92. 新たな絆:第二部エピローグ
燐鳳を眷属にし、屋敷中の武官や楓達に守護を与えた後。奏太は歩くこともできず、亘にベッドに運ばれて泥のように眠った。
時折、意識が浮上して目が覚めると、今までと変わらず亘が奏太の手を握っていて、奏太はそれを確かめて、安堵とともに再び眠りにつくのを繰り返した。
それを続けていくうちに、重くて仕方のなかった身体が徐々に軽くなっていく。睡眠時間も短くなり、皆と会話ができるようになり、身体も起こせるようになった。
そうして、数日かけて、ようやく自力で動けるまでに回復していった。
不思議だったのは、奏太がベッドから起き上がれるようになってからの武官達の反応。
ベッドを囲むカーテンから出る度に、護衛交代でやってきた者達がピタリと動きを止めて奏太に目を見張る日々がしばらく続いた。亘達や燐鳳の指摘でハッとしたように元に戻るのだが、それが何だか居心地が悪かった。
何事かと眷属達に聞いてみたものの、『奏太様がお元気になったのを喜んでいるのですよ』と誤魔化されてしまうばかり。
ある程度の日数が経っても、何故か顔を赤らめたり挙動不審に視線を逸らされたりすることが続いたが、どうやら裏で燐鳳の強めの指導が入ったようで、武官同士で肘でつつき合う姿があると思っているうちにそれも次第に落ち着いていった。
燐鳳や巽から、庭に出る許可が出されたのは、更にしばらくした頃のこと。
気づけば、屋敷の庭を取り囲むフェンスに幕が張られて、外から屋敷の敷地内が見えない状態にされていた。
「……あれ、どうしたの?」
「あまりに見栄えが良くないので、巽殿に鬼界一の絵師の手配をしていただいています。少々ご辛抱ください」
「そうじゃなくて……そもそも、なんで幕なんて……」
奏太が尋ねても、燐鳳は綺麗な笑みを浮かべるだけで答えない。仕方がなしに、近くにいた亘や椿、人界勢を見てみたが、誰も何も答えなかった。
「外など、見えなくても良いではありませんか。花も草木も庭にあります。外部の目を気にする必要もありません」
「……けど……」
「ああ、あの幕に近づいてはなりませんよ。外は危険ですからね」
奏太はもう一度口を開こうとしたが、燐鳳の有無を言わせぬ圧に、それ以上抵抗もできず、疑問符を頭の中に浮かべたまま、小さく頷くしかできなかった。
それから数日。
商会のエントランスホールに、ぽっかりと灰色の大きな渦が浮かんでいた。その向こうには、鬱蒼と広がる森が覗いている。
集まった者達を見回すと、そこには亘たち眷属、楓たち人界勢、妖界の武官たちの顔。
奏太の体調が落ち着いてきた為、少し前から、巽や燐鳳によって、楓達を人界に帰す手配が進められていた。
前回のハガネの一件もあり、鬼界の王都に出すのが不安だったので、商会のエントランスに奏太が直接、妖界への結界の穴を開けた。幻妖宮からも燐鳳が護衛を呼び寄せていたので、厳重な警備の中で妖界と人界の間の関所まで楓たちを送らせることになる。
ついでに、妖界でしばらく療養すべきだという眷属達の総意もあったため、奏太も妖界に行くことになった。
燐鳳は燐鳳で、奏太の眷属になったことを、叔父である璃耀や雉里の家に知らせる必要がある。
当の燐鳳は、手紙だけで十分だから奏太の側にいると言い張ったが、奏太は『命令』という形で燐鳳を無理矢理にでも家に帰らせることにした。家族が生きている、生家が残っている、それは、何より貴重なことだから。
それからもう一つ。重要な事が残っている。
「奏太様、アレをあちらに移送します。しばらくの間、別のお部屋に」
燐鳳は奏太に言うと、促すような視線を奏太の後ろに控えた亘に向ける。亘がそっと奏太の肩に手を置いた。
「奏太様」
「でも、結界の管理は俺の仕事だから、見張ってないと」
「ほんの少しの間だけです」
低く言う燐鳳に、奏太は首を横に振った。
「ダメだよ。それに、ちゃんと引き渡されるところを見届けたい」
奏太がじっと燐鳳の目を見ると、燐鳳は小さく息を吐き出した。
「……では、なるべく離れたところに。亘殿、椿殿、奏太様をお願いします」
燐鳳は亘達に言うと、パッと扇を振って武官の一人に指示を出す。亘と椿に連れられて部屋の隅に移動させられる後ろで、しっかりと武装をした者達が複数、妖界側から入ってくるのが見えた。こちら側の武官達の間にもピリッとした空気が張り詰める厳戒態勢。
蝶の姿の汐が安心させるようにピタリと奏太の肩に止まり、巽もハラハラした面持ちで奏太を見ていた。
奥から連れてこられたのは、鎖でガチガチに拘束され、目隠し、猿ぐつわをされた状態の玄の姿。
身体に傷のようなものは見えないが、随分と衰弱しているようで、フラフラとした足取りで引きずられるように歩いていた。かつての尊大で、神の眷属という矜持と自信に溢れた姿は、見る影もない。
