第47話「祖国を支配する」
ベアトリスは、戴冠服ではなく普段の執務服で広場へ出た。
まだ女王ではないからだ。
彼女の後ろには、三度の失政を記した三冊の記録と、国境で亡くなった者の名簿が置かれていた。
「私たちは、戦争に負けました」
最初に、そう告げた。
「魔族が恐ろしかったからでも、兵が弱かったからでもありません。都合の悪い報告を退け、善意を確かめる仕組みを持たず、争いを望む者に国を使わせたからです」
広場の一角から、反対の声が上がった。
「魔族へ軍を渡す女を、女王にするな!」
教会の高位聖職者も、半保護国条約は人間の誇りを失わせると説いた。
ベアトリスは声を止めさせなかった。
「反対する権利があります。だから、私を選ぶかどうかだけでなく、条約を受け入れるかも、各地の集会で別々に決めてください」
三身分会議だけで女王を決めない。
「あの議場では、都市の何万人も一票です」
ベアトリスは反対派へ向かって言った。
「人口を数えない議会を拒んで、私たちは連合を出ました。同じ数え方で女王を決めるなら、独立の理由から嘘になります」
町と村の集会が、女王候補と条約についてそれぞれ賛否を示す。結果だけでなく、参加人数と反対意見も公開する。
すべてが届くまで、六日かかった。
ベアトリスの即位には、およそ七割が賛成した。
半保護国条約への賛成は、それより少ない六割だった。
国境から遠い地域ほど反対が多く、魔王国軍の被害を受けた土地ではなく、人間国軍の補給失敗に苦しんだ地域ほど賛成が多かった。
一部の村では、女性と土地を持たない者を投票へ参加させない旧来の規則が使われた。
ベアトリスはその結果を無効にはしなかったが、参加資格と除外された人数も併記させた。
今回の賛成率を、国民すべての声として扱わないためだった。
次の見直しまでに参加資格を改める案も、最初の議題として提出された。
「全員に認められた女王ではありません」
結果を見たベアトリスは言った。
「だからこそ、反対した者の記録も残します」
国民戴冠の日、ベアトリスは白い服で王宮の階段を上った。
王冠を渡したのは、大貴族でも教会でもない。
国境村の代表、都市の職人、地方聖職者の三人だった。
「国民があなたを止めたとき、王冠を外しますか」
代表が尋ねた。
「外します」
「自分が正しいと信じていても?」
ベアトリスは、一度だけ閉じた王宮の扉を見た。
「記録と審議を受けます。その結果、罷免されたなら従います」
王冠が彼女の頭へ置かれた。
その後、三身分会議は半保護国条約を審議した。
軍の上限、国境配備、外交、戦略物資、ラーヴェ川と魔力水路を共同管理へ移す。
国内法、裁判、地方行政、税、信仰、教育は人間国が決める。
条約違反を疑われた場合は、両国の共同委員会が調査し、議事録を公開する。
条件を満たした権限は、将来の審査で人間国へ返還できる。
反対派は、期限のない支配になると批判した。
「条件を満たしたのに魔王国が返還しなければ、誰が止めるのですか」
ベアトリスの問いに、アレクシアは条文を読み直した。
「両国だけで判断する仕組みでは足りないわね」
そこで、五年ごとの見直しと、二十年後の全面再審議が加えられた。
さらに、共同委員会の判断へ両国の市民が異議を申し立てる窓口と、魔王国側が保護を口実に人間国の税や信仰へ介入した場合の停止条項も入った。
敗戦国が結ぶ条約である以上、完全に対等ではない。
その不均衡を美しい友情で隠さず、返還できる権限と、返還するための条件を文書にした。
三身分会議は、貴族と都市代表の賛成で、修正後の条約を批准した。二身分の賛成と、地域集会の過半数が要件だった。
教会は反対のまま、その理由を議事録へ残した。
ここで初めて、両国の署名式が開かれた。
条約の表題には、双方が自分で選んだ国名が並んだ。
――黎明連合王国および、エルディア王国。
魔王国が相手の国名を公文書へ記したのは、独立戦争以来はじめてだった。
両国が共同で管理すると決めたラーヴェ川は、かつて九種族が建国盟約を結んだ川だった。
魔王国側では、新制度で選び直された魔王が署名する。
人間国側では、戴冠を終えたベアトリス女王が署名する。
アレクシアは、共同委員会の設計者と人間族代表として名を記した。
どちらか一人の署名だけでは、軍事と国境政策を変えられない。
両国の議会、共同委員会、二人の国家元首。そのすべてを通さなければならない。
「ずいぶん面倒な国になったわね」
ベアトリスが小声で言った。
「簡単に戦争を始められる国よりましよ」
アレクシアは答えた。
祖国の王座に座ったわけではない。
領地を奪ったわけでもない。
祖国が、無計画に軍を動かし、隣国を敵にして、自分の民まで滅ぼす自由を制限した。
それが、アレクシアの選んだ支配だった。
支配とは言えども、彼女一人が命じる仕組みではない。
むしろ、自分もベアトリスも魔王も、単独では動かせない国を作ることだった。
国境では、最初の共同水門が完成していた。
ベアトリスの弟シリルは、共同河川委員会で最年少の実務見習いになった。特別な身分も、世襲の席もない。
「開けます」
十四歳のシリルが、ザハルと一緒に操作棒を押した。
最初の水量は、両岸の水位計を見ながら、ザハルと人間国の水利官が決めた。
開門時刻と配分は同じ内容で二枚の板へ刻まれ、片側だけが数字を変えてもすぐに分かる。
開いた水路から、人間の畑とリザードマンの湿地へ水が分かれていった。
式が終わったあと、ベアトリスはアレクシアを呼び止めた。
「二人で話したいことがあります」
案内された部屋の机には、古びた押し花が一つ置かれていた。




