悲劇のヒロイン
「ふふっ、惨めなものね」
自分の代わりに帝国へと送り出される姉のアキのことを見ながら、フィリア・フォン・メルシィは笑っていた。
鍵のかけられた幌、貧相な馬車。
去り際に見たこれから婚約に向かうとは思えないほどにみすぼらしい衣服。
隣国に嫁ぐというにはあまりにも不適切な自分の姉を見てフィリアが感じるのは憐憫、ではなく喜悦であった。
「まったく、これであの土食い女がいなくなるかと思うとせいせいするわ」
フィリアはアキの『土食い姫』というあだ名が好きではない。
彼女にはアキのことを姫などと呼ぶことが我慢ならないのだ。
あんな女に姫君の名は相応しくない。
フィリアは自分のことを、被害者だと思っている。
土を食らうような頭のおかしな姉を持ったことは、彼女にとっては何よりも大きな悲劇だったのだ。
♢♢♢
メルシィ伯爵家の次女であるフィリアは、父からも母からも絶大な愛情を受けて育っていた。
本来であれば厳格であった父は、フィリアには恐ろしいほどに甘かった。
厳しいしつけを受けるようなこともなく彼女がほとんど何も言われずに甘やかされて育ったのは、もちろん姉であるアキが原因だった。
フィリアが物心が付いたときには既にアキは屋敷の中に幽閉されていた。
彼女は基本的に自分の部屋を出ることが許されていない。
『お前の姉は……あれは、土を食うのだ。とてもではないが、人目に見せられるものではない』
最初に父の言葉を聞いた時は、何かの冗談だと思った。
あるいは何かしらの別の問題があり、人目に触れないようにしているとばかり思っていた。
だがフィリアは一度、屋敷の中を歩いていた時に彼女の奇行を見たことがある。
「……」
絶句するフィリアの目の前では、使用人達の目を抜け出して外に出たアキが、土を食べていた。
それもまったく躊躇するようなこともなく、美味しそうに。
気味が悪い。
こんな女が自分の姉であることが嫌で仕方がなかった。
『土食い姫』の噂は、社交界にも広がっていた。
フィリアはそのせいで、ずっとあの『土食い姫』のいる家の女というレッテルを貼られ続けることになった。
社交界で肩身の狭い思いをしたことは、一度や二度ではない。
貰い手もなかなか現れず、結婚適齢期になったところでようやく決まった縁談は戦いに明け暮れているという隣国の野蛮な辺境伯家。
それに対して自分から全てを奪ったはずのアキの婚約相手は、リグラント伯爵家の嫡男であるライナス・フォン・リグラント。
何度も家にやってきていた彼はまるで物語の中に出てくる美男子そのもの。
(ずるい、なんであんな女があれほどの男性と……)
フィリアは嫉妬に狂い、底知れぬ怒りを覚えた。
だから彼女はこう考えた。
そうだ、あの土食い女の事が許せないのなら……奪ってやればいい。
あの女が心の拠り所にしている婚約者を奪ってしまう。それは散々アキに苦しめられてきたフィリアにとって、何よりも甘美な誘惑であった。
「お父様、お母様……私、隣国に行くだなんて耐えられないわ!」
フィリアは涙ながらに、隣国に嫁ぐことになる悲哀を両親へと訴えた。
彼女のことを溺愛する両親は、その言葉をすぐに聞き入れてくれた。
「たしかに……アキが隣国に嫁いだ方がいいかもしれぬな」
「フィリアと二度と会えなくなるのは寂しいものね」
ライナスもまた、フィリアの提案に頷いてくれた。
彼もアキのことは苦々しく思っていた。
普通の人と結婚できるだけでなんと幸せなことかと、彼はフィリアに愛を囁いてくれた。
こうしてトントン拍子に話は進み、無事アキとライナスの婚約は破棄。
代わりにフィリアとライナスが婚姻することとなり、アキは隣国の辺境へと島流しの憂き目に遭うことになる。
「……いい気味」
メルシィ伯爵家領都であるメルザニア。その街道を行き遠ざかっていく馬車を見ながら、フィリアは不敵に笑う。
あの中で悲しみに暮れるアキの姿を想像するだけで、胸が空く思いだった。
フィリア・フォン・メルシィは人生の絶頂にあった。
だが……その幸せはそう、長くは続かなかった。
♢♢♢
二人の関係が円満で仲睦まじかったのは、最初の一月にも満たなかった。
「なんで……なんで私以外の女と遊んでるのよ、ライナス!」
「子を為すのは貴族家の責務だからだよ、フィリア。君だって側室を取ることは許してくれていたじゃないか」
そう悪びれもせずに言うライナスに、フィリアは激高する。
ライナスは欲しいと思ったタイミングで甘い言葉を囁いてくれる、彼女からすれば理想の男性だった。
だが女性が求めるものをわかっているということはそれだけ女性慣れしているということの裏返しでもある。
結婚してからわかったがライナスはかなりの遊び人であり、結婚生活が一月を過ぎた頃からちょこちょこと屋敷を空けるようになっていた。
アキがその行方を探ってみれば、彼は町娘と連れ込み宿へと入っていくではないか。
そして問い詰めてみればこの態度、ライナスは完全に開き直って何が悪いのと言わんばかり。
フィリアは独占欲の強い女だ。
彼女は夫が自分以外の女と遊ぶことを許すことができない。
だが何度お願いしたところで、ライナスはその態度を変えようとする素振りすら見せてはくれなかった。
おそらく今後の結婚生活は冷え切ったものになるだろう。
だが両家の関係を考えれば離婚することはできない。
なんでこんなことに……とフィリアは自室に戻り、一人歯を食いしばる。
自分は正に悲劇のヒロイン、悲しき運命に翻弄され続けている。
「……まあでも、あの女よりはマシよね」
自分がずっと馬鹿にし、虐め続けた姉。
彼女が向かった先で過ごすのに比べれば、これでも十二分にマシだろう。
フィリアはそう、自分を慰める。
フィリアはまだ知らない。
自分の代わりに嫁がされた姉が、辺境の地で己の真価を知り、幸せに暮らしているということを。
そして彼女の受難は、まだ始まったばかりだということを……。




