第六話 王太子にお茶会へ招かれましたが、今度は数字のマジックに引っ掛かっています
王宮から届いた招待状を見た時点で、嫌な予感はしていた。
けれど、今回は正式な茶会である。
場所は王宮。
招待主はアドリアン・レオポルド・ヴァルディエール王太子殿下。
婚約者の浮気現場でもなければ、階段の下でもない。
何より、先日の一連の騒動について改めて礼をしたい、と招待状には書かれていた。
普通のお茶会だ。
そう自分に言い聞かせて王宮へ来た私は、アドリアン殿下の向かいに座って紅茶を飲んでいた。
「改めて、本当に助かった」
「私は特に何もしておりませんけれど」
「君は毎回そう言うな」
「実際、質問しているだけですので」
婚約者のお腹の子についても。
魅了についても。
おかしなことを、おかしいと言っただけだ。
「それでも、君がいなかったら僕は今頃どうなっていたか」
「アメリア様のお子を、ご自分の御子として認めていたかもしれませんね」
「それはない!」
「殿下は最初、ご自身の婚約者がお腹を大きくしているというだけでかなり動揺しておられました」
「だってしばらく会っていないと思ったら、妊娠していたんだぞ!」
「でも殿下は童――」
「言わなくていい!」
止められた。
最近、殿下はこの話題への反応だけ妙に速い。
「それから、魅了されてリリアーナ嬢と結婚しようとしていたかもしれない」
「そこまではおっしゃっておりませんでした」
「そうだったか?」
「おもしれー女だな、とは」
「もう忘れてくれ」
「努力いたします」
「努力が必要なのか……」
殿下が肩を落としたところで、侍従が近づいてきた。
「殿下、エヴァレット伯爵令嬢がお見えです」
「ああ。通してくれ」
「まだお客様が?」
「すまない。君にも少し意見を聞きたくて」
嫌な予感がして、私は紅茶のカップを置く。
「何についてでしょう」
「エヴァレット家の令嬢が、新しい商会を立ち上げている。王家からの出資を希望していてね」
「なぜ私の意見を?」
「君は冷静だから」
「それだけで、商売について詳しいとは限りませんわ」
「僕一人で聞くよりいいだろう?」
それは否定できない。
最近の殿下を見ていると、特に。
ほどなくして現れたのは、鮮やかな緑のドレスを着た若い令嬢だった。
「お招きいただき光栄に存じます、殿下」
挨拶を済ませると、彼女は分厚い帳簿と数枚の資料を卓上へ並べた。
「こちらが我が商会の昨年度の実績でございます」
「ずいぶん多いな」
「おかげさまで、急成長しておりますの」
彼女は一枚の紙を殿下の前に差し出した。
「昨年度の総取引額は、一千二百八十万ゴールドを突破いたしました」
「一千二百八十万!?」
殿下が身を乗り出した。
早い。
「さらに、前年同期比三百二十パーセントでございます」
「三百二十!?」
さらに前のめりに、身を乗り出した。
「すごいじゃないか!」
「殿下」
「なんだ?」
「まだ何も分かっておりませんわ」
「一千二百八十万だぞ?」
「はい」
「三百二十パーセントだぞ?」
「聞こえております」
「そんなすごい桁が……!」
殿下は桁に興奮し、目が輝いている。
私は念のため、エヴァレット様の胸元を見た。
怪しい首飾りはなく、腕輪も普通に見える。
「殿下。何か変なものを召し上がりました?」
「食べてない」
「先ほど、この方から何かいただきました?」
「何も」
「宝石を覗き込んだりは?」
「していない!」
「では今回は、魅了ではございませんのね」
「僕をなんだと思っているんだ!?」
エヴァレット様が、少々困ったように私たちを見ていた。
「資料を拝見しても?」
「もちろんでございます」
私は殿下の前に置かれた紙を手に取った。
確かに、一千二百八十万という数字が大きく記載されている。
その横には前年三百二十パーセント。
さらに右肩上がりの図まで添えられていた。
「素晴らしいだろう?」
「殿下は少しお静かになさってください」
「はい」
素直に黙った。
「エヴァレット様。この総取引額というのは、商会の売上ですか?」
「正確には、我が商会を通じて取引された商品の総額でございます」
「では、商会に一千二百八十万ゴールドが入ったわけではない?」
「もちろん、そのすべてが収益ではございません。ですが、これだけ多くの商品を扱っているという実績にはなりますわ」
「……一千二百八十万は?」
「商会のお金ではございません」
「違うのか……」
早速、声が小さくなった。
「こちらの三百二十パーセントは?」
「前年との比較でございます」
「前年は何か月営業なさいました?」
令嬢が少しだけ間を空けた。
