↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪解けを待つ街で  作者: 一之瀬 樹
第一章 一年の予定で
PR
2/36

一話 片道

 窓の下に、水がいくつも光っていた。


 湖だった。数えようとしたが、途中でやめた。三十を過ぎたあたりで、どれが同じ湖の続きなのか分からなくなったからだ。緑と、水と、まっすぐな道と、四角い屋根。その間を、細い川が一本、曲がりながら通っていた。地図で見たときには、もっと乾いた土地を想像していた。


 一九九九年の八月だった。私は二十一で、鞄を二つ持っていた。


 交換留学というのは、大学どうしの取り決めで、一年だけ相手校で学ぶ制度のことだ。授業料は日本の大学に払い、向こうでは払わない。だから私にも手が届いた。手が届く方法は、それしかなかった。両親の保険金と、練習場で球を拾って貯めた金を合わせて、行きの航空券と、一年ぶんの寮費と、当座の生活費が残った。


 帰りの分は買わなかった。買えなかったのではない。買わなかった。一年後の日付を自分で決めることが、どうしてもできなかった。


 機体が高度を落としていく。耳の奥が詰まる。窓の外の湖が、一つずつ大きくなっていく。日本を昼過ぎに出て、十時間あまり飛んで、着くのは同じ日の昼前だという。行きの風は追い風で、帰りは向かい風になるのだと、隣の席の男が誰にともなく言っていた。時差は十四時間ある。出た時刻より前に着く飛行機に、私は乗っていた。


 入国審査の列は長かった。


 旅券には査証が貼ってある。ビザ、と呼ばれるものだ。入国を求めてよい、という許可でしかなく、実際に入れるかどうかは、この列の先にいる職員が決める。そのことを、私は日本を発つ前に何度も読んで知っていた。知っていても、列は長かった。


 私に出ていた在留資格は、ジェイワンといった。学びと交流のために、決められた期間だけこの国にいることを許す資格だ。大学が発行した書類に、その期間が印字されている。一年。紙の上では、それだけの長さの人間として、私はそこに立っていた。


 順番が来た。職員は私の旅券を開き、書類を受け取り、それから顔を上げた。


 写真を見て、私を見た。もう一度、写真を見た。


 その行き来のあいだ、私は動けなかった。左の頰から顎にかけて、私には傷がある。十代のときのものだ。日本にいたあいだ、私はその側を人に向けないで済ませる方法を、体で覚えた。話すときに顔を少し斜めにする。窓側でなく通路側に座る。写真を撮られるときに一歩下がる。誰に教わったわけでもなく、そうなっていた。


 ここでは、それができなかった。正面を向き、目を開き、顔を見せていなければならない。それがこの国に入る条件だった。台の高さも、光の当たり方も、そのために作られていた。


 職員が何か言った。短い一言だった。滞在の目的を訊かれていた。学生です、と私は答えた。自分の声が、思っていたより小さかった。どれくらいいるのか、と次が来た。一年です、と答えて、書類の印字をそちらへ向けた。職員はうなずき、判を押し、旅券を返した。


 それだけだった。二分もかかっていない。


 通路を歩きながら、私は自分の頰に手が伸びているのに気づいて、下ろした。誰も見ていなかった。


 到着の建物を出ると、風が生ぬるかった。日本の八月ほどではないが、それでも夏の空気だった。乗合の小型バスに、私と同じように鞄を抱えた人間が何人か乗り込み、大学の名を告げた運転手が扉を閉めた。空港から十五キロほど、三十分足らずの道のりだと聞いていた。


 窓の外を見ていた。広い道路が何本も交わり、緑地があり、低い建物が続いた。私が想像していた大学の街は、どこにも現れなかった。日本の駅前のように、学生のための一角が街から切り出されている、という景色ではないのだ。大学は、普通の街の中にそのまま置かれていた。境目がなかった。バスが停まったとき、私は自分がもう着いているのだと、しばらく気づかなかった。


 寮の受付で鍵を受け取った。二人部屋だった。相手はまだ来ておらず、数日後に着くのだと言われた――たぶん、そう言われた。


 部屋には、机が二つと、ベッドが二つあった。ベッドには、マットレスだけが載っていた。


 枕も、シーツも、毛布もなかった。そういうものは自分で買うのだと、どこかに書いてあったのかもしれない。読んでいなかったのは私だ。鞄には、着替えと、辞書と、両親の写真が一枚入っていた。夜に必要なものは、何も入っていなかった。


 マットレスに腰を下ろした。体は日本の時間のままで、いまが真夜中だと言っていた。横になれば眠ってしまう。眠ったら、次に目を開けるのがいつになるか分からない。私は横にならなかった。


 鞄を開けて、着替えを机に積んだ。写真は出さなかった。それだけで、することがなくなってしまった。あとは、座っているよりほかになかった。窓の外の光が、少しずつ角度を変えていった。日本ならとうに眠っている時刻に、この街はまだ昼の途中にいた。眠気は波のように来ては引いて、引いているあいだだけ、頭が少し動いた。


