↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪解けを待つ街で  作者: 一之瀬 樹
第五章 勝ち取ったつもりで
PR
18/36

十七話 同じ日に二枚

 年が明けて、四度目の四か月が始まった。決算と申告が重なる、この商売でいちばん人の要る時期だ。


 絵美のほうにも忙しい時期がある。彼女の勤め先は日本の暦で動いているので、締まるのは三月の終わりだ。私の四か月と、彼女の一か月が、途中で重なる。


 重なる週は、家が静かだった。どちらも遅い。片方が寝てから、もう片方が帰る。


 その年、私たちのあいだで動いていたのは書類だけだった。


 結婚した年に、私はその会社の担当を外れている。所長が替えた。理由は言われなかったが、分かる。身内の勤め先の数字は見ない、というだけのことだ。


 それきり、私はその会社の中身を知らない側になった。


 彼女が何を売っているかは、彼女から聞くしかない。訊けば話す。訊かなければ話さない。私は訊かなかった。


 四月の半ばに、繁忙期が終わった。


 春に、封筒を出した。会社が出すものと、私が自分で出すものを、同じ封筒で出す。日本で生まれた者には順番待ちがほとんど無いので、それができる。


 そして絵美の分を、同じ日に出す。


 私のほうが先に認められてしまうと、彼女はあとから乗れない。別の道に回されて、外の窓口で一年半から二年待つことになる。図書館の棚の前で三度読んだ、あの行のことだった。


 同じ日に出せば、それは起きない。日付を揃えるだけでいい。


 弁護士はそれを、当たり前のことのように言った。当たり前だった。当たり前のことが、二年前の私には夜の図書館で立って読むことだった。


 二週間ほどで、受け取ったという通知が来た。番号が振ってあった。以後、この番号でものを訊くことになる。


 番号が付くと、待つことの形が変わる。それまでは、出したかどうかを自分で覚えているだけだった。番号が付いてからは、向こうの側にも同じものがあることになる。


 それでも、いつ下りるかは書いていない。向こうは目安の表を出している。いま処理しているのは何月に受け取った分か、という表だ。月に一度、新しいものが出る。


 私はそれを毎月見た。見て、自分の封筒の日付と比べる。表の日付が二か月進む月があり、一週間しか進まない月があり、戻る月もあった。戻るというのは、前の月の表が違っていたということだ。


 数えられるものが目の前にあると、私は数えてしまう。


 絵美は、その表を見なかった。


 見ないんですか、と一度訊いた。見ても進みませんから、と彼女は言った。


 私も知っている。見ても進まない。知っていて、私は毎月開く。


 少しあとになって、違いが分かった。性分ではない。彼女の紙にはまだ何年かある。私の紙は十月に切れる。待っているものが同じでも、待てる長さが同じではなかった。


 夏に、指紋を取りに行った。二人で行った。順番に呼ばれて、指を置いて、写真を撮られる。戻ってきたときに一度これをやっている。あのときは入ってくる側で、今度は残る側だった。やることは同じだった。


 建物を出て、彼女が、同じ機械ですね、と言った。


 待っているあいだ、私たちは何も決めなかった。


 家を買うかどうか。車をもう一台にするかどうか。どれも、下りてからにしましょう、と彼女が言った。下りるまでは、動かせるものを動かさない。


 二人とも、期限のついた紙で暮らしてきた人間だった。先に決めて、あとで紙が追いつかないほうが怖い。


 夏のあいだ、私は二つの日付を持って歩いていた。十月に切れる日と、いつ来るか分からない日だ。片方には数がある。もう片方には無い。


 数のあるほうばかり数えた。


 その少しあとに、弁護士から連絡があった。私の就労ビザ――勤め先が出して、その勤め先で働くあいだだけ効く資格だ――は十月で切れる。同じ勤め先なので、あと三年まで延ばせる。永住権が先に下りればそれは要らなくなるが、どちらが先かは出してみるまで分からない。


 両方やっておきましょう、と弁護士は言った。


 延長の書類を作り、金を払った。要らなくなるかもしれないものに払う金だった。要らなくなればそれでいい、と弁護士は言った。要らなくならなかったときのほうが困る。


 九月に、二通が同じ週に届いた。延長が認められたという知らせと、面接は要らないという知らせだった。順番としては、後のほうが大きい。


 そして十月の初めに、カードが届いた。緑がかった色の、プラスチックの札だった。二枚あった。私のと、彼女のと、同じ日付の入ったものが二枚。


 封筒はそれぞれ別に来たが、日付は同じだった。


 図書館の本には、二年から三年と書いてあった。頼んでから一年半で来た。なぜ早かったのかは、私には分からない。そういう年もあります、と弁護士は言った。


 絵美は自分のを取って、しばらく見ていた。それから、テーブルに二枚並べた。


 終わりましたね、と彼女は言った。


 終わった、と私も思った。


 この国へ来て八年、私は期限のついた紙を、次の期限のついた紙へと繋いできた。交換の一年。課程の二年。そのあとの一年。いまの三年。次が間に合うかどうかで眠れない夜があって、切れる日を指で数える癖がついた。


 そのすべてが、この二枚で終わるはずだった。


 私は自分のを持ち上げた。


 隅に、小さな文字で日付が刷ってあった。


 有効期限、と書いてある。


 永住、と名のつくものにさえ、終わりの日付があった。


 資格そのものが切れるわけではない。切れるのは、それを証明する側だ。何年かごとに、このカードを出し直す。用紙と、写真と、要るときは指紋。取るときに踏んだものとは、別ものだ。


 弁護士に訊けば、たぶん一言でそう言われる。


 訊かなかった。


 訊かなくてよかったのだと思う。私が見ていたのは手間のほうではない。日付のほうだった。


 数える先が、また一つ増えた。


 私は札をテーブルに戻して、二枚のあいだを少し空けて置いた。


 絵美は台所のほうへ立って、水を出していた。終わりましたね、ともう一度は言わなかった。


 引き出しには、使わなかった延長の書類が入っている。金を払って作って、認められて、そのまま使わないことになった紙だ。


 私はそれを捨てなかった。日付を書いて、封筒に入れて、ほかの控えと同じところに置いた。


 これまででいちばん役に立たなかった紙が、いちばん厚い束の中にある。

 この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。