十九話 出てきません
二〇〇八年の秋に、数字のほうが先に動いた。
私が見ているのは人の会社の帳簿だ。売れなくなるより先に、売れなくなる支度が帳簿に出る。仕入れを止める。人を採るのをやめる。設備の予定を来期へ送る。どれも、まだ何も起きていませんという顔をして並んでいる。
九月の終わりごろから、その並びが揃いはじめた。顧客の一つが、見てもらう範囲を減らせないかと言ってきた。別の一つは、支払いを一か月遅らせた。遅らせますと言ってから遅らせる会社は、まだ良いほうだ。
所長は何も言わなかった。私も訊かなかった。
訊かなくても、数えられる。
この商売は、一月から四月の半ばまでで一年の大半を稼ぐ。決算と申告が重なる、いちばん人の要る時期だ。その四か月に人を減らせば、仕事が回らない。減らすなら、終わってからになる。
だから、四月の半ばまでは何も起きない。
書き留めるものは無かった。日付も、窓口も、話した人の役職も無い。まだ何も起きていないからだ。起きるとすれば四月の半ばのあとで、それまでのあいだ、この件はどの紙にも載らない。
載らないものを、私は四か月持って歩くことになった。
一度、絵美に言った。四月の半ばのあとかもしれません、と。
決まったんですか、と彼女は訊いた。
決まっていません、と私は答えた。
では、まだです、と彼女は言った。
それで終わった。先のことを、彼女は続けなかった。その年の初めに、彼女は日付の決まった終わりを渡されている。決まっているものと決まっていないものを、彼女は混ぜない。
私は混ぜる。数えた先を、本当のことのように扱う癖がある。混ぜたまま、私は繁忙期に入った。
二〇〇九年のその四か月は、それまででいちばん長かった。仕事の量は前の年と変わらない。変わったのは、終わりに何があるかを知っていることだった。前の年まで、四月の半ばは終わりだった。今度は、そこが始まりだった。
朝の暗いうちに出て、暗くなってから帰る。土曜も出る。
締めが終わった週に、所長に呼ばれた。奥の部屋だった。机が長くて、椅子が六つある部屋だ。五年前、私はその部屋で、日本から来た人と数字を突き合わせている。あのとき私は、ふだん誰も使わない部屋だと思っていた。使うのは、こういうときだった。
うちは来年の分を約束できない、と所長は言った。
それだけだった。理由は言わなかった。私も訊かなかった。訊いても、私に決められることではない。
こういう切り方をレイオフという。仕事のほうが減ったから人を減らすので、その人に落ち度があったからではない。言葉のほうに、責める意味が入っていない。
退職金は二か月分だった。勤め先の都合で辞めさせるときに、何か月か分の給料をまとめて渡す。決まりで要るものではないので、出すところと出さないところがある。
机に戻って、片づけた。片づけるものは少なかった。五年と少しいて、机の上に私のものは一つも無かった。引き出しに、控えの束が入っているだけだった。
家に帰って、私はもう一つの引き出しを開けた。カードはそこにある。隅に有効期限が刷ってあるが、切れるのはカードのほうで、資格ではない。職を失っても、この国にいてよい。
この国へ来てから、私の在留はいつも何かにぶら下がっていた。学校か、勤め先か。今日それが切れて、何も落ちなかった。
六年前の私に、これを見せたかった。
それでも、その晩、私は数えていた。
数えていたのは、保険のほうだった。この国では、医者にかかる金は勤め先の保険が持つ。勤め先が無くなれば、保険も無くなる。続けることはできる。会社が出していた分も自分で払うので、額は上がる。
職に付いていたのは在留だと、私はずっと思っていた。切られてみると、付いていたのは別のものだった。形は同じで、中身だけが入れ替わっている。
数え終わってから、絵美の勤め先のことを思い出した。彼女の側にも保険がある。移せば済む話だった。
私は自分の分から数えていた。いつもそうしている。
その月に、アブディと飯を食った。
書いてこなかったが、切れてはいない。十年、年に一度か二度、どちらかが声をかけて、食っている。
書いてこなかったのは、書くことが何も起きないからだ。紙が一枚も動かない。日付も、窓口も、話した人の役職も無い。私が書いてきたものは、書類の動いた順に並んでいる。動かない相手は、その並びから落ちる。
飯だ、と彼は言った。行くか、ではなかった。十年前と同じだった。
切られたことは言った。探していることも言った。彼は、そうか、と言った。
誰か知らないか、とは訊かなかった。訊く相手ではない。三年前に弁護士を探したときは、一緒に仕事をした人に訊いた。訊く先というのは、そういう並びの中にしかない。彼はその並びの外にいて、十年ずっと外にいる。
奥さんはどうだ、と訊かれた。働いています、と私は答えた。去年は半年探していました、と言うと、彼は、そうか、と言った。
それから、自分のほうの話をした。
二時間ほどいて、別れた。何を話したかは、あとになって思い出せなかった。
一か月で決まった。大きな会社だった。事務所ではない。事務所が外から見ていた側の、その中に入ることになる。
面接は二度あった。二度目の終わりに、二つ訊かれた。
その二つは、前の晩に声に出して言ってある。六年前に落ちたのがこの二つだからだ。順番も、言い方も、決めて行った。
いまこの国で働く資格はありますか。
あります、と私は答えた。
この先、会社の側で書類を出す必要が出てきますか。
出てきません、と私は答えた。
決めて行った言い方は、二つとも使わずに済んだ。どちらも一言で足りた。
二つとも、六年前に同じ形で訊かれている。どこの用紙にも同じように刷ってあって、訊いてよいのはそこまでだ。一つ目の答えは、あのときと同じだった。二つ目が違った。
帰りの車の中で、私は何が効いたのかを並べた。期限の無いカード。この国での年数。二つの暦を合わせられること。数字で人と話せること。
どれも、私が取ったものだった。
この話の背景について、少しだけ補足します。
二〇〇九年の初めの調べでは、四割の会計事務所が人を減らす予定だと答えています。実際に減らしたのは、その年のうちに、答えた事務所の半分ほど。売上の小さい事務所ほど率が高くなりました。時期は申告の締めのあとに集まっています。
ここに書いたのは二〇〇八年から二〇〇九年ごろの話です。制度はその後も変わっています。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