奏太に湧いてくる感情は、恐怖でも、憎しみでも、悲しみでもない。もっと、空虚な何か。
いつの間にか拳を強く握りしめていたようで、亘に呼びかけられ手をとられてから、手のひらに赤紫の爪の跡が残っていることに気づいた。
声を出すことなく、連行されていくのを見送る。すると、不意に玄の足が、遠く離れた奏太の前でピタリと止まった。
目隠しをしているはずなのに、まるで吸い寄せられるように、奏太の方に顔が向く。
その時だった。
玄が突然床を蹴り、こちらに駆け出すように身体を動かした。ジャリッと音を立てて鎖が張る。
ザワリと奏太の全身が粟立った。じりっと足が下がり、亘と椿が即座に刀を抜いて奏太を背にかばうように前に出る。
しかし、すぐに、武官数名に取り押さえられ、無様に床に倒れ伏した。
「ンン゙ーーッ!! ウヴン゙ンーッ!!」
玄が、声にならない叫びを上げる。ガッと力尽くで床に押さえつけられ、それに抵抗した拍子に、目隠しがズレて外れた。
爛々と狂気を帯びた深緑の瞳。以前のまま変わらない昏い光。それが奏太の姿を捉え、玄の口元が歪に吊り上がった。
「ああ……、おおうぐあ。あえお」
ハッキリと発音された言葉ではない。けれど、それが何を意味するのか、何となく分かった気がした。
——ああ……、もうすぐだ。神よ。
息が、止まりそうになる。
すぐに頭を押さえつけられ、その瞳が奏太の視界から消える。けれど、あの瞳の奥にあった狂熱的な信仰の光が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
「何をしている! さっさと連れて行け!」
いつにない燐鳳の厳しい声音が響き、乱暴に立たされた玄が背を押され足早に連れて行かれる。その口元には、微かな笑みが浮かんでいるように見えた。
玄が渦の向こうに消えていくと、奏太は、どくどくと動悸の止まらなくなった胸をグッと押さえる。
「大丈夫ですか、奏太様?」
心配気な汐の声が聞こえて、奏太はコクリと頷きかける。しかし、自分に注がれる皆の視線に、奏太は気丈に振る舞うのをやめて、息を深く吐き出した。
「……玄の言ってたことが、気になったんだ……『もうすぐ』って……」
身体が傷つく度に、不安定になっていく力。この脆い器で均衡を取るのが、どんどん難しくなっていく。ふとした瞬間に、ひび割れ、金が漏れ出した自分の身体を思い出してはゾッとする。あとどれだけ、耐えられるだろうかと……
亘と椿がチラと視線を交わし合うと、汐がふわりと舞い上がり、奏太の頬に止まった。
「妖界で、お身体を癒しましょう。少しでも不調があれば、お教えください。それから、落ち着いたら、人界の土地神様にもご相談にいったり、大昔に白月様がお会いになったという龍神様を妖界で探しに行ったりしてもよいかもしれません。貴方が貴方でいられる方法を、共に探しましょう」
宥めるような汐の声に、近くに来ていた巽も首肯した。
「僕も、鬼界で商会の仕事を回しながら、妖界の武官の皆さんと調べてみます。ですから、御自分のことを第一に、一人だけで抱えこまず周囲を頼ってください」
今回の妖界への帰還に、巽はついてこない。商会のこともあるし、鬼界側に誰かがいた方が良いと巽が主張したためだ。武官達がいるとはいえ、一人で鬼界に残していくことが不安で仕方がない。
「できるだけ、すぐに帰ってくるから」
「日石の御守りもたくさん用意してもらいましたし、大丈夫ですよ。それに、今、僕、頼ってくださいって言ったばかりです」
巽は、そう言うと、茶化すように笑った。
そこへ、燐鳳からの呼びかけが入る。
「奏太様、準備が整ったようです」
燐鳳に頷いて見せたあと、奏太はもう一度、巽に視線を戻す。すると、巽はニコリととびきりの笑顔を作った。
「ご心配なさらず。この前みたいなことにならないよう、基本的には商会に引きこもっているつもりですから。僕に胃休めの休暇でも出したと思ってください。胃痛の種がいない間、のんびりさせていただきます」
巽がチラッと燐鳳に視線を投げると、燐鳳から笑みが返る。巽はどこか引き攣ったような笑みを浮かべたあと、スゥっと視線を逸らした。どうやら、二人は思っていたよりも仲が良いらしい。文に秀でた者同士、通じ合うところでもあるのだろう。
巽はゴホンと咳払いを一つしてから、至極真面目な顔で奏太を見据えた。
「それより、奏太様は、絶対に、何があっても、亘さん達と離れちゃダメですからね。絶対に、ですよ」
巽は、最後の一言だけは、ヘラヘラした笑顔を引っ込めて、真面目で厳しい声音をだした。
