十話 打席の隣
六月から、私は職を探した。紙は用意できていた。学位の証明。成績の記録。働いてよいという許可。経歴を一枚にまとめたもの。書き方は調べた。書けた。日本語で書くより、こちらのほうが書きやすかった。決まった形があって、そこに埋めればよかったからだ。
出した。返事は、ほとんど来なかった。
三度、呼ばれた。部屋に入って、座って、訊かれたことに答える。そこまでは私にできることだ。順番の決まった会話で、相手が先に口を開く。日本で受けた選考と、形は同じだった。
三度とも、終わりの数分で同じ話になった。
いまこの国で働く資格はありますか、と訊かれる。あります、と私は答える。この先、会社の側で書類を出す必要が出てきますか、と訊かれる。出てきます、と私は答える。
その二つは、どこの用紙にも同じ形で刷ってあった。訊いてよいのはそこまでで、どの資格かとは訊かない決まりになっている。訊かない決まりでも、二つ目に出てきますと答えれば、相手には足りる。
三度とも、こちらで検討します、で終わった。検討の結果は来なかった。
私を見て決めたのではないと思う。見られたのは、私のうしろに付いている手続きのほうだ。小さいところほど、それを引き受ける余裕がない。責める気にはならなかった。誰も嘘をついていない。決まりも守られている。守られたうえで、私は落ちた。
来ないのは、書き方が悪いからだと初めは思った。直した。何度か直した。それでも来なかった。夏の終わりに、私は別のことを考えるようになった。
この商売は、紹介で回っている。仕事が来るのも紹介で、人を採るのも同じ回路だ。求人が世に出る前に、知っている人に声をかけて埋まる。出てくるころには、もう一人か二人が中で待っている。私が出しているのは、その残りに向けてだった。
紹介してくれる人が、私には一人もいなかった。
これで三度目だった。学位の課程に出すときは推薦が要って、日本で金を借りようとしたときは連帯保証人が要った。連帯保証人は、見つけられなかった。推薦は断られなかったが、頼むまでが長かった。手続きの紙は自分で埋められる。埋められない欄はいつも、人の名前を書くところだった。
九月になった。金は秋までだと数えてある。数えたとおりに減っていった。
十月に、数え直した。部屋を安いほうに移した。窓が一つの部屋で、家賃が三十ドル下がった。食べるものを決めた。決めてしまえば、迷う分の金が要らない。冬の上着はもう持っている。買うものは、ほかに無かった。
働けば早いのだが、働けない。許可には、学んだ分野に直に関わる仕事、と書いてある。会計に関わらない仕事は一時間でもしてはいけない。皿を洗うのも、雪をかくのも駄目だった。手はあいていて、時間もあって、体も動く。それでも駄目だと書いてあった。
書いてあるとおりにした。
そのうえで、もう一つ数え直した。紹介で回る商売なら、紹介される場所に自分がいなければならない。紙をいくら直しても、そこには届かない。足りないのは書き方ではなく、居場所のほうだった。
この国の人がどこで知り合っているのかを、私は書き出してみた。教会。子どもの学校の親どうし。前の勤め先。同じ国から来た者の集まり。同窓の会。どれも私には無い。
一つだけあった。
平日の昼に打っている人間は、たいてい決まっている。仕事から離れた年配の人。打つことが仕事のうちに入っている人――保険。売る仕事。金を扱う仕事。そして、自分の店や会社を持っていて、昼に抜けられる人。
隣に立った人が会計士である見込みは、高くない。
だが、会計士でなくてよかった。店や会社を持っている人には、帳簿を見てもらう相手が要る。要らない主人はいない。長く商売をしていれば、人が足りない事務所の話も、どこかで聞いている。私に要るのは会計士ではなく、会計士を使っている人のほうだった。
その見込みなら、少しは高い。少しだけだ。ほかに思いつく場所が一つも無かった、というだけの話でもある。
そして私は打てる。日本で五年、球を拾いながら覚えた。打席には出なかったが、目の前で人が打つのを毎日見ていれば、形は入る。人のいない時間に、返ってきた球で試したこともある。金を出して身につけたものではない。
打てる、というのは、この場合は少し意味が違う。この国に来てから、私が人より前にいたことは一度もない。言葉は向こうが上で、会計は同期が四年ぶん長い。書類は誰より読むが、あれは追いつくためだ。追いつくためにやることは、前に出ることにはならない。
打つことだけが違った。あの列に並べば、私は下のほうではない。人と知り合うのに使えるものが、私にはそれ一つしかなかった。
十一月に、私はドームに行った。
冬が長いので、この街には練習場ごと幕で覆ってしまう場所がある。打席に屋根をかけるだけでは足りない。零下の外では球も飛ばないし、人のほうが先に参る。空気で膨らませた幕の中に、打席も、球の飛んでいく先も、まとめて入っている。中は暖かい。何十かの打席が横に並んでいる。金は球の数で払う。籠の大きさが四つあって、小さいほうから順に値段が上がる。私はいちばん小さいのを買った。一度、数えたことがある。四十いくつだった。
行くのは平日の昼にした。人が少ないからではない。逆だ。
夜と休みの日に来るのは、遊びで打つ人だ。私が用のある種類の人間は、その時間には来ない。私自身は働いていないほうで、用があるのはもう一方だった。
