第七話 白い結婚宣言に遭遇しましたが、王家の情操教育が心配です
「この結婚は、白い結婚とする」
閉じた扉の向こうから聞こえてきた言葉に、私は足を止めた。
隣を歩いていたアドリアン殿下も止まると、閉じた扉をじっと見つめていた。
「セシリア。白い結婚ということは……彼は、生涯童貞でいる気なのか?」
「最初に気になるところがそこですの?」
今日は王宮で、殿下から先日の件のお礼として茶会へ招かれただけだった。
そこへ事業への出資を求める令嬢が現れ、殿下が桁の多い数字と見栄えのよい資料に目を輝かせ、危うく必要以上の出資を決めそうになった。
それでも、浮気もなかった。
妊娠もなかった。
魅了もなかった。
十分、平和だったと思う。
あとは帰るだけだった。
「君に妻としての務めを求めるつもりはない」
扉の向こうから、さらに男の声がする。
「……殿下」
「僕じゃないぞ」
「分かっております」
「念のため言っておくが、僕はそんな王命も出していない」
「まだ王命のお話は出ておりませんけれど」
「こういう時は大抵、王命で無理やり結婚させられたとか言い出すだろう?」
妙なところで学習している。
けれど、続いて聞こえてきたのは若い女性の声だった。
「どうしてですの?この婚姻は、王家から命じられたものなのですか?」
「違う!」
アドリアン殿下が叫んだ。
「僕はそんなことはしない!」
「殿下!?」
私は慌てて腕を引いた。
「なんだ?」
「今のは室内のお二人の会話です!」
「だが誤解されている!」
「だからといって、扉の外から王太子殿下が突然否定したら、もっと話がややこしくなりますわ!」
扉の向こうが静かになった。
まずい。盗み聞きしていたのが完全にばれたかもしれない。
殿下が中の会話に混ざろうとするのを、もっと早く止めるべきだったがすでに遅い。
「……兄上?」
「え?」
「アドリアン殿下ですの?」
少しだけ開いた扉から、幼い男の子が顔を出している。
それに続くように、女の子の声がする。
「……この声」
部屋の中にいたのは、大人の男女ではなかった。
床に敷かれた絨毯の上に、所狭しとおもちゃが敷き詰められている。
男の子は七、八歳くらいだろうか。
女の子はそれより少し幼く見える。
二人の手には、人形があった。
男の子が持っているのは立派な衣装を着た男性の人形。
女の子が抱えているのは、豪華なドレスを着た女性の人形だった。
「兄上!」
男の子が嬉しそうに立ち上がった。
「何してるの?」
「それは僕が聞きたい……なんの遊びだ?」
「白い結婚ごっこ!」
元気よく答えられ、アドリアン殿下は手元の人形を見る。
「……ごっこ?」
「うん!」
どうやらこちらの男の子は、アドリアン殿下の弟君らしい。
「こちらは?」
「僕の婚約者!」
幼い女の子が丁寧に頭を下げる。
「初めまして。セシリア様」
「私をご存じなのですか?」
「兄上を何度も助けてくれた人だって聞いた!」
弟君が先に答えた。
いつの間に王族の幼児にまで知られているのだろう。
「兄上、すぐ変なのに引っかかるんでしょう?」
「誰が教えた!?」
「父上」
「父上!」
アドリアン殿下の顔が引きつった。
国王陛下も、息子が魅了に引っ掛かり、数字の見せ方にも簡単に乗せられたことをご存じらしい。
私は二人が持っている人形を見た。
「それより、白い結婚ごっこというのは、どのような遊びなのです?」
「こうですの!」
女の子が女性の人形を立たせる。
弟君が男性の人形を向かい合わせた。
「君とは夫婦になるが、僕は君を愛さない!」
「そんな!」
「この結婚は白い結婚とする!」
「どうしてですの!」
「僕には別に愛する女性がいるんだ!」
先ほど聞いた台詞が、次々と人形から飛び出してくる。
弟君、演技がうまい。迫真の演技とはまさにこのこと。
「でも奥様は何も悪くないんですの!」
「旦那様が悪いんだよ!」
「では、なぜその台詞をおっしゃっていますの?」
「悪い旦那様の役だから!」
なるほど。
「このあと奥様は家を出ていくんです!」
女の子が楽しそうに女性の人形を歩かせた。
「旦那様は最初、せいせいしたって言うの!」
「そうだ!」
「でも三か月後!」
「屋敷がめちゃくちゃになる!」
「仕事も上手くいかなくなります!」
「旦那様は後悔する!」
「それで奥様を迎えに行きますの!」
「だけど!」
二人が顔を見合わせた。
「奥様にはもう新しい婚約者がいる!」
「なんだと!?」
殿下が弟君の人形劇に向かい、前のめりになる。
弟君が男の人形を倒すと、女の子がキリッとした表情になる。
「ざまぁですの!」
二人が可愛らしい声をあげて、満足そうに笑う。
視線に気がつき見上げると、アドリアン殿下と目が合う。
「……どこで覚えたのでしょうね」
「僕にも分からない」
「侍女たちがお話ししていました!最近、白い結婚というものが流行っているそうですの!」
「流行っておりません」
