の側は月末と、一月から四月の半ば。彼女の側は月のうち何日か。重なる日を数えて、重ならない日を数えた。
足りなかった。誰かが減らさなければ、収まらない。
どちらを減らすかも、数えた。私のほうは入って二年で、いま抜ければ、次に何かを任される順番から外れる。彼女のほうは三年目になる。今回でなくても、次がある。
紙の上では、そう出た。
今回は見送ってもらえませんか、と私は言った。
筋は通っていた。紙を見せることもできた。
彼女はしばらく黙っていた。
見送るのは、私ですか、と彼女は言った。
それだけだった。声は大きくならなかった。
隣の部屋で、直美が何か言った。二人とも、そちらを見なかった。
答えは持っていた。日数と、締めの日と、次があるかどうか。どれも、いま訊かれたことの答えではなかった。
訊かれたことには答えられる。この国へ来てから、私はそれだけを頼りにしてきた。頼りにしてきたものが、その晩は使えなかった。
私は紙を見た。紙には、誰が見送るかを書く欄が無かった。減らす分は書いてある。どちらから減らすかも書いてある。それを誰が引き受けるのかは、書かなくても決まっていた。
書かなくても決まっているものを、私は数に入れていなかった。
その日は、それきりになった。彼女は台所へ行き、私は紙を畳んだ。畳んで、捨てなかった。
その晩、私は数え直した。
七年前、私はこの国にいる理由を四つ数えたことがある。打席の隣に人がいて、その人が電話をかけて、事務所が書類を出してくれて、枠がまだ空いていた。四つのうち一つでも欠けていれば、私はいまここにいない。どれも、私が決めたことではなかった。
二年前、切られたあとで、私はもう一度数えた。今度は四つとも自分の側にあった。期限の無いカード。この国での年数。二つの暦を合わせられること。数字で人と話せること。
その四つを、もう一度並べた。
三つ目で止まった。
二つの暦を合わせられること。いま私が代えのきかない側にいるのは、それがあるからだ。
あれを、私は自分で覚えたのだと思っていた。
七年前の五月、あの部屋で、私は三月をまたぐ何件かを並べて、どこで合わなくなるかまでは出していた。知っているのは帳簿ではなく売った人間のほうだ、というところまでも出ていた。
そこで止まっていた。売った人間が何を持っているのかを、私は知らなかった。
これは三月の頭に出ています、と彼女が言った。先方が受け取ったのは四月です。検収は五月に入ってからでした。
それで、合わない理由が全部分かった。
三つの文だった。一件について、日付が三つある。検収というのは、相手が調べた日のことだ。売る人間はその三つを持っていて、どれを取るかで期がずれる。
私が持っていたのは問いのほうで、形を持っていたのは彼女のほうだった。
あれ以来、私はその形でものを見ている。いま私を代えのきかない側に置いているのは、そこだった。
私はそれを、四つのうちの一つとして数えた。私のものとして数えた。どこにも書いていないからだ。
教わったことには、日付が無い。窓口も無い。控えも取っていない。あの二時間の打ち合わせで残っているのは、私が並べ直した数字のほうだけで、誰がどの文を言ったかは、どの紙にも入っていない。
五つ目があった。
三年前に彼女が半年かかり、二年前に私が一か月で済んだことを、私はずっと自分の側の話として数えていた。数え方が違っていたのだと思う。私の商売は人が要り、彼女の商売は売る先が減っていた。そこは動かない。
動くのは、四つのほうだ。
七年前の四つは、どれも人がしたことだった。二年前の四つは、どれも私がしたことになっていた。同じ数を、私は逆から数えていた。
逆から数えたほうに、彼女は入っていない。入っているのに、名前が出ていない。
言おうかと思った。五つ目のことだ。言えば、彼女は短く何か言うだろう。覚えていません、と言うかもしれない。
それに、言えば、それは私がしたことになる。
私は言わなかった。
持ち場の話は、そのあと決まった。彼女が受けた。私はもう何も言わなかったが、見送ってくれと言ったことを、取り下げてもいない。
書き留めるものは決めてある。日付。窓口。話した人の役職。言われたこと。八年前の二月から、私はそれを一度も欠かしていない。
これには、そのどれも無い。日付が無い。窓口も無い。誰にも言われていない。
無いまま、私は覚えていることにした。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




