第46話「四対一」
翌朝、両国の代表が同じ円卓へ座った。
魔王国側には黒冠院五席。
人間国側には三身分会議の代表と、臨時統治責任者のベアトリス。
アレクシアは共同調査団の代表として、どちらの側にも属さない席へ着いた。
廃位された魔王には、席も票もなかった。
傍聴席へ座り、求められたときだけ発言する。それを本人が受け入れていた。
「無条件降伏を求めます」
古冠が議題を読み上げた。
「人間国の軍を解体し、外交権を魔王国へ移し、国境の砦をすべて明け渡す。十年間、魔王国の監督官を王宮へ置く」
「受け入れません」
ベアトリスは答えた。
「人間国の罪を否定するつもりはありません。ですが、無条件で権利を渡せば、次の争いを起こすだけです」
砦冠代行が机を叩いた。
「敗れた国が条件を選ぶことができるとでも」
「人間国軍を古い砦へ誘い込めたのは、両国の市民と兵が協力したからです」
アレクシアが言った。
「征服だけが目的なら、最初から限定戦などしていません」
「では、何をもって百年の平和を保証する」
古冠の問いに、友情や善意という答えは通じない。
「誰にも、百年先の心までは保証できません」
アレクシアは新しい条約案を開いた。
「だから、裏切りにくく、失敗を隠しにくい制度を作ります」
人間国は、人間国のまま残す。
王冠、議会、裁判所、信仰、税、教育は奪わない。
その代わり、軍の規模、国境への配置、他国との軍事同盟、国境の関税、川と魔力水路は、両国の共同管理に置く。
「人間の人口が増えれば、また議会を支配する」
古冠が指摘した。
「共同委員会の席を三つの方法で分けます」
アレクシアは表を示した。
「人口に応じた席。種族ごとに必ず与える最低席。そして国境地域の代表席です。人口だけでも、古い種族の名だけでも決められないようにする。会計と議事録は、両国へ同時に公開します」
帳冠が条文をめくった。
「軍事情報まで公開するのですか」
「作戦の詳細は期限を定めて非公開にできます。ただし、何を隠したか、誰が決めたか、いつ公開するかはその場で記録します」
「私の通信制度と同じですね」
「あなたから学びました」
帳冠は表情を変えず、手元の札を賛成側へ置いた。
「公開期限と第三者監査を条件に、無条件降伏へ反対します。共同条約に賛成します」
一票目だった。
剣冠が尋ねた。
「人間国が再び軍を増やしたら、誰が止める」
「共同防衛軍の予算は、両国の議会と共同委員会の三者承認にします」
ベアトリスが答えた。
「人間国の女王にも、単独で出兵する権利を与えません」
「魔王国の王は?」
剣冠の視線が傍聴席へ向く。
廃位された青年が立った。
「同じだ。新しい王が誰であっても、単独で軍を動かせない制度にする」
「自分が王へ戻れなくてもか」
「私が戻ることを条件にした瞬間、改革ではなく取引になる」
剣冠は長く彼を見た。
やがて、賛成札を置いた。
「国境防衛の指揮系統を明記すること。それを条件に共同条約へ賛成する」
二票目。
血冠代行は、王位継承の条文を問題にした。
「人間国の次の王は、ベアトリス殿の子になるのですか」
「血筋だけでは決めません」
ベアトリスが答えた。
「三身分会議と地域代表の承認を必要とします。私の子であっても、不適格なら選ばない」
「魔王国も同じ条件を受けるなら、賛成します」
血冠代行が三票目を置いた。
砦冠代行だけは反対した。
「軍と鉱山を議会へ渡せば、国境は弱くなる。かつての支配を忘れた者が、また我々を飢えさせる」
その恐怖は、すべて嘘ではなかった。
だからこそ、アレクシアの帳簿にも黒い文字は出ない。
「恐れる権利はあります」
アレクシアは言った。
「ですが、恐怖を理由に、他の種族から決定権を奪い続ける権利はありません」
三票あれば、講和条約の審議は進められる。
だが、黒冠院自身の権限を変えるには四票が必要だった。
古冠が最後の札を持っている。
「この制度も、アレクシアが死ねば終わるのではありませんか」
「すでに、私の命令を聞かない者たちが運営しています」
八部門の報告が並べられた。
アレクシアが解散を命じたあとも、彼らは避難、投降、食料、水路を動かした。
ニムとマルザは補給をめぐって争い、フェンとザハルは進路をめぐって争った。
誰もアレクシアの答えを待たず、記録を残して結論を出した。
「あなたがいなくても動くことは分かりました」
古冠はベアトリスを見る。
「あなたが善良でなくなったら?」
「私の拒否権を制限します」
ベアトリスは自分の権限を削る条文を差し出した。
「出兵、条約破棄、少数種族の権利停止は、女王一人では決められません。議会と共同委員会の承認を必要とします」
「陛下を愛していたのでは?」
「今も愛しています。だから、愛している者を止められなかった自分も、制度の外へ置きません」
古冠は、廃位された孫へ顔を向けた。
「あなたは王位を失いました。それでも、この条約を支持しますか」
「支持する」
「再び選ばれなければ?」
「一市民として従う」
古冠は目を閉じた。
「友情を、条約の根拠にはしないのですね」
「ええ」
アレクシアは答えた。
「友情を守るために、条約を使います」
古冠は無条件降伏の文書を二つに破いた。
そして四枚目の賛成札を置いた。
「黒冠院の権限縮小と、半保護国条約の審議に賛成します」
四対一。
黒冠院は、自ら旧制度の終わりを決めた。
軍、人事、予算を直接動かす権限を失い、国家印の監査、長期計画、制度違反の調査を行う院として残る。
世襲席には任期と審査を設け、五席だけで国の進路を決められなくする。
その後、九種族と各地域の代表による臨時国民会議が開かれた。
新しい魔王を選ぶためだった。
候補は三人いた。
剣冠が推す国境軍の将軍。
血冠家が推す黒角王家の青年。
そして、廃位された前魔王。
前魔王は自分を推薦しなかった。
選定会議の前夜、アレクシアの部屋へ一冊の記録を届けただけだった。
過去世界の記録から作った軍事予測。その中には、条約が失敗する可能性と、アレクシアの案に反対する材料まで含まれていた。
「これを出せば、あなたは選ばれないかもしれない」
「だから、選ばれる前に出す」
「私に隠して、王になってから処分することもできた」
「それをしない王を選ぶかどうか、君たちが決める」
彼はアレクシアへ支持を求めなかった。
国民会議で、アレクシアは人間族代表として投票を棄権した。私的な関係を、王位選定へ持ち込まないためだった。
前魔王は、九種族のうち七種族と、過半数の地域代表から支持を得た。
王家の血だけではない。
失敗と秘密を公開し、廃位へ抵抗せず、制限された王権を受け入れたことを理由に、選び直された。
黒冠は空のままだった。
彼は宝珠のない王冠を受け取り、新しい誓約へ署名した。
「私は、やり直せない世界の魔王として、記録と議会に従う」
署名欄に並んだ文字は、王号ではなかった。
――ヴァルド。
黒角王家の家名も、称号もつかない、一つの名前だった。
アレクシアはその文字を、初めて読んだ。
人質として公爵邸へ来た少年は、身分を隠すために別の名を渡されていた。
レクシィと呼んだ声も、アルという返事も、片方だけが本物だった。
記録係が名簿へ同じ文字を書き写す。
やり直せる王ではなくなった男の名が、初めて公の帳面へ残った。
魔王国側の準備は整った。
残る条件は、人間国が自分たちの女王を選び、条約を批准することだった。




