十五話 届いた日
七月に、通りました、と電話で言われた。
会社が自分のところの人を、外の国の拠点へ送るときの資格がある。エルワンという。直前の三年のうち一年以上その会社にいて、代えのきかない役だと会社が言えれば通る。彼女はそれに当たった。
三月に希望を出して、七月に通った。四か月かかったことになる。
大事なのは、それが彼女自身の資格だということだった。会社が彼女のために出したもので、彼女はそれで働ける。私の側の紙には、何も繋がっていない。私が彼女を連れてくるのではない。彼女が自分で来る。
その違いを、私は何度か頭の中で確かめた。確かめるたびに同じ答えが出た。
九月に、私たちは結婚した。
日本の役所へ出すことにしたのは、彼女だった。彼女はまだ日本にいる。日本人どうしなら日本の方式で結婚できて、届書はあちらの役所で出せばいい。私が調べて紙に書き出して比べるつもりでいたことは、書き出す前に決まった。
用紙が届いた。私が書く欄と、彼女が書く欄と、証人の欄が二つあった。
大人が二人。私たちのために名前を書いてくれる人が、二人。
いない。
この街に来てから六年たつが、いない。教会に行っていない。子どもの学校もない。同じ国から来た者の集まりにも入っていない。
埋められない欄は、いつも人の名前を書くところだ。私はもうそれを知っている。知っているというだけで、何かがうまくなるわけではなかった。
次の日、事務所で、隣の机の人と、その向かいの人に頼んだ。式はありません、と私は言った。集まりもありません。名前だけです、と。
二人とも、いいよ、と言った。理由も、相手のことも訊かれなかった。
用紙は日本語で、二人には一行も読めない。名前と、生まれた日と、住んでいる所と、生まれた国。書く場所を、私が指で示した。
片方はもとの名前を短くしている人で、もう片方は近い音の別の名前を自分で用意している人だ。そこに書くのは、短いほうではない。私が毎日呼んでいたのは、二人が呼ばれる用に用意したほうの名前だった。
その部屋にいる人間の半分は、外から来ている。名前は先に短くしておくもので、書類には期限があるものだ。そういう部屋で、私は珍しくない。珍しくない部屋には、頼める人がいた。
頼んだ。一年のうちに二度、私は自分から人に何かを言ったことになる。
用紙には、どちらの氏にするかを決める欄もあった。日本人どうしなので、夫か妻のどちらかに決めて、新しい戸籍を作ることになっている。
加藤にします、と彼女は電話で言った。理由は言わなかった。私も訊かなかった。
私の名字は、この国では一度しか役に立たなかった。名乗れば聞き返され、下の名前になる。日本では、呼ばれたあとに必ず何かが起きた。その名字を、人が自分で選んで持つ。
封をして、送った。あとは絵美が持って行った。
式はしていない。指輪も買っていない。写真も撮っていない。そのあいだ、私たちは別々の国にいた。
用紙が向こうの窓口に届いた日が、婚姻の日になる。
その日に何をしていたかを、私はあとで思い出そうとして、思い出せなかった。たぶん机にいた。私が夫婦になった日は、私のいない国で、会ったこともない人が判を押した日だった。
十月に、車を買った。
中古で、冬に動けばそれでよかった。この国へ来てから私がした大きな買い物は、冬の上着と、球の入った籠くらいだ。どちらも、自分の足りない分を埋めるために要るものだった。車は、迎えに行くために要った。
十月の終わりに、彼女は着いた。
空港へ行った。六年と少し前、私は同じ道を、乗合の小型バスの後ろの席で来た。膝に鞄を載せて、外を見ていた。今度は自分で運転して、反対向きに走った。着く側にいたことしかない場所で、待つ側に立った。
到着の出口に人が並んで立っている。名前を書いた紙を持っている人もいる。私は持っていかなかった。持っていく必要のある間柄ではない。
出てきた彼女は、鞄を二つ持っていた。
二つだ、と私は思った。私が持って着いたのも二つだった。中身は違うだろう。
その週から、時差が無くなった。
一年、私は時差を足してから電話をかけていた。初めは十五時間で、四月に一時間縮んだ。いまは、同じ部屋の時計を二人で見ている。
足すものが無くなると、手持ち無沙汰だった。何度か、癖で数え直した。
鞄の中に、戸籍の写しが入っていた。
名前が二つ並んでいた。婚姻の日付があった。その日付は、私が封を出した日ではなく、あちらの窓口に届いた日だった。
終わりの日付が、無かった。
この国へ来てから、私が受け取った書類にはどれも終わりの日付が入っていた。交換の一年。課程の二年。そのあとの一年。いまの三年。どれも、いつまでと書いてあって、その日までに次のものを取らなければ後が無い。数えるのが私の癖になったのは、そう書いてあったからだ。
いつまでが無い紙を、私は初めて手に持った。
この国で見せるには、英語に訳したものを添えることになる。訳した人の名前を書く欄があったので、自分の名前を書いた。私の結婚をこの国の言葉で証すのは、私が書いた紙だった。
年が明ければ、また一月から四月の半ばまでが来る。私は暦から消える。彼女は着いたばかりの街で、こちらの拠点に通うことになる。彼女の資格は彼女のもので、私の書類とは繋がっていない。それがいい、と私は思った。私に何かあっても、彼女の側は動かない。
戸籍の写しを封筒に入れた。写しの写しは前の日に取ってある。封筒に日付を書いて、机の引き出しに入れた。
引き出しを閉めてから、私はそこに座っていた。
この国で私が手に入れたものは、どれも期限のあるものばかりだった。だから私は、期限を延ばすことを幸せだと思ってきたのだと思う。次の紙を取る。取ったらまた次を取る。取り続けているあいだは、たしかに何も終わらない。
引き出しの中のものには、次が無い。
次が無いというのが、こんなに静かなことだとは知らなかった。
この話の手続きについて、少しだけ補足します。
日本人どうしが日本の方式で婚姻するときは、届書に本人二人と、成年の証人二人が署名します。片方が外国にいても、署名した用紙を送れば、もう片方が日本の役所へ出すことができます。
この婚姻を米国で示すときは、戸籍謄本か婚姻届受理証明書に、英語に訳したものを添えます。米国の手続きでも、これが婚姻の証拠として扱われます。
ここに書いたのは二〇〇五年ごろの話です。制度はその後も変わっています。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




