閑話. 商会長室の邪魔者:side.巽
——数日後
「……なんの御用でしょう? 燐鳳殿」
商会長室に乗り込んで来た燐鳳に、巽は心底疲れた声音で言った。
主が自分の意思をハッキリ示せるようになり、燐鳳の暴走で壊される心配も薄れたため、巽は以前のように商会長室に戻ってきていた。主の守りは護衛役二人と汐に任せている。
燐鳳は、あの日から一日ほど寝込んでいたものの、今はすっかり元の通りだ。
(むしろ、しばらくの間寝込んでいてもらった方が都合が良いのに)
巽は心の中で呟く。
「巽殿は分かりやすいですね。もう少し、表情を繕った方がよろしいのでは?」
「……わざとなんですけど……」
口元だけで、ボソリと呟いた。
そもそも、巽は奏太から商会長の仕事を押し付けられる前から、表情を隠して外部と交渉することが得意だった。ただ、空気を読んで出ていってくれたらいいなと淡い期待をかけてみただけだ。燐鳳が空気なんて読んでくれるわけがないと分かっているのに。
「奏太様のお世話は良いんですか?」
「ええ、再び眠られてしまいましたので」
燐鳳は物憂げにそう答えた。
主はあの日以降、起きている時間より眠っている時間の方が長くなっていた。時折目覚めはするが、気づけば再び眠りにつくのを繰り返している。身体が崩壊しかけた反動なのだろう。
少しずつ起きている時間が延びているので、回復はしてきているのだろうが、眠っているときは昏々と深く寝入るため、このまま目覚めないのではと不安になる。
巽は商会の仕事をしながら気を紛らわしているが、常に傍にいる亘達は気が気ではないだろう。
「奏太様がお休みになったので、眷属がどのような仕事をしているのか、見に来たのですよ」
燐鳳は、広げた扇の下でそう言った。
ここ数日、燐鳳は事あるごとに「眷属」という言葉を口にする。長年の念願だったのだ。すました顔で内心浮かれているのがよくわかる。鬱陶しくて仕方がないが。
「僕の仕事は、眷属の仕事じゃなくて、商会長の仕事です。眷属は、主の護衛や情報収集が主ですから、僕じゃなく、汐ちゃんについて行ったらいかがです?」
お前がいると邪魔だと暗に言うと、しっかりその意図は伝わったようで、底冷えのするような笑みで見られた。
「巽殿は、私があの方の眷属に加わったのが気に入らないようで」
「……気に入らないというか……」
(なんでこんな奴がと思ってるだけですけど)
心の中でしか言えない自分が恨めしい。
燐鳳への力の譲渡は、主を繋ぎ止めるには必要なことだった。そういう意味では感謝もしている。何より、燐鳳自身がそれを望んでいた。
けれど、この男が眷属に加わることで、一番被害を被るのは巽だ。余計な事に首を突っ込まれては、ネチネチ詰められるのが目に見えている。もっと言えば、ただでさえ無茶振りが多い主の要望に応える傍ら、この男の企てる陰謀とその後始末に追われる未来しか見えない。
(眷属にするなら、縁さんとかにして欲しかった……)
いくら心の中でぼやいたところで、後の祭りだが。
巽は、ハア~、と深いため息をついた。
「ところで、燐鳳殿も、完全な眷属にはならなかったんですよね」
これ以上、仕事を続けるのは無理だと悟り、巽はコトリとペンを置く。
主は、これまでも、巽達を朱達と同じ完全な眷属にはしようとしなかった。力を直接譲渡されるのは、白の陽の気か、危機に陥った時の必要最低限の金の力だけ。
その理由を、今まで聞いたことはなかった。話題に触れようとすると、必ず主の顔色が曇るから。
玄の力を回収した直後。自分の身体が崩れかけているにもかかわらず、主は頑なに亘に力を譲渡しなかったそうだ。その理由を聞いて、巽は深く納得してしまった。主の抱える罪悪感と、自分達へ向けてくれる想い。
「不完全な眷属は、あの方の愛なのでしょう? 秩序の神ではなく、日向奏太様の眷属の証です」
燐鳳は、扇の向こうから覗く目を嬉しそうに細めた。
そう。主の中にあるのは、巽たちへの深い愛情。けれど、だからこそ怖くなる。御自分が最優先ではないということ。人界からの眷属に何かあるくらいならと、真っ先に御自分を犠牲にしようとしてしまうことが。
嬉しさよりも、恐怖が勝る。
巽にとっては、あの方こそが全てだから。
(この男、こっちの気も知らないで浮かれちゃって。普段はあんなでも、燐鳳殿にも可愛いところが……)
そう心で呟いたところで、不意に、耳に不穏な言葉が飛び込んできた。
「それにしても、屋敷の武官達も人界の者達も、まとめて守護の力を賜ったのは、やはり気に入りませんね」
「り、燐鳳殿?」
以前、奏太が真尋に守護の力を渡し、燐鳳が力を受けた部分だけ斬り落とすと言い始めたことを思い出し、背筋にゾワッと冷たいものが走る。
けれど燐鳳は、あの時の鋭い刃物のような雰囲気は出さず、憂い顔を作っただけだった。
「しかし、あの守護も、あの方を繋ぎ止める為ですから仕方ありませんね。あの方が眷属になさったのは私だけ。それで良しとしましょう」
巽はほっと胸を撫で下ろした。縁あたりが眷属になっていたら、酷いいびりが始まっていたに違いない。いや、今と何が違うのかと言われたら何も言えないのだが……
一体今後、自分はどれだけこんな思いをしなければならないのだろう。一瞬でも可愛いなんて思った自分がバカだった。
「そういえば、玄は、結局どうなさったんです?」
あの日、あの後。身体の戻りきらぬ状態のくせに、燐鳳は玄の行方を縁に確認したうえで、神の眷属でも何でもない妖が妖界の大君に働いた大罪を裁くのは妖界の仕事だと、無理のある主張をゴリ押しして、その身柄を引き取った。
主は、玄の処遇に何か言いたげな顔をしていたが、迷った末に言うのを諦めたように口を噤んでいた。正確には、玄に情をかける素振りを見せた為、その場にいた全員が、先を言わせなかった、という方が正しい。
主が何かを言い出す前に、燐鳳が全てを引き受けた形だ。
そうはいっても、妖界にすぐには連れていけないし、先代眷属が信用できない以上、塔にも王城にも連れていけない。そのため、今は商会の地下倉庫の一つをあけて玄を突っ込んでいた。主の張った商会の結界内なので、ハガネの時のように闇の女神に取り込まれる心配もない。
とは言え、主のいる屋敷内に玄を置いている状態、というところだけが懸念なので、主の体調が回復すれば、即座に妖界に送って幻妖宮で処罰してもらう予定だ。
燐鳳が地下倉庫から玄を逃がすわけもないので、あれ以降は燐鳳に任せたきり。
一応確認の為に、と問いかけてみたのだが、燐鳳は扇から見える目を、凍りつくような微笑みと共に細めただけだった。
「ああ、あの屑ですか。さあて、どうなったと思います?」
ヒヤリとするような声音に、巽は、それ以上、話を聞く気になれなかった。