無邪気に教えてくれた言葉に、思わず即答してしまった。
「違いますの?」
「少なくとも流行らせてよいものではありませんわ」
「でも面白いよ」
弟君が男性の人形を拾う。
「この人、このあとずっと一人なんだ」
「そうですの。奥様に触らなかったから、お子様もいないんです」
アドリアン殿下が人形を見た。
「……ということは」
嫌な予感がした。
「殿下」
「彼は生涯、童貞でいる気なのか?」
やはり。
「最初に気になるところがそこですの?」
「だって、妻に触れないんだろう?」
「お話の本筋はそこではございません」
「でも――」
「兄上」
弟君が顔を上げた。
「どーてーってなーに?」
「……」
アドリアン殿下が固まった。
その隣で、幼い婚約者も首を傾げる。
「なーに?」
二人の曇りなき眼が、アドリアン殿下へ向けられ、私はそっと顔を逸らした。
「セシリア」
「……はい」
「助けてくれ」
「殿下がお出しになった言葉ですので、ご自身でご説明くださいませ」
「無理だ!」
「兄上、どーてーって何?」
「何ですの?」
「その……」
視線が泳いでいる。
魅了にかかった時より困っているかもしれない。
「大人になれば分かる」
「兄上は大人?」
「まあ……そうだな」
「じゃあ知ってるんだ!」
「知って、いる……!」
「じゃあ教えて!」
「だから!」
完全に罠にはまっている。
私は笑わないように口元へ手を添えた。
「笑っているだろう」
「いいえ」
「絶対に笑っている」
「王太子殿下が幼い弟君に、ご自身で口にした言葉の説明を求められて困っているだけですので」
「それを笑っていると言うんだ!」
弟君が私と殿下を交互に見る。
「兄上も、どーてーなの?」
「なんでそうなる!?」
「だって兄上、詳しいんでしょう?」
「詳しいとは言っていない!」
「じゃあ違うの?」
「殿下は、どーてーではないんですの?」
「……」
今度は幼い婚約者にまで尋ねられ、殿下は黙った。
どうやら答えられないらしい。
私は思わず呟いた。
「……王家の情操教育が心配ですわ……」
「今は僕の心配をしてくれ!」
「僕も兄上とお揃い?」
「お揃いと言うな!」
「違うの?」
「お前はまだ八歳だろう!」
「じゃあお揃いだ!」
「話を聞け!」
弟君は嬉しそうに笑い、幼い婚約者も楽しそうに笑っている。
「では、私もお揃いですの?」
「君は違う!」
「何が違いますの?」
「もうこの話はやめよう!」
殿下がとうとう両手で顔を覆った。
いい加減、助け舟を出すべきか……私は再び弟君の手にある人形を見る。
「ところで、白い結婚ごっこはこのあと、どうなりますの?」
「奥様は新しい人と幸せになります!」
「旦那様は?」
「後悔します!」
「ずっと?」
「ずっと!」
弟君が力強く答える。
ずいぶん容赦のない遊びである。
「兄上もやる?楽しいよ?」
「やらない」
「じゃあセシリア様!」
「私は遠慮いたします」
殿下と二人、逃げるように部屋を出た。
「次は婚約破棄ごっこしよう!」
「いいですわ!」
扉を閉めても、中から子供たちの楽し気な声が聞こえる。
「……やはり王家の情操教育が心配ですわ」
「僕に言わないでくれ」
「弟君ですので」
「僕が教えたわけじゃない!」
アドリアン殿下はすっかり疲れた顔をしていた。
私も似たようなものだと思う。
今日はただのお礼の茶会だったはずなのに。
大きな数字に素直に驚く王太子を止め。
白い結婚宣言を聞いたと思ったら、幼い王子たちの人形遊びで。
その結果、なぜか童貞という言葉の意味を子供たちに尋ねられた。
「帰りましょう」
「そうしよう」
今日はもう十分だ。
「今度こそ、本当に馬車まで送るだけにする」
「ぜひお願いいたします」
「もう何か聞こえても止まらないぞ」
「私もそういたします」
二人で廊下を歩く。
今度こそ、何が起きても知らないふりをしよう。
そう決めたのに……
「先に言っておく」
少し先にある客間から、男の声が聞こえた。
私は聞かなかったことにして、歩き続けようとした。
「僕は、君を愛する気はない」
足が止まった。
アドリアン殿下が振り返る。
「セシリア?」
今度は、白い結婚という言葉に反応したのではない。
この声を、私は知っている……聞き間違えるはずがなかった。
「どうした?」
「……殿下、今の声……」
扉の向こうから、もう一度聞こえてくる。
「僕たちの婚姻に、愛情など必要ない」
間違いない……私の元婚約者であり、親しい友人だったミランダ様との情事を、半刻以上続けていた男。
レオナルド・ハースト様の声だった。
次々に修羅場に遭遇する令嬢…次はどんな修羅場に遭遇するのか…
気になったら、ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ
もし、こんな修羅場を見てみたい!などありましたら、感想でもらえると嬉しいです!




