第42話「八つの弱者、一つの軍」
四日目。
最初に敵を見つけたのは、フェンだった。
銀色の毛が夜の道に溶け、足跡だけを追う。人間国軍の本隊とは別に、山道を進む三百人の部隊がいた。
旗は正規軍のものだった。しかし荷車に積まれた武器には、砦冠家の古い刻印が残っている。
「偽の救出部隊を作った連中だ」
フェンは最短の尾根道から追うと告げた。
『待て』
通信糸の向こうで、ザハルが止めた。
『その尾根の下には人間の村がある。敵が逃げれば村へ下りる』
「遠回りしている間に消えるぞ」
『北の塩道へ水を流す。足跡を残させ、湿地から古い砦へ追い込む』
「一刻遅れる」
『一つの村を賭けるほどの一刻か』
フェンは舌打ちした。
「水を流せ。俺は塩道の出口へ回る」
二人の決定は、シェラの糸を通じて全員へ届いた。
シェラは国境の森に通信の網を張っていた。人間国軍の陣にも、魔王国の村にも、同じ言葉を流す。
『武器を置いた者には食料と帰路を保証します。投降した兵の家族は、調査前に処罰させません』
保証書には、アレクシア、ベアトリス、セヴランの署名があった。人間国の都市代表と国境貴族も緊急動議で承認している。
だが、通信を聞いた兵が本当に投降する保証はない。
「敵の食料を全部止める」
ニムが補給帳簿を広げた。
「三日もあれば、砦冠の私兵は動けなくなる」
「三日あれば、腹をすかせた兵が村を襲うよ」
マルザが反対した。
「食料があるから戦えるんだ」
「食べるために戦う兵と、戦争で儲ける者を一緒にするんじゃない」
二人は帳簿の上で言い争った。
最後に、補給路を二つに分けた。
強硬派の陣へ向かう荷車は止める。
武器を置く場所には、粥と水を置く。
ニムは一杯ごとに受取人を記録し、同じ兵が武器を隠して何度も受け取れないようにする。
「飢えさせて降伏させるんじゃないよ」
マルザは大鍋をかき回した。
「食べるために戦う必要をなくすんだ」
昼前、最初の十人が剣を置いた。
シェラの通信糸が、その位置を全軍へ知らせようとした。
「そのまま流せば、強硬派にも投降者の場所が分かります」
セヴランが糸を止めた。
「でも、場所を隠せば投降したい兵にも伝わらない」
「公開する情報を二つに分けます」
セヴランは一般兵へ安全な道だけを伝え、投降者の名と人数は人間国の都市代表へ暗号で送る契約を作った。
シェラは不満そうに副腕を動かした。
「公開通信なのに、隠すのですか」
「非公開にした名簿の件数と、開示日だけは今すぐ全回線へ流します」
「あとで必ず開く?」
「戦闘終了から三日後です。私の命令では延長できない条文にします」
シェラは納得し、糸の色を二つに分けた。
ザハルが支流を開く。
水は人が溺れない深さで街道へ広がり、重い武器を積んだ荷車だけを泥へ沈めた。
ガランは避難した村の周りへ土壁を築いた。
そのとき、巡礼団の跡を作った部隊の一部が、証拠を積んだ荷車へ火を放った。
「命令書が燃える!」
ルルクが炎へ向かう。
ガランが巨大な腕で持ち上げた。
「お前まで燃える」
「記録がなくなれば、村を焼いた人が分かりません!」
「生きていれば、ほかの証拠を探せる!」
ルルクの体はガランの腕から伸び、火のついた荷車へ細い一部だけを飛ばした。
焼ける直前の命令書へ触れ、文字と匂いを記憶する。
ガランは荷車を土で覆った。
「全部を守ろうとするな」
「ガランもです」
二人は煤だらけになりながら、残った紙を拾った。
夕方までに、千人を超える人間国兵が武器を置いた。
セヴランは投降した兵を一人ずつ登録した。
「罪を調べる前に処刑しない。命令に従っただけの者と、村を焼いた者を同じにしない」
その約束が広がるほど、古い砦へ向かう者は減っていった。
砦に入ったのは、砦冠家の私兵と人間国軍部の強硬派だけだった。
三百人のはずが、百二十人まで減っている。
共同救援隊は、誰一人殺さずに彼らを孤立させた。
アレクシアは通信所で、八人の報告を聞いていた。
何度も意見が割れた。自分が口を挟めば早く決まる場面もあった。
それでも、彼らはアレクシアの答えを待たなかった。
争い、記録し、決めた。
そのことを、アレクシアは誇らしいと思った。
だが、反乱軍を率いる砦冠の息子は、古い砦には残っていなかった。
地下の抜け道から十人を連れ、魔王国側の源流神殿へ向かっていた。
アレクシアは、報告された男の顔を見た。
一回目の人生で、自分の脇腹を刺した将軍だった。
今の彼が、アレクシアを殺すかどうかはわからない。
それでも同じ目で、燃える村を見ていた。
「国の印を壊せ!」
男が狙っていたのは、源流神殿の《水印》だった。
五つの国家印のうち三つが失われれば、黒冠が動く。
砦冠家に残された古い記録には、そう書かれている。
「どうせ魔王は、すべてをやり直す!」
男は笑った。
「ならば、この負けも、焼けた村も、全部なかったことにしてもらえばいい!」




