第44話「女王になる女」
三身分会議の鐘が鳴った。
王が議会を招集したのではない。
国土が重大な危険にさらされ、王が議会を開かない場合、貴族、聖職者、都市代表のうち二つの身分が共同で招集できる。
百年以上使われていなかった規定を、ベアトリスが探し出した。
都市代表はすぐに応じた。
国境の貴族たちも、投降兵の家族を守る緊急動議を出した時点で、軍部と王宮だけに判断を任せられないと知っていた。
教会では意見が割れた。
ベアトリスを聖戦の象徴にしたい高位聖職者は反対したが、シリルの拘束に反対した若い聖職者たちが議場へ入った。
議場の外にも人があふれている。
ベアトリスは議事を伏せなかった。
書記が発言を写し、議場の外の広場で読み上げる。都市代表の伝令が同じ写しを各都市へ運び、新聞記者は議席の後ろで筆を走らせる。
国境のアレクシアへは、共同通信糸で声が届いていた。
ベアトリスは三冊の記録を開いた。
「一冊目は、国境改革の記録です」
証言台へ、罷免された老辺境官が立った。
エドガーは、密輸の取り締まりで評判の悪かった彼を退け、慈善家として人気のある若い貴族を任命した。
「私は、取り調べが厳しすぎると何度も訴えられました」
老辺境官は認めた。
「改善すべき点はありました。しかし、検問記録を残す者まで全員解任すれば、誰が何を運んだか分からなくなると申し上げました」
引き継ぎを求めた書状には、受取印がなかった。
検問は緩み、捕らえられていた商人は十分な調査もなく解放された。その荷に紛れて、偽造武器と工作員が国境を越えた。
「二冊目は、王倉開放の記録です」
地方の配給所で働いていた女性が証言台へ立った。
「穀物を無料で配ると聞いて、皆、王を称賛しました。私もです」
だが、人口も輸送手段も、翌年に必要な種籾も調べていなかった。
有力商人が人を何度も並ばせ、穀物を買い集めた。都では歓声が上がった日に、地方の倉は空になった。
「王妃府が名簿を作り直すまで、私たちの村には一袋も届きませんでした」
不足分を軍部の資金で補った結果、軍部は王家の財政へ口を出すようになった。
「三冊目は、今回の出兵記録です」
偽の巡礼者名簿。
調査を待たずに出された出兵命令。
そして、判断を遅らせる報告を王の机へ置くなという命令。
若い伝令が、自分の報告書を示した。
「私は、名簿の半数が存在しないと報告しました」
「その時点では、確実ではなかった」
エドガーが席を立った。
「誤った報告を信じて救出を遅らせれば、本当にいる人質を見殺しにするところだった」
「だから、確認を求めました」
伝令の声は震えていた。
「陛下は、確認が終わるまで報告を持ってくるなと命じました」
議場がざわめく。
「すべて、民を救うためにしたことだ」
エドガーは議員たちを見回した。
「密輸人を疑うより、まず信じたかった。飢えた者を前にして、倉を閉じておけなかった。人質がいるなら、一日でも早く助けたかった」
彼はベアトリスを見た。
「君なら、分かってくれるはずだ」
それから通信糸の向こうにいるアレクシアへ呼びかけた。
「アレクシアも、私が悪意で国を危険にさらしたのではないと知っているだろう」
『ええ。悪意ではありません』
アレクシアの声が議場へ流れた。
『私には、人が悪意を持って事を成したとき、それを感じ取る帳簿の能力があります。あなたの名が現れたのは、最後の一度だけでした』
議場がざわめいた。
「魔女だ」
声を上げたのは、聖職者席の高位聖職者だった。シリルを聖堂へ閉じ込めるよう求めた男である。
人間国では、アレクシアはずっとその名で呼ばれてきた。塔の看守も、最後にそう言った。
『ええ。よく言われます』
アレクシアは否定しなかった。
『ですが、私の力は証拠ではありません。今日の判断に使うべきなのは、命令書と予算と、被害を受けた人々の証言です』
ベアトリスはアレクシアが能力を持つことを、初めて知った。
それを隠していたことに、何も感じなかったわけではない。
だが、今は問いただす場ではない。
彼女はエドガーの前へ立った。
「一つだけ答えてください。次にあなたが民を救うため、同じような命令を出したとき、誰なら止められますか」
「君が止めればいい」
「私は、今回も止めました」
エドガーは言葉を失った。
「あなたが民を思っていたことは疑いません」
エドガーの顔へ、安堵が浮かびかけた。
「だからこそ、結果を見ないその場しのぎの善行を行うことを王の資格にすることはできません」
安堵が消えた。
「あなたは私を救ってくれました。私は今も、あなたを愛しています」
ベアトリスは過去の言葉にしなかった。
「それでも、あなたは国を救える王ではありません」
議場の後方で、年配の貴族が立った。国境で領地を焼かれた家の当主である。
「王妃陛下。私は国王陛下の判断を支持しません。ですが、この採決も支持できません」
「理由を聞かせてください」
「百年使われなかった条項を、危機の最中に持ち出したのは、替えたい側だからです。次に王を替えたい場合のことを考えると、危機を感じます」
ベアトリスは否定しなかった。
「もう一つあります」
貴族は通信糸へ目を向けた。
「先ほど、魔王国の人間族代表が議場で証言しました」
「敵国に助けられて王を替えた議会だと、百年後も記録に残ります」
議場が静かになった。
その懸念は、帳簿には載らない。
「二つとも、そのまま議事録へ残してください」
ベアトリスは答えた。
「一つ目には、この条項を使える条件を後で狭めることで答えます。二つ目には答えられません。私は本当に、アレクシア様から証拠と時間を受け取りました」
「お認めになるのですか」
「隠せば、あなたの言った通りの議会になります」
貴族は座った。納得したからではない。記録に残ると分かったからだった。
三身分会議は、王権停止条項の採決に入った。
票は身分ごとに数える。
各身分が内部の過半数で自分の一票を決め、王権を止めるには三身分すべての賛成が必要だった。
一つでも欠ければ、王は王のまま残る。
この規定が百年以上使われなかったのは、忘れられていたからだけではない。
貴族は賛成が過半数を少し超えた。
聖職者は最後まで割れたが、シリルと国境の死者を理由に若い者たちが賛成へ回った。
都市代表は、一人を除いて賛成した。
三票。
エドガーの王権は、その場で停止された。
アレクシアは、都市代表の席を見ていた。
議場で最も多くの人間を代表しているのは彼らだ。人口では、貴族と聖職者を合わせても及ばない。それでも一票だった。
人口に応じた発言権を拒まれて、人間族は連合を出た。そして自分たちの国で、同じ形の議会を百年以上使ってきた。
エドガーの失政だけを見ていては、この国はまた同じ王を選ぶ。
新しい統治者が決まるまで、三身分会議が軍の指揮印を預かり、王妃府が日常行政を担う。
難民救護、配給監査、都市代表会議を実際に運営してきたベアトリスが、臨時統治責任者に選ばれた。
エドガーは、しばらく立ち尽くしていた。
やがて、自分から王冠を外した。
「分かった。これ以上国を争わせないため、私は王位を退く」
広場から、ため息と拍手が混じった音が聞こえた。
エドガーは悲しげに笑った。
「最後に、国のためにできることがあってよかった」
ベアトリスは、拍手を止めさせた。
「まだ、話は終わっていません」