「……三か月ほどです」
「今年は?」
「十二か月です」
私は殿下を見る。
「……四倍の期間ですわね」
「そうだな」
「三百二十パーセント」
「……むしろ、期間ほどは増えていない?」
「そうなりますね」
殿下の目から輝きが消えていく。
「ですが!利益は過去最高を記録しております。今年度は四十二万ゴールドですわ!」
「四十二万!」
エヴァレット様が次の資料を出すと、殿下の目に再び光が戻った。
忙しい人だ。
「前年はいくらでした?」
「……四十八万ゴールドです」
「減っておりますね」
「ですが、今年は大規模な設備投資を行いましたので!」
「では、その設備投資が将来的に収益へ繋がる見込みについて伺っても?」
「もちろんですわ!」
その後も、やたらと大きな数字が次々と出てきた。
取引件数二万件。
提携先百二十社。
王都での知名度七十六パーセント。
殿下はそのたび、
「二万!?」
「百二十!?」
「七十六!?」
といちいち反応した。
私は途中から、数字そのものより殿下を見ていた。
大きければ大きいほど喜ぶ。
非常に分かりやすい。
「こちらをご覧くださいませ」
彼女が最後に取り出したのは、売上推移を示した図だった。
三本の棒が並んでいる。
一本目は低い。
二本目はその倍。
三本目はさらにその倍ほど高く見えた。
「すごい!急激に伸びているじゃないか!」
「殿下。縦の数字をご覧ください」
「縦?」
殿下が紙へ顔を近づける。
「四百……四百十……四百二十……」
「実際の数字は?」
「四百八、四百十四、四百二十一……」
「増えてはおります」
「うん」
「ですが、この図ほど劇的ではございません」
「……うん」
完全にしょんぼりした。
エヴァレット様が微笑んだ。
「ですが、記載している数字に偽りはございませんわ」
「ええ。すべて正しいと思います」
「では、問題はございませんでしょう?」
「問題というほどではありません。ただ、殿下が少々素直すぎるだけです」
「僕!?」
「だって殿下、最初の一千二百八十万だけで出資を決めかけておりましたよね」
「決めてはいない!」
「三百二十パーセントを聞いて、『倍以上じゃないか』とも」
「……言った」
「図をご覧になって、『こんな勢いで伸びる会社なら安心だ』とも」
「もういい!」
エヴァレット様が笑いを堪えていた。
「申し訳ございません、殿下」
「君も笑っているだろう!」
「いいえ」
「絶対に笑っている!」
結局、話そのものは悪いものではなかった。
商会は実在し、利益も出している。
ただ、王家へ求めていた出資額は、現状の規模に比べて少々大きすぎた。
王宮の財務官も交えて改めて検討することになり、エヴァレット様は満足そうに帰っていった。
扉が閉まると、殿下はしばらく黙っていた。
「……セシリア」
「はい」
「僕はそんなに騙されやすいだろうか」
「騙されたわけではございません」
「そうか?」
「数字はすべて本当でしたから」
「そうだよな!」
「見せ方に綺麗に乗せられていただけです」
「同じようなものじゃないか!」
殿下は椅子の背にもたれ、天井を見た。
「魅了は魔法だから仕方ないと思っていたんだ。今回は魔法じゃなかった」
「そうですね」
「……」
やがて、こちらを見た。
「君がいないと、僕はすぐ陥れられる……!」
「ようやくご自覚なさいましたか」
「そこは否定してくれないのか!?」
「今後は、大きな数字を見ても一度落ち着いてくださいませ」
「分かった!」
返事だけは、とても良い。
「では、今日こそ何事もなく帰れそうですね」
「何事もなくはなかった気がするが」
「少なくとも、誰も浮気も妊娠もしておりませんし、魅了もされておりません」
「それが普通なんだよ」
「最近、基準が分からなくなってまいりました」
殿下が立ち上がった。
「今度こそ馬車まで送る」
「ありがとうございます」
二人で廊下を歩く。
今日は令嬢が走ってくることもない。
誰かが殴り合っている気配もない。
ようやく平穏というものが戻ってきたらしい。
そう思った時だった。
少し先にある部屋から、男の声が聞こえた。
「最初に言っておく。君とは夫婦になるが、愛するつもりはない」
私は足を止めた。
殿下も止まった。
続いて。
「この結婚は、白い結婚とする」
次々に修羅場に遭遇する令嬢…次はどんな修羅場に遭遇するのか…
気になったら、ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ
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