89. 玄の迎え
「奏太様、我らが先に様子を見てまいります」
「……縁、無茶、しないで」
縁の言葉に奏太が答えると、縁は小さく首肯した後、武官達を連れて駆けて行く。
それを見送りながら、奏太は、自分の首に大事に掛けていた柊士のお守りをそっと外した。それから、自分の手を重ねて光を注ぎ込む。
「奏太様!」
突然、力を使い始めた奏太に、亘が慌てた声をあげた。金の力を使うことに、亘も、皆も、過敏になっている。けれど、今、奏太が注いだ力の中に金はない。
「大丈夫、陽の気だけ……むしろ、玄に対してはその方がいいはずだから……」
玄の力は、秩序の神の力だ。お守りに宿して使うには、同質である金の力は抵抗になりにくい。でも、白の力は奏太の……陽の神から受け継がれた日向の力。きちんと外敵から護ってくれるはずだ。
「はい、亘、これ」
奏太に差し出されたそれに目を向け、亘は怪訝な顔で奏太の目を見返した。
「……これを、どうしろと?」
「亘が持ってて。御守り、今、これしかないんだ……」
本当は、もっとしっかり護りを固めておきたい。けれど、時間がない。
「しかし、これは、柊士様の……」
「うん。でも、柊ちゃんは、亘に貸しても怒らないと思う」
「そうではなく。大事なものでしょう」
大事だ。ずっと、心の拠り所だった。これがあったから、奏太は今もここにいる。けれど——
「……亘も、大事だから」
訝るばかりで手を出さない亘の手を掴み、奏太は無理矢理、柊士の御守りを亘に持たせた。更にその上から陽の気を注ぎこむ。白の力が、亘の護りになるように、何重にも、祈りを込めて。
「私より、御自分の身を優先してください」
「……力だけなら、俺はその御守りよりも、もっと大きな力があるから……だから、それは、亘が持ってて。全部終わったら、ちゃんと返してくれたらいいから」
本来ならば、奏太は眷属など足下にも及ばないくらい強大な力を持っている。それが今までできなかったのは、ただ一つ。心の問題だけ。
「……俺、玄と話してみる。だから……少しの間だけ、手を出さないでもらえないかな?」
「話が通じる相手ではないでしょう」
そうかもしれない。言葉なんて、届かないかもしれない。届いても、はねつけられて終わるかもしれない。けれど……
「ちゃんと、ぶつけておきたい……俺の、意思を……」
怖い。玄の事を考えると、どうしても震えてしまう。でも、だからこそ、自分の言葉で自分が選ぶ道を宣言するのは、必要なことだと思うから。誰の為でもなく、自分の為に。
「危険です。あちらが手を出してくれば、どうなさるのです」
「その時は、俺も力を使うよ。……けど、怖くて……どうしても動けなくなったら……亘が、助けて」
もう、心ごと、へし折られないように。
奏太は眉尻を下げて、亘の目を見返した。
階下のホールに降りると、そこに玄の姿があった。武官達が玄を止めようとしてくれていたのだろう。玄が通ってきた場所には、複数名があちこちで血を流して倒れ、うめき声を上げている。縁達は、奏太達よりも先についたものの、手出しができないでいるように見えた。
「御迎えにあがりました、我が君」
玄は、奏太に目を留めると、手に掴んで引きずっていた武官をパッと放す。
「……なんで、武官達を……」
「足止めに向かってきたので相手をしたまでですよ。それに、貴方が存在することで招く災いを、その目に焼き付けご理解頂かねば、貴方は俺と共に塔に帰ってくださらないでしょう? そこの不完全な眷属共に引き留められて」
玄はそう言うと、落ちた塵でも見るような目で亘を見た。
「……誰にも手を出すな。そんなことしたって、俺はもう、お前のところには帰らない」
奏太は、なんとか声を絞り出す。
すると、玄は冷笑を浮かべ、先ほどの武官の腹を、ダンッと踏みつけた。武官から、息を詰まらせたような悲鳴が響く。
「玄ッ!」
「貴方が悪いのでしょう? 我儘を仰るから。苛つかせないでください。制約に触れてしまいそうだ」
玄は、足の下の武官をグリッと踏み躙る。
「俺の怒りが分かりますか? 我が君。分からないでしょうね。せっかく金に染めても、人界や妖界の奴らが! すぐにその瞳を! 黒に戻してしまう! この、徒労感が!」
ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!
