91. 金の守護雪
ピシッ、ミシッと身体が悲鳴を上げ、全身が激痛に支配される。
「……あ……うぅ……っ!」
まるで、ガラスに入ったヒビのように、奏太の身体に金色の光輝く線が走る。
それは、神々しい、聖なる秩序の神の光。
「奏太様!? 一体、何が——」
「……玄、から、回収した力が……溢れる。…………体を……維持……できない……」
脆弱な人の体で抑えきれなくなった神の力。それが内側から身体を引き裂くようにヒビを作り全身に広げていく。この身体を壊そうと。
不意に、ホール中に堪えきれない狂笑が響いた。
「は、はは……っ! ああ、俺の力で、貴方は神に還るのか!」
見れば、玄が狂気じみた目で、爛々と瞳を輝かせて食い入るようにこちらを見ていた。
「なんと、美しい! 醜い人の殻を聖なる力が食い破り、神が再び力を取り戻すのだ。俺の、力で! ハハ、アハハハハハハ!」
武官たちに取り押さえられ這いつくばっているのに、玄の笑い声が、高らかに壁に反響する。
身体が痛い。膨れ上がる力に圧迫されて、苦しくて、苦しくて、それなのに、息を吸っても胸に入って来ない。激痛に呻き声が漏れ、身を捩り痛みから逃れようとすれば、そこから更にヒビが入る。
「その力を、私に譲渡してください! 奏太様!」
亘の必死な叫びが聞こえる。
確かに、戻ってきた力を再び外に出せば楽になるのだろう。けれど——
「……ダメだ。俺が……消える、のに……お前を、神の……眷属に……これ以上、縛り付け……られない。……自分の意思で、終わらせる……権利、まで……奪え……ない」
三百年もの間、縛り付けてしまった。でも、越えてはならない一線がある。完全な神の眷属にして、全てを奪うことはできない。
「……う、うぅ……っ」
「奏太様!」
奏太を抱える亘の手に力が籠る。
「結局、人の甘さが、その方自身を滅ぼすのだ。無駄な抵抗をやめれば、苦痛は消える。溢れる力は止められない! 真なる神の、顕現だ!」
「黙れ!!」
クククッと勝ち誇ったように笑う玄に、亘が怒声を上げた。武官に力いっぱい押さえつけられ、玄の笑いが呻きに変わる。
けれど、状況は、玄の言うとおり。力を止めることも、抑え込むこともできない。身体が滅ぼされるのを待つ以外、できることが見つからない。
「……ああ……、せっかく……勇気、出したのになぁ……」
思わず、自嘲の笑いが出た。
「奏太様!」
「……わたり……、亘、」
奏太が亘に手を伸ばせば、ギュッとその手が握られた。まるで、縋り付くように。
「……俺……お前達には、自分のまま……思うように……生きて、ほしい……」
神の役割なんて気にせず、地上で、何にも縛られず。ただ、幸せに。奏太が縛り続けた分も、精一杯、自分達のために生きて、もし全てをやり終えたら、自分の意志で終われるように。奏太が、亘達に力を譲渡しきらなかった理由。
亘が、悔しそうに唇を噛む。ツウッと伝った血を拭うように、奏太はその顔にもう片方の手を伸ばした。
「……せめて、ここから先は……自分達の、為に……生きて……」
もう、自分の事など忘れていい。主なんかの為に苦しまなくていい。痛みも、苦しみも、代わりに背負おうとしなくていい。ただ、幸せに。
「……けど……俺、もうちょっと……お前達と一緒に……いたかったな…………」
それは、ちょっとの弱音と、抑えきれなかった本音。どうしても突き通したかった、願いと、我儘。
立派な主なんかじゃない。けれど、それでも、皆の輪の中で、自分も笑って生きられたらと——
「……ごめん……」
迷惑をいっぱいかけて、いっぱい傷つけた。三百年という膨大な時間を、縛り続けてしまった。でも、それ以上に。
「……一緒に……いてくれて……ありがとう……」
亘達がいてくれたから、ここまで生きてこられた。辛いこともいっぱいあったけど、皆と過ごせた日々は、楽しくて、幸せだった。
「お前たちが、一緒にいてくれて……良かった……」
「——勝手に、諦めないでください」
亘の低い声が落ちた。奏太を抱える腕が、身体が、震えているのがわかる。
「足掻くのでしょう? しがみつくと、仰ったではありませんか」
亘の、なんとか震えを押し殺したような声が聞こえた。それから、グイッと身体を持ち上げられる。
「……亘?」
「貴方のお側に居られないのなら、私に生きている意味はありません」