 街の中心に、大きな店があると聞いていた。何でも置いてあるという。歩いて三キロほど。バスの乗り方が分からなかったし、その日は分かろうとする気力もなかったので、歩くことにした。


 途中で川を渡った。長い橋だった。上から見た、あの曲がりながら通っていた川だ。橋の上は風が抜けて、水は思っていたより茶色く、思っていたより広かった。この川が、この街を二つに分けている。渡りきるまでに、五分ほどかかった。


 橋を過ぎると、建物の背が急に高くなった。オフィス街だった。夕方の歩道を、仕事帰りらしい人たちが歩いていた。すれ違う人の言葉が、二種類あった。片方は英語だった。紙の上でなら困らないはずの言葉が、耳に入ってくると速さだけが残って、意味が後から追いかける形になった。もう片方は、何語なのかも分からなかった。頭に布を巻いた女の人が二人、早口で話しながら私を追い越していった。ここに来ているのは、私が最初ではない。当たり前のことを、そのとき初めて、目で見て知った。


 店は大きかった。階が二つあり、端が見えなかった。買い物かごではなく、車輪のついた大きなかごを押している人たちの間を、私はしばらく歩き回った。枕を一つ、シーツを一組、薄い毛布を一枚、タオルを二枚。棚の値札を一つずつ確かめて、頭のなかで足していった。四十ドルと少し。持ってきた金の、ごく一部だ。それでも、その足し算に長くかかった。


 精算の列で、係の人が私に何か言った。語は聞き取れた。紙か、プラスチックか。そう訊かれているのは分かった。何を訊かれているのかが、分からなかった。プラスチックというのは、私にとって硬いものの名前だった。定規や、バケツや、洗面器の。袋の材質のことだとは、思いつきもしなかった。日本の店で、袋を選んだこともなかった。袋は黙って出てくるもので、選ぶ場面がないのだから、選び方も持っていない。もう一度言ってくれた。同じ言葉だった。私は紙幣を出した。相手はそれを受け取り、釣りを渡し、自分で袋を選んで品物を入れ、次の人へ目を移した。怒ってはいなかった。何も起きなかった、という顔だった。


 分からなかったのは言葉ではなかったのだと、あとになって気づいた。


 帰り道は荷物があった。枕は軽いが大きく、抱えると前が見えにくい。橋の上で一度立ち止まって、持ち替えた。日はまだ高かった。八月のこのあたりは、夜になるのが遅いのだと、あとで知った。


 部屋に戻って、シーツを敷いた。マットレスの角に引っかけて、四隅を伸ばす。それだけのことが、その日いちばん、自分の手で最後まで済ませられた仕事だった。毛布をかけ、枕を置くと、ベッドはベッドの形になった。隣の、まだ何も敷かれていないもう一つのベッドを、私はしばらく見ていた。


 電気を消した。誰にも到着を知らせていなかった。知らせる相手を、私は持っていなかった。


 目が覚めたのは、四時だった。


 体はまだ日本の時間で動いていて、勝手に起きてしまった。窓を少し開けた。


 冷たかった。


 八月の空気ではなかった。少なくとも、私の知っている八月ではなかった。息をすると、鼻の奥がすっと乾いた。日本の八月なら、この時刻でも生ぬるく湿っているはずだった。ここでは、朝がもう冷たい。夏が、終わりかけている。


 一年の予定だった。書類にもそう印字されていた。窓の外はまだ暗く、街灯が等間隔に並んで、その下を一台も車が通らなかった。私は窓を閉めて、毛布に戻った。


 その冷たさが、何の始まりなのか。

 この話の舞台について、少しだけ補足します。


 ミネソタ州の車のナンバープレートには、いまも「一万の湖」と刷られています。州の愛称で、一九五〇年から入りつづけているものです。実際に数えると、十エーカー――四万平方メートルほど――より広い湖だけで、一万一千八百あまりあります。一万というのは、切りのいい数に丸めた言い方です。


 大きさの幅も広く、歩いて一周できる池のようなものから、州の北東の端が接するスペリオル湖まであります。スペリオル湖は五大湖のひとつで、湖面の広さでは世界でいちばん大きな淡水湖です。対岸は見えず、波が立ち、船が通ります。湖と呼んではいますが、日本で湖と聞いて思い浮かべるものとは、大きさが違います。ミネアポリスにも、市内にいくつも湖があります。


 これだけの数の湖があるのは、氷河が削った跡だからです。日本の湖の多くは火山や断層に由来しますが、この土地の湖は、厚い氷が上を通り、退いたあとのくぼみに水が残ってできたものです。


 もうひとつ、精算の場面について。「紙か、プラスチックか」は、袋を紙にするか、薄い樹脂の袋にするか、という問いです。日本の店で黙って出てくる、あの袋のほうです。当時の米国では、食料品を買う店の精算で、こう訊かれるのがごく当たり前でした。自分の袋を持って買い物に行く習慣は、まだ広まっていません。


 ただし、こう訊かれたのは主に食料品を扱う店で、何でも置いてある大きな店は、当時こういう訊き方をしていませんでした。特定の店を描いたものではありませんし、実在するどの店の応対を写したものでもありません。


 この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。