苛立ちをそのままぶつけるように、何度も、何度も、玄は武官を勢いのままに踏みつけた。
「やめてくれっ! 玄!」
奏太は思わず飛び出しかけて、グイッと亘に腕を力いっぱいに引かれる。
「奏太様、どうか、落ち着いてください」
「……けど……」
武官はすでに気を失い、ぐったりとしてしまっている。周囲を見回せば、身体を血に濡らし倒れ伏す者たちばかり。きっと、同じように玄に痛めつけられたのだろう。その鬱憤を晴らす為だけに。
「大丈夫です。玄は、武官達を殺せません。貴方を神に戻したいのなら、尚更、制約に触れるようなことはできません」
亘の言葉に、玄は凍てつくような視線を亘に向けて、口元を歪ませた。
「本当に目障りだな、お前は。お前らさえ居なければ、我が君はもっと早く、神に戻られていただろうに。さっさと始末しておけば良かったよ」
「玄、言ったはずだ。亘達に手を出すのだけは許さないって」
奏太が緊張した声音で言うと、玄は嘲るように鼻を鳴らした。
「どう、許さないのです? 正しき道に貴方を——世界に神を戻そうとする俺に、まさか、その神の力をお使いになるわけではありませんね?」
玄の言葉に、喉が詰まる。
『穢らわしい私欲に、神の力を使い続ける罪』
二百年にもわたって、何度も、何度も、何度も、刷り込まれて来た罪悪感。
「穢らわしい器を維持する為だけに、それを保とうとする虫ケラの為だけに、この世の為にある秩序の力を使って良いと、まだ、思っているのですか?」
「……俺は……」
「この世と、神々に対する大罪を、まだ、理解していないのですか? 貴方のせいで、多くが死んで、尚」
奏太の視界に、血まみれの武官の姿が映る。それに、闇に飲まれて死んだ者や、虚鬼になった者、更に奏太の手で焼いた虚鬼の姿が重なる。
吐き気がする。自分のせいで……自分が存在していたせいで、失われていった膨大な数の者達への罪悪感で……
「奏太様、聞いてはなりません」
奏太を掴む手に、亘が力を込めた。
それを見た玄が、グッと踏みつける足を強めた。武官はもう、動くことも声を上げることもない。生きているのか、死んでしまったのかも分からない。
「全て、貴方のせいです。この世にとって、貴方の存在は害悪でしかない。地上の者達に苦しみを背負わせていることを自覚しながら、人の身にしがみつく、貴方の罪です」
玄の、低く凍りつくような声。耳から直接侵入し、体の中から突き刺してくる毒のような言葉。聞き慣れてしまったそれが、抵抗も許さず染み入ってくる。
温められていたはずの心が、身体が、一気に冷えていく感覚。どうしようもない恐怖に、身体が震えそうになる。
「奏太様、奏太様!」
不意に、亘の両手が、ガッと奏太の両肩を掴んだ。
振り返れば、奏太の目を心配そうに覗く瞳が、必死に揺れていた。奏太自身を、こちら側に繋ぎ止めるように。
「……亘……」
そう声に出して名を呼ぶと、硬く冷え切った身体に、じわりと亘の熱が入ってくるような気がした。
「貴方は一人ではありません。私が共にいます。心を、しっかり持ってください」
……一人では、ない。
(……ああ、そうだ……)
いつものように、暗く冷え切った石の塔の中、たった一人でいるわけじゃない。玄の言葉だけに支配される孤独に、取り残されているわけではない。手を伸ばしても誰にも届かない牢獄の中ではない。
奏太は、縋るように、亘の手を掴み返した。
自分の居場所はここだと。流されないように、必死に地に根を下ろす。
奏太は、震えそうになる喉を、もう一度、抉じ開けた。
「……玄の、言うとおり……、俺は……悪だ……」
「奏太様!!」
亘の吠えるような声。しかし、奏太はそれに首を振って見せた。亘を掴む手に更に力を込めて、少しだけ微笑みを作る。
「大丈夫。亘」
亘の顔が悲痛に歪む。けれど、悔しそうな顔でグッと言葉を飲み込んだのが見えた。
奏太はもう一度、玄を見据える。亘の熱を感じながら、逃げ出し折れそうになる心を、必死に奮い立たせる。
「……柊ちゃんは、夢で、俺は悪くないって言ってくれた。亘達も、このままでいいって、言ってくれた。……でも、闇で命を失った者にとっても……その大切な者達にとっても、救い主である神の力を奪って……闇を発生させる片棒を担いだ俺は……やっぱり、悪だ」