そのまま、亘は壊れ物を扱うように、大事に奏太を胸に抱え込み、バサリとその翼を広げた。
「どこに……」
「私だけへの譲渡を嫌うのなら、他の者へ。守護でも、何でも結構です。複数へ広げれば、影響も少なくて済みます。——それに、あそこには、貴方の眷属になりたくて仕方のない者がいるでしょう」
亘が、忌々しげに表情を歪めて、奏太の部屋のある方を睨んだ。
一刻を争うように亘はバサリと浮かび上がり、ホールから吹き抜けを抜け、せまい廊下へと一気に羽ばたく。突風が周囲に吹き荒れ、置物や絵画が無惨に落ちて壊れるのも無視して、ものすごいスピードで、元いた奏太の部屋に一直線に向かう。
「燐鳳殿!」
バンと扉を蹴破るように、亘が奏太を抱えたまま、部屋に飛び込んだ。
瞬間、一斉にこちらに室内の全員の目が向く。それと共にザワリと動揺が走った。
「「「「奏太様!!!」」」」
複数人の叫び声と共に、皆が駆け寄り、奏太の顔を覗き込む。
「亘さん、何が……!」
動揺しきった巽の声。それに、亘が焦りのまま、まくし立てるように説明する。
「玄を眷属から追放した。その代わりに、奴から回収した神の力が、御身体を壊して中から溢れ出しかけている! 力を、外に——」
「そんな……!」
椿の悲鳴が聞こえた。
「奏太様、それなら、僕らに!」
巽はそう言うが、奏太は亘に言った通り、これ以上、眷属達に力を与えるつもりはない。首をゆっくり横に振ると、巽の表情が焦りに歪んだのが分かった。
「……お前ら……には、これ以上は……」
「そんなこと、言ってる場合ですか!」
叫ぶように言う巽を押しのけて、ずいっと燐鳳が前に出る。そして、ひび割れの入った奏太の手をギュッと押さえ込むように握りしめた。
「亘殿、先ほど、私の名を呼びましたね?」
「玄を眷属たらしめていた力を受ける器が必要です。既に眷属である、我ら以外の誰かの」
亘が言うと、燐鳳は全てを察したように、奏太の頬をそっと撫でた。
「ならば、私以外には居ませんね」
「……ダメだ……地上の者を……これ以上、眷属には……」
途切れ途切れに言うと、近くで巽がギリっと奥歯を鳴らした。
「せめて、屋敷内の武官を集めましょう! 眷属が無理でも、守護で力を使えば、少し落ち着くかもしれません! 汐ちゃん!」
「ええ!」
室内が慌ただしく動き始める。しかし、燐鳳はその場から動こうとはしない。
「……燐……」
「貴方の御力を、私にお与えください。奏太様」
握りしめる手に力がこもる。
「……けど……」
苦痛から解放されて楽になりたい。消えたくない。皆とこのまま一緒にいたい。でも、そのために、誰かの生を奪い、狂わせ、自分と同じ苦しみを背負わせたくない。
「申し上げたはずですよ。私の命を、貴方に預けると。貴方が消えれば、私はこの命を絶つと」
部屋を出る前に確かに聞かされた、燐鳳の覚悟。
「私に命を無駄にさせるおつもりですか? 私は、貴方にとって、それほど軽い存在なのでしょうか?」
「……そうじゃ……ない……、だけど……」
「貴方の御役に立たせて下さい。奏太様。どうか、貴方の望みを私にお聞かせください」
奏太の、望み。それは、ただ、一つだけ。けれど、それが何より難しいことを、奏太自身が一番よく分かっている。今も、まさにそれが潰えようとしているのだから。
それでも……罪として抱え込み、苦痛に耐え抜いてでも、護り抜きたかった。失くしたくない、手放したくない、大事な願い。
「……俺…………俺の、まま……皆と……生きたい……」
奏太の言葉に、燐鳳は柔らかく微笑んだ。
「では、どうか、私にその願いを叶えさせてください」
願いを口にしてしまうと、欲が生まれてしまう。どうしても、縋りつきたくなってしまう。いけないことだと、頭では理解しているのに。
「……燐、……でも、お前まで……俺に……縛りつけることに……」
本当は、これ以上、眷属を増やすつもりはなかった。燐鳳が望んでいると分かっていても、いつか消えてしまう自分に縛り付けることは、無責任で、傲慢な行為だと思ったから。でも……
「大丈夫ですよ。奏太様。何も、心配はいりません」
燐鳳の、柔らかな声が降ってくる。
「私はもとより、貴方の為に生きています。雉里の家も、幻妖宮も、貴方の支えにする為に留まったに過ぎません。貴方に全てを捧げると誓い、尽くしてきたつもりです。今までも、そして、これからも」
