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さよなら編

 クレの様子がおかしいって気づいたのは、数日前からだった。最近は口数が減ってるなあと思っていたら、ある時からクレの視線が床を彷徨うようになった。

 最初は具合でも悪いのかと思ったいた。けれどもずっと見ていると、どうも違うみたいだった。でも忙しいから疲れてるだけかも、疲れすぎて元気がないだけかもと、私は考えていたんだけれど。

「みやちゃん、話があるんだ」

 だけど今日突然、クレは真顔でそう言ってきた。テーブル越しに向かい合って、夕飯を食べ終えた後のことだった。仮面越しに私を見る目はいつにない程に真剣だ。食後のアイスまでしっかり食べた私は、目を丸くしてそんなクレを見返す。

 この空気は変だ。いつもは微笑んで片づけをする時間なのに、こんな目を向けてくるなんておかしい。嫌な予感がして私は生唾を飲み込んだ。喉の音がやけに大きく耳に残る。

 私が黙っていると、クレは空になったカップを手のひらで包んだ。そして小さく息をつくと視線を逸らした。ほら、まただ。こういうことが最近は頻繁にある。心臓を鷲掴みにされたような気分になり、私は強く唇を噛んだ。胃の奥がきりりと痛い。

 何を口にすればいいのかわからず、私はクレの横顔をじっと見た。すると仮面越しでも、その顔が浮かないのがわかった。またマジックで失敗でもしたんだろうか? でもそれじゃあ、私に話する理由にならないし。視線を逸らす理由にもならないし。

「本当はずっと言おうと思ってたんだけど」

 クレは私を見ないままそんな言葉を続けた。静かになった部屋に、その声はよく響いた。私は小さく頷くと、耐えきれなくなってテーブルへと視線を落とす。こんなクレを見るのは嫌だった。何だか避けられてるみたいに思えてくる。

「僕、しばらくここに来られなくなるんだ」

 だからそんなクレの言葉は、なおさら私の心に深く突き刺さった。息が詰まって、私は膝の上でぎゅっと手を握った。

 ひょっとして、知らないうちにクレの嫌がるようなことしちゃったんだろうか? そう思って必死にここ数日の行動を振り返ってみたけれど、今までと特に変わったところはなさそうだった。むしろ今までの方が我が侭を言ってたくらいだ。クレも忙しいだろうと思って、最近は気を遣ってたくらいなんだし。

「聞いてる? みやちゃん」

「……うん」

 クレの大きな目が、一瞬こちらを見たような気がした。けれども俯いていた私には、それが確認できなかった。それでも頭を軽く縦に振れば、結ばれていた髪が小さく跳ねる。それが首筋をくすぐって、私は思わず肩をすくめた。

「師匠の知り合いがいてさ。全国を回ることも多い実力のあるマジシャンなんだけど。師匠は僕をそこに、しばらく修行に出したいんだって」

「――え?」

 けれども続くクレの言葉に、私はすぐに顔を上げた。予想外の話に、一瞬思考が止まったみたいだった。でもそれではいけないと、私は必死に頭を働かせる。ここで驚いているだけでは駄目だ。

 抱えていたものを口にしたらしいクレは、それでもまだ目を逸らしたまま窓の方を見ていた。ただよく見れば、カップを包むクレの指先はしきりにその縁をなぞっていた。落ち着かない様子だ。不安なのかもしれない。

「ねえクレ」

 また黙ってしまったクレの名前を、私はそっと呼んだ。自分でも情けない程に、声は震えていた。けれどもそんなことはかまわなかった。私はただ真っ直ぐクレを見つめながら、その横顔に声をかける。

「ねえクレ、それって」

「ごめんね、みやちゃん」

「それってクレ、喜ぶことじゃあないの?」

 かすれそうになる声を絞り出して、私は言った。他のマジシャンの所で修行するということは、それだけ認められたってことだ。クレの実力が認められたということ。ずっと自信がなかったクレにとっては嬉しいのことのはずだった。クレだって私だって、その日をずっと待ち望んでいたんだ。

「みやちゃん?」

 ゆっくりと視線を戻して、クレが首を傾げた。その綺麗な瞳は仮面越しにも揺れているのが明らかで。私はその眼差しを受け止めながら、握った拳にさらに力を込めた。ひくついた喉の奥から、変な声が漏れそうになる。

「みやちゃん、そんな顔しないで」

 クレが困ったように微笑んで、そっと立ち上がった。私は思わず下を向いて、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。本当は微笑んで言えたらよかったんだけれど。

 マジシャンクレが認められるのは嬉しい。クレが自信を持ってくれればもっと嬉しい。それなのにどうして泣きたくなるのか、自分でもよくわからなかった。どさまわりでクレと会えなかった時期も、こんな気持ちにはならなかったのに。なのにどうしてここまで寂しく思うのか、理由が説明できなかった。

「みやちゃん」

 きっと今、私はひどい顔をしているだろう。近づいてきたクレの手が伸びて、俯いた私の頭をそっと撫でた。クレを困らせたくないのに、こんな反応しかできない自分が嫌になる。