籠が空になれば終わりだった。もう一つ買う金は無い。四十いくつの球で、その日の分は終わる。
金を出して、縁を買いに行った。そう言えば聞こえは悪い。実際そのとおりだった。
行けば会えるというものでもなかった。隣に人がいても、私からは話しかけられない。日本の教室でも、こちらの教室でも、それができなかった。順番を自分で取るという、その一つができない。縁を作りに行くというのは、その一つをやりに行くということだ。
できないまま、私は通った。
打っていれば、そこにいることにはなる。いるだけなら、私にもできた。
三度目か四度目に行った日、隣の打席に人がいた。
平日の昼にいる客は少ないので、隣が埋まっているのは珍しかった。私より二回りは上に見えた。打ち方が上手いというより、慣れていた。一球ごとに間があって、その間の取り方が仕事の人の間だった。
しばらくして、その人が私のほうを見て、何か言った。
私は聞き返した。もう一度言われた。二度目で分かった。振り方のどこかを褒めたのだった。私は礼を言った。それだけで終わるはずだった。次の日も、その次に行った日も、その人は隣にいた。同じ時間に来る人だった。
何度目かに、何をしている人かと訊かれた。
春に学校を出た、と私は言った。会計を勉強した、と。
どこで働いているのか、と訊かれた。
まだ探しています、と私は答えた。
答えるのは、私にもできる。訊かれたことに答えるだけなら、順番は向こうが作ってくれている。
その人はデイルといった。公認会計士――会社の帳簿を外から調べて、正しいと認める資格を持った人のことだ――で、この街の事務所に長くいるのだという。
私が当てにしていたのは、会計士を使っている人だった。隣に立っていたのは、会計士そのものだった。当てより一段よかったことになる。
そこから先の一言が、出てこなかった。
どこか知りませんか。誰かに言っておいてもらえませんか。頼むというのは、そういう形をしている。相手が訊いていないことを、自分から言う。私は二十五年、それをしないで生きてきた。訊かれたら答える。訊かれなければ黙る。そうして済む場所ばかりを選んで、ここまで来ている。
その一言を言うために籠を買っていた。買って、立って、打って、帰った。何週間もそうした。
同じ列に、二種類の人間が並んでいた。仕事だから打つ人と、それしか持っていない人だ。
十二月に、デイルが電話番号を訊いた。
私が言えなかったほうを、向こうが先に言った。知っているところが人を探している、と言った。会計事務所――会社の帳簿を見たり、税の書類を作ったりするのを商売にしている事務所だ――で、大きくはない。人が足りていない。書類を出せるかどうかは分からないが、訊いてはやる、と。
書類を出せるかどうか、という言い方を、その人は自分から使った。私は自分の資格の話を一度もしていない。学校を出た年と、まだ探していることと、平日の昼に一人で立っている男を何週間か見ていたこと。それだけで足りたのだと思う。
私は番号を書いて渡した。書きながら、手が止まりそうになった。
年が明けて、私はその事務所に入った。
この話の背景について、少しだけ補足します。
採用の場で訊いてよいことは、法律で決まっています。いまこの国で働く資格があるかどうかと、この先、会社の側で書類を出す必要があるかどうか。この二つです。どの資格を持っているかを訊いたり、採ると決める前に書類の現物を出させたりすることは、差別として問題にされます。一九八六年の法律で定められ、そのあと大きくは変わっていません。
もっとも、書類を出す必要のある人を採らない、という判断そのものは禁じられていません。市民や、永住者や、難民として受け入れられた人を国籍で分け隔てすることは禁じられていますが、期限つきの資格で働く人は、その保護の対象に入っていないからです。訊いてよい二つの問いは、そこまでで足りるようにできています。
ただし、決まりがあることと、守られていることは別です。人事の係がいて弁護士に確かめる会社なら、決まりどおりに訊きます。小さいところは、そもそも決まりを知りません。どの資格ですか、と正面から訊かれることも、採ると決まる前に書類を見せてくれと言われることもあります。悪気があってのことではなく、知らないだけです。訊かれた側も、たいていそのまま答えます。決まりを持ち出せばその場が終わるからで、実際の面接は条文よりもずっと雑に進みます。
練習場を覆う幕は、多くが秋に膨らませて、春に畳みます。
顧客と食事をしたりゴルフをしたりするのが業務のうちに数えられる商売は、この国では珍しくありません。ミネソタは大きな会社の本社が集まる土地で、その帳簿を見る事務所も、大きなものから小さなものまで層になって並んでいます。
ここに書いたのは二〇〇三年から二〇〇四年ごろの話です。
この作品はフィクションです。制度や手続きについては、その当時のものをできるだけ正確に書くようにしていますが、筆者は弁護士でも、移民法の専門家でもありません。制度は年によって変わりますし、同じ制度でも、一人ひとりの事情によって扱いが変わります。ここに書いたことを、ご自身の手続きの判断に使わないでください。実際に手続きが必要な方は、移民弁護士(在留資格の手続きを専門とする弁護士)など、資格のある方に必ずご相談ください。これらの記述について、筆者は責任を負うことができません。