燐鳳はそう言うと、慈愛の籠もった瞳を細めた。まるで、全てを包み込むように。
「私に、貴方の痛みをお分けください、奏太様」
「……いい……の……?」
「それが、私の望みです。ご存知でしたでしょう?」
クスッと、燐鳳は悪戯っぽく笑った。
眷属にしてほしいと、そう言われるのが怖くて燐鳳から逃げ出したのは、それほど前の話ではない。
「……ごめん、燐……」
なんて、自分勝手なのだろう。燐鳳をこちらに引き込んでまで、短い生にしがみつこうとするなんて。
「……ご……めん……」
掠れた声しか、出てこない。頬に自分の涙が伝う。惨めで、見苦しくて、それでも——
「何もかも、御心のままに。奏太様」
燐鳳が、スッと奏太の頬の涙を拭った。
「……痛みが……あると、思う……亘達も……そう、だった……」
「耐えましょう。どのような苦痛も。貴方と共に、生きられるのなら」
「……ありがとう……燐……」
奏太はそう言うと、身体を突き破り溢れ出そうになっていた力を、燐鳳の握る手に集めた。眩い金が手の平から溢れだし、ぐんぐん聖なる輝きを増していく。そしてそれが、すうっと燐鳳に溶けるように吸い込まれていく。
それと共に、燐鳳がグッと奥歯を噛み締めるのが見えた。神の眷属となり、不老の身に作りかわる苦痛。亘、汐、巽、椿も、そうやって耐えていた。奏太が神になった時もまた。
燐鳳に力を譲渡するにつれ、少しずつ、身体の痛みが引いていく。皮膚のひび割れが治まり、自己治癒が始まる。
ある一定まで燐鳳に力を与えると、奏太はピタリと力を止めた。これ以上は、与えられない。燐鳳の、自分の意思で死ぬ権利を奪ってしまうから。
光の本流が収まると、燐鳳の身体がフラリと揺れた。それを、いつの間にか駆付けていた縁がガシッと支える。
「……奏太、様……お身体は……」
荒い息をしながら、燐鳳が震えの残る手を奏太の顔に伸ばした。温かく柔らかな感触。奏太は、その手に自分の手をそっと添えた。
「随分、楽になったよ……ありがとう……」
「それは、良う、ございました」
自分も辛いはずなのに、縁に支えられたまま、燐鳳は嬉しそうに、そう笑った。
「奏太様、お力は?」
奏太を抱えていた亘から、心配げな低い声が落ちてくる。
「まだ、少し苦しい。でも、これ以上は……」
「わかっています。巽の指示で、動かせる武官達をこの部屋に集めました。入らない者は、廊下に。皆に守護を与えてください。いくらか楽になるはずです」
亘の言葉に周囲を見回せば、奏太を取り囲むようにして、こんなに居たのかと思うくらいの武官たちの顔があった。どれも、見た顔。この商会で共に過ごした、大事な仲間達。傷つき、ボロボロになっても、奏太を護ろうとしてくれた者達。
「奏太様」
亘の言葉に促され、奏太は、先ほどまで燐鳳に握られていた手を天井に向けた。先ほどと同じように力を込めれば、神々しい金の光の粒がキラキラと輝きながら天井に登り、まるで牡丹雪のように、部屋や廊下にいる武官たちや人界の面々の頭上に振り注いだ。遠く離れた階下で、玄のせいで傷ついた者にも届くように、祈りを込めて。
楓や真尋、栞、晦、朔、武官たち。皆がポカンとした顔で自分に吸い込まれていくそれを見上げ、それとは対照的に、亘たちは不安と心配の混じった顔で奏太をじっと見ていた。
金の牡丹雪がすうっと消え去る頃には、奏太の身体の中の力は、ようやく以前と同じくらいにまで落ち着いていた。
燐鳳を亘達と同じ眷属にしたのに加え、守護の領域を越えない範囲で、できる限り多くの力を譲渡したのがよかったらしい。
「お顔の色が、良くなったようですね、奏太様」
青い蝶がヒラリと奏太の額に舞い降りる。
「……うん。皆のおかげだ。これで、また、皆と過ごせる」
もともとあった神の力の侵食がなくなったわけでも、期限が伸びたわけでもない。相変わらず、奏太の中には、白と金の力の奔流が渦巻き、黒の力がその更に奥底で不気味に蠢いている。状況が改善したわけではなく、依然、奏太の身体は弱く脆いままだ。
それでも。
「まだ、皆と一緒に、日向奏太でいられるよ」
今度こそ、隠し事もなく、まっすぐな心のまま、皆と。その事に、奏太は深く安堵の息を吐いた。