「本当はね、嬉しいことだよ、みやちゃん。みやちゃんに会う前だったら、きっと素直に喜んでた」

「うん」

「でも今は手放しには喜べないよ。みやちゃんと会えなくなるのは、辛いから。きっと長く会えなくなるだろうから」

 クレはその場に片膝をついて、私の顔を覗き込んできた。そして固く握った拳に手を重ねてくる。繊細だけれど大きな手に、私の小さな手はすっぽりと包み込まれた。それが何だか妙に気恥ずかしい。

「でも僕はもう逃げたくないし、師匠も行けって言うから行ってくるよ。みやちゃん、僕が戻ってくるまで待っててくれる?」

 よく見れば、クレはうっすらと微笑んでいた。驚いて瞬きを繰り返すと、堪えそこなった涙が少し頬を流れていく。クレはその一筋をそっと親指で拭うと、もう一度私の名前を呼んだ。私は大きく首を縦に振る。

「も、もちろん!」

「ありがとう、みやちゃん。帰ってきたら、またご飯作ってあげるから」

 クレはゆっくりと立ち上がった。そんな風に言われちゃうと、何だかご飯につられてるだけみたいな気にもなるけれど。でも私は気にしないことにしてもう一度頷く。するとクレの手がまた頭へと伸びてきた。手つきが変態っぽいのは、いつものことだからこれも無視しよう。

「みやちゃん、大好きだよ」

 笑顔で言われた言葉は、クレのマジックみたいだった。だから私もだよと答える声は、自然と弾んでいた。

 いつまた会えるのかわからないのは辛いけれど、ずっと待っていたいと思う。だって私の部屋には、やっぱりクレがいるのが似合うから。クレと一緒にいる私が、きっと一番元気だから。私はたぶん誰よりも、クレのことが好きだから。

「クレ、修行頑張ってね」

「うん。みやちゃんも受験、頑張ってね」

「うっ……それはその、うん、頑張るよ」

 すごく久しぶりに、部屋の空気も明るくなった気がした。私はクレと視線を合わせると、今日一番の笑顔を向けた。




 クレがまた私の部屋にやってきたのは、それから二週間後の夜のことだった。

「えーと、みやちゃん……」

「――クレ!?」

 今日は疲れたから早く寝ようと部屋に入った私を、いつも通りのクレが迎えてくれた。見慣れた黒のタキシードに身を包んで、ステッキをふらふらとさせている。けれどもクレは複雑そうな微笑みを浮かべていた。

「ク、クレどうしたの? 私もう行ったんだとばかり思ってたんだけど」

「それがさ、予想外のことが起きて」

「予想外?」

「実は、遠くに行かなくてもいいことになったんだよ」

「……え?」

 気恥ずかしそうなクレの様子に、私は目を丸くして首を捻った。行かなくていいとはどういうことだろう? もしかしてクレが大失敗か何かして、修行取りやめになっちゃったとか? でもそれにしては落ち込んでる様子もないみたいだし。

「クレ、ちゃんと説明してよっ」

 私はクレに詰め寄るとその顔を覗き込んだ。するとクレは困ったようにため息をついて、ついで肩をすくめる。その視線は頼りなく辺りを彷徨っていた。

「僕、まだ一応高校生だろう? でも通信制だから登校日なんてほとんどないんだけど。なのに師匠の知り合いって人がどうやら学問にもうるさい人みたいで。学生をよこすな、俺が行くからとか言い出してさ……」

 苦笑混じりに答えると、クレは私から一歩離れた。そしておそるおそる私の様子をうかがってきた。クレがそわそわしながらステッキを弄る姿は、いつもよりも少しだけ子どもみたいだ。私はどっと肩の力が抜けて、大きく息を吐き出す。

「なーんだ」

「ああーっ、やっぱりそういう反応するっ。だ、だから言いたくなかったんだよ。あんな風に別れた後だったし」

「もしかしてクレ、それでこんな所にいたの?」

 最近は知らない間に台所にいることが多いのに、私の部屋で待っているなんて珍しかった。いつ以来だろう? だからこうして二人で部屋にいると、最初に会った時のことを思い出した。あの時私はクレを変態マジシャンだと思っていて――今もこの仮面は変だと思うけれど――避けていたんだっけ。

 そんなことを思い出すと急におかしくなって、私はくすくすと笑い声を漏らした。するとクレは情けない顔をして私の頭を小突いてくる。

「みやちゃん、笑わないでよ。だっていきなりご飯作って待ってるわけにもいかないでしょう?」

「ごめーん。でもさクレ、修行できることには変わりないんでしょう? だったらいいことじゃない!」

 私はどんどん楽しくなって、その場でくるりと回るとベッドの上に腰掛けた。昔は寂しい場所の象徴でしかなかったこの部屋も、今では一番くつろげる所になっている。これも全てクレのおかげだ。クレと一緒に過ごしてきた、楽しい時間のおかげ。大好きなクレのおかげ。

「クレ、お帰りなさい」

 私は座ったままそう言って、右手を前に差し出した。ついでその手のひらを上に向けると、クレは不思議そうに瞳を瞬かせる。けれどもすぐに私の意図を読みとったらしく、満面の笑みを浮かべた。そして得意げに、どこからともなくピンク色の薔薇を取り出す。

「ただいま、みやちゃん」

 棘のないその薔薇を、クレは私へと差し出した。私はそれを、大きく頷いて受け取った。

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