手が、震える。亘の前で罪を認めるのは、心が切り刻まれるくらいに、痛くて、怖くて、仕方がない。苦しくて、呼吸をしているのに、胸がつぶされるようで、息が入ってくる気がしない。
「ああ、我が君。その通りです。貴方の存在自体が、世界の秩序を狂わせる、元凶そのものです」
玄は、愉悦に満ちた声で笑う。
しかし、すぐにその表情を冷たく固めた。奏太の瞳は、言葉とは裏腹に、玄の望まぬ黒のままだから。
「ただ、その目。本当に、気に入りませんね。何度突き落としても、黒に戻る。御自分の罪を、全く理解されていない」
「理解、してるよ……嫌というほど。お前の言うことが正しいから、俺はずっと、罰を受け入れてきた。自分の罪を知られるのが怖くて、誰にも言えなくて、ただただ、黙って耐えてきた」
二百年。自分を蝕み続ける毒を抱え込み、それでも、一人で耐えてきた。大事なものを、失いたくない一心で。
奏太は、気付けば、指を食い込ませるほどに強く、亘の腕を握りしめていた。亘もまた、その上から強く熱を与えるように大きな手を被せて握りしめる。
大事な命綱。それを、必死に掴んだ。
「でも、もう、終わりにする」
「は? 終わり? 神に還る決意でも固められましたか?」
玄は、深く昏く、深淵に吸い込まれてしまうような深緑の瞳で、嘲り、奏太を見る。奏太は、この目が怖くて怖くて仕方がなかった。この深緑は、罪と罰の象徴だから。
——けれど。
「違う。罪深くても、たとえ悪でも、人でいる決意だよ」
「ああ、貴方は、本当に……」
玄の怒りに震える声が聞こえた。それと共に、玄がパッと手を振る。周囲に重い圧がかかり、無事だった縁達武官も巻き込み、呻きが周囲に漏れる。
「玄! ヤメ——……!」
奏太が声を上げかけた瞬間、目の前にいた玄がダンと地面を蹴るのが見え、その手が奏太の身体に伸びた。
二百年。罰を与えられ続けた手。強がっていても、どうしても身体と心が反応してしまう。
恐怖に身が竦み、奏太はギュッと目を瞑った。
しかし、その手が奏太に届く前。パンとそれを弾く音が聞こえた。それと共に、グンッと腕が引かれ、キンッと硬質な物同士がぶつかり合う音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、自分を庇う大きな背。刀を抜き玄に突きつけた亘がそこにいた。
玄は玄で、いつの間にか黒と金の剣を握り、亘の首に切っ先を突きつけている。
「何故、動ける?」
玄の苛立ち交じりの疑問が落ちた。
亘は答えない。けれど、亘の胸元に下がった御守りが揺れ光を放っているのが見えた。それは、白い陽の気による守護。
「陽の力か。小癪な」
「これ以上、お前に、この方を傷つけさせない」
亘の言葉に、玄は、ハッと笑った。
「立っているだけで精一杯のやつが、笑わせるな。それに、俺は傷つけているわけじゃない。あるべき姿に還して差し上げているだけだ」
玄の言う通り、亘の手足は震え、冷や汗を流している。無理矢理、自分を奮い立たせている状態。
「……亘……」
「私に、貴方を護らせてください。二百年分の、傷から」
亘の言葉に、じくっと心が疼く。喉も、胸も、熱くなる。助けが来るということが、どれほど——
「これ以上、傷つく必要はありません。奏太様」
力強く、自分を護り続けてくれた背。誰かに傷つけられても、奏太自身が傷つけても、変わらず、庇い続けてくれた、大きな背。それが、どれほど、奏太の支えになっているか。
「主から完全な眷属にもしてもらえない出来損ないが、無駄なことを。その方が完全な神になれば、使い捨てられる塵屑が」
吐き捨てるような玄の声。
けれど、そうじゃない。亘たちは、奏太が神になったあとに使い捨てられる存在なんかじゃない。亘たちが持っているのは、奏太が奏太じゃなくなった時に、知らぬ神に仕えなくても良い権利。自分の生を、自分で選べる権利。
「亘達は、秩序の神の眷属じゃない。俺の……日向奏太の、護衛役だ」
今までも、これからも。
玄の顔が、苦虫を噛み潰したように歪んだ。
「なら、その護衛役に見せてやりましょう。主を護る事もできず、俺の手で、貴方が壊されていく様を」
瞬間、玄が剣を引き、黒に纏う金を閃かせながら亘を斬り伏せるように振るった。