灰色の渦を通り抜けると、そこは妖界の森の中。玄の姿は既になく、幻妖宮から派遣されてきた大勢の武官達が護衛の為に帝仕様の豪奢な駕籠を取り囲んでいた。
幻妖宮の武官達は、揃いも揃って奏太を見た瞬間に目を見開いたり、ポカンと口をあけたりして、何故か奏太に魅入ったようになる。あの事件の直後に、蜻蛉商会で武官達がなっていたのと同じ状態だ。
「……えーっと……、何……?」
奏太が戸惑いながら呟くのとほぼ同時だった。
「其方らは、一体何をしている?」
燐鳳の周囲を凍りつかせるような声が響く。その瞬間、武官達の間に緊張が走り抜け、全員がビシッと背筋を伸ばした。
「……えぇっと……俺、なんか変なところあった?」
派遣されてきた武官達には見覚えのある顔も多い。初めて見る顔も混じっているが、皆揃って、あんな風に驚いた顔をされるとは思わなかった。
しかし、燐鳳は先ほど武官達に見せていた顔がまるで嘘のように、天女の如き柔和な笑みを奏太に向けた。
「何でもございません。それよりも、出発準備を終えてしまいましょう。奏太様」
燐鳳はもう一度だけ、武官達をキツく睨みつけたあと、さっと商会のエントランスが見える渦を示した。
奏太が首を傾げながら結界を閉じ終わると、近くに待たせていた駕籠へ案内された。大きな鳥達による吊り下げ式の四人乗り。苦手だと言っている場合でもなく、奏太と楓、それから、守り手ではないが真尋が乗り込んだ。
地味に大きく揺れる空の上。楓は楽しそうに小窓から外を覗き込み、真尋は恐れ慄いた顔で必死に角の柱にしがみついていた。奏太も慣れてきた為すました顔で乗ってはいるが、気持ちはわかる。真尋とは気が合いそうだと、奏太は小さく笑った。
空の旅の道中、楓はたくさんの話をしてくれた。真尋も青い顔のまま、鬼界生活で驚いたことなどを聞かせてくれる。こんな風に、日向の子たちと普通に会話を交わせる穏やかな時間が訪れるなんて、少し前までは考えられなかった。短く、温かく、貴重な時間。
辿り着いたのは、人界と妖界の結界の穴に設けられた関所。周囲を厳重に守られたその場所には大きな建物が建てられ、内部で人界の日向の本家につながっている。先帝白月が、故郷と頻繁にやりとりできるように作った場所だ。
中の大広間。
そこで、楓達とはお別れ。
寂しいような、名残惜しいような気分に、胸がギュッと締め付けられる。
また、会えるだろうか。彼らが生きている間に。自分が、人としての意思を保っている間に。
「奏太くん、落ち着いたら、遊びに来て。人界のご飯、いっぱい準備して待ってる」
「……人界なら、ちゃんと食材用意できるし、俺、何でも作ります……」
楓が、ギュッと奏太の両手を握ると、真尋が楓の後ろでソワソワと燐鳳の様子を伺いながら、小さく言う。
「二人とも、ありがとう」
奏太が二人に別れを告げている間、汐や亘、椿も、栞、晦、朔と別れを告げていた。
「あ、そうだ。奏太くん、これ」
楓が、何かを思い出したように、ポケットをゴソゴソ探す。取り出された手に乗せられていたのは、青に紫の刺繍色で『お守り』と縫い付けられた小さな袋。
少しだけ不器用に縫い付けられた文字に、奏太は目を見張った。
「……これ……」
「御守りの袋、壊されちゃったって聞いて、作ったの。真尋に教えてもらって……そんなに上手じゃなくて申し訳ないんだけど……」
楓はそう言うと、奏太の手を取って、それを握らせるように持たせた。
「姉ちゃん、あんまり裁縫とか得意じゃないから、随分時間かかってたな」
「真尋!」
からかうように言う真尋に、楓は顔を赤くして大きな声を出す。
柊士と白月が奏太に遺してくれた御守り。中身はあのあと巽が回収してきてくれたけど、白月が縫ってくれたであろう袋は、灰になって消えてしまったまま。奏太は、裸の状態のままで残ったおはじきを大事に持ち歩いていた。
奏太はポケットから、『幸せであれ』の柊士の文字が刻まれた御守りをそっと取り出すと、楓が縫ってくれた御守り袋にポトリと落とした。
「貸して」
楓に言われてもう一度それを手渡すと、楓は丁寧に、けれど固く、その口をギュッと紐で閉じて可愛いリボンの形に結ぶ。
「あんまり丈夫じゃないから、壊れちゃったら日向の家に持ってきてね。ちゃんと、里帰りするんだよ。約束」
照れながら小指をだした楓に、奏太も、戸惑いながら小指を結んだ。
「……うん」
遠退いてしまったと思っていた、日向の家との繋がり。懐かしく、それでいて、新しく結び直されたそれが、楓が結んでくれた御守りの紐に重なる。
奏太は胸が熱くなるのを感じながら、御守りをギュッと握り直した。
(第二部完)
奏太『巽と燐は仲良し(仲良し)』
燐鳳『巽殿とは仲良し(下僕一号)』
巽『仲良しとは……?????』




