第45話「これは罷免です」
「これは、あなたの自己犠牲ではありません」
ベアトリスの声が議場へ響いた。
「国民による罷免です」
エドガーは、外した王冠を見た。
「結果は同じだろう」
「違います。あなたが国を救うために王位を捨てたことにすれば、いつか国民が感謝して再任される事があるかもしれません」
「そんなことは求めない」
「今は、そう思っているのでしょう」
ベアトリスは三冊の記録を閉じなかった。
「でも、王位を失う理由を正しく残します。あなたの善意を疑ったからではありません。三度の失敗を、三度とも他人が救うことになったからです」
「君は、私と暮らしたすべてを失敗だと言うのか」
その問いに、ベアトリスはすぐに答えられなかった。
宮廷で一人だった自分へ、エドガーが手を差し出してくれたこと。
身分の低い使用人の名前を覚え、病気の子どものそばへ膝をついたこと。
彼を愛した時間まで、嘘にする必要はない。
「いいえ」
ベアトリスは答えた。
「あなたに救われたことも、今も愛していることも否定しません。だからこそ、妻としてかばうために、王としての失敗を隠しません」
三身分会議は処分を読み上げた。
王号、軍の指揮権、議会への拒否権を失う。
オルドリック王家の財産の大半は、焼かれた国境村と帰還兵の救護へ使う。残る私財も監査を受ける。
処刑はしない。
国外追放もしない。
自分の命令で傷ついた国が立ち直る過程を、一市民として見届けさせる。
最後に、王家の婚姻を解消する書類が置かれた。
エドガーが王号を失っても夫婦であり続ければ、次の女王の夫として権力を取り戻す余地が残る。
ベアトリスは震える手で署名した。
「あなたを愛していることと、あなたへ再び国の権力を渡さないことは、両立します」
エドガーも、長い沈黙のあとに署名した。
和平使節として議場に入ったアレクシアを、エドガーが見つけた。
「アレクシア。君なら、私に足りなかったものを持っている」
議場が静まる。
「昔のことを許してほしいとは言わない。だが、国を立て直すために、もう一度私と――」
「お断りします」
返事は早かった。
「私は、あなたを愛することと、あなたの隣で王妃になることを、区別できていませんでした」
エドガーの顔がこわばる。
「あなたへの気持ちが、すべて偽物だったとは言いません。でも、王妃の座を失う恐怖を愛だと思い込み、ベアトリスにあなたを奪われたと考えた。初めから、あなたは誰のものでもなかったのに」
「では、今の君は何のために祖国を救う」
「家族と使用人と、何も悪くない市民がいるからです。幼い日に交わした約束を、今度こそ守るためです」
アレクシアは、一度言葉を切った。
「そして、あなたへの未練ではないと証明するためです」
「私を選ばないことで?」
「いいえ。あなたがいなくても、祖国のために働き続けることで」
エドガーはベアトリスを見た。
「君も、私を必要としないのか」
ベアトリスは苦しそうに息を吸った。
「夫として愛している人と、国王として罷免する人は、同じあなたです」
「それでは答えになっていない」
「いいえ。これが答えです」
エドガーは、もう何も言わなかった。
三身分会議は新しい統治者の選定に入った。
王家の血を引く者でなくても、王族の配偶者であり、国を重大な危機から守った者なら選べる。
長く使われていなかった規定が読み上げられた。
最初にベアトリスを推したのは、都市代表だった。
次に、国境領の貴族が続いた。
王倉の配給を受けた地方代表、シリルの保護令へ賛成した聖職者も名を連ねた。
「私は、間違えない女王にはなれません」
ベアトリスは言った。
「ですから、私の判断を止められる議会と、どんな記録も公開されることを条件として、統治者の候補となることを受けます。王の言葉だけで軍を動かせる制度も残しません」
候補の決定は、即位ではない。
各地の集会がベアトリスを認めるか確かめ、その結果をもって国民戴冠を行う。
その夜、魔王国から更なる和平使節が到着した。
先頭にいた古冠は、祝福の言葉を口にしなかった。
隣には剣冠、帳冠、血冠代行、砦冠代行がいる。
王ではなくなった青年は、使節の最後尾に立っていた。
古冠は降伏文書をベアトリスの前へ置いた。
「人間国軍が我が国へ侵入した事実は消えません」
「否定しません」
「ならば、女王を選ぶ前に無条件降伏を受け入れてください」
ベアトリスは文書へ手を伸ばさなかった。
「その要求は、黒冠院五席の決定ですか」
古冠の白い眉が動いた。
「明日の正式会議で決めます」
「では、明日お答えします」
善意にも、恐怖にも、急かされて署名しない。
それがベアトリスの、女王候補として最初の決定だった。




