第40話「王ではない魔王」
猶予の一日目。
廃位の決定が出た夜、魔王を守ると言う者たちが王宮へ集まった。
彼らが持ってきた案は、あまりに単純だった。
黒冠院の四人を捕らえる。抵抗した者は殺す。首都軍より先に王宮を固め、廃位そのものをなかったことにする。
「それをすれば、私は七日後まで王でいられるが」
魔王は提案書を火へ入れた。
「八日目からは、王冠をかぶった反逆者だ」
「しかし陛下、院が先に国を乱しております」
「制度を使って私を退ける者を、力で殺しては制度を守ったとは言えない」
重臣の一人が食い下がった。
「陛下がいなければ、誰が人間国との交渉を」
「私以外では武力で訴えるしかない国にしたことも、私の失敗だ」
「では、陛下へ忠誠を誓った我々はどうなるのです」
「国へ残れ。私個人への忠誠を理由に、職を捨てるな。廃位後の命令が法に従うなら従い、違法なら私の名を使わず拒め」
王を失うことと、国を失うことを同じにしてきた者たちは、すぐには理解できない顔をしていた。
全員を退室させたあと、魔王はアレクシアを呼んだ。
机の上には、三つの箱と二枚の書類があった。
「この箱は何?」
「私が持つ黒冠の記録、過去世界の記憶をもとに出した命令、その命令で生じた被害の一覧だ」
中には、魔王に不利な記録まで入っていた。
和平派を守るために切り捨てた国境の村。反乱を恐れて遠ざけた家臣。
過去の失敗を説明せず、未来の危険だけを理由に従わせた命令。
どの箱にも封はなかった。
一覧の一部には、アレクシアも知らない命令があった。
人間国との戦争を遅らせるため、魔王が密かに魔族の小競り合いを見逃した記録。
その結果、別の村へ略奪者が流れたこと。
「これを知っていれば、私はあなたを選ばなかったかもしれない」
「だから今まで見せなかった」
「それが問題なのよ」
「写しは古冠と帳冠へ渡した。ルルクにも同じものを記録させる」
「私が要求する前に?」
「要求されてから出すのでは、都合の悪い頁を選んだと疑われる」
「ようやく学んだのね」
「遅かった」
二枚の書類のうち、一枚は廃位手続きに抵抗しないという宣言書だった。
もう一枚は、二人の婚姻契約を無条件で終わらせる書類だった。
「署名は済んでいる」
「私を自由にして、また一人で責任を取るつもり?」
「違う。君を妻という立場で縛ったままでは、私の命令に逆らうたび、君が罪を問われる」
「最初から分かっていたはずよ」
「分かっているつもりだった」
魔王は言い訳をしなかった。
「君が隣にいれば、正しい道を選べると思った。だから、君に選ばせず連れてきた。その考え自体が間違っていた」
アレクシアは婚姻解消書を最後まで読んだ。
財産や役職、人間国へ帰る権利を返すことも条件にされていない。署名すれば、その場で婚姻は終わる。
「これで私が帰ると言ったら?」
「止める権利はない」
「人間国を救わないと言ったら?」
彼は一度だけ目を閉じた。
「それも君が決めることだ」
帳簿は開かなかった。
アレクシアは、それを安心の根拠にはしなかった。
「契約を終わらせます」
署名すると、王妃の印が淡く光り、紙の上で二つに分かれた。
セヴランが盟約の条文を確認した。
「人間族代表の席は、あなたが王の配偶者であることを根拠に預かっていました。婚姻が終われば、根拠も消えます」
「では返すわ」
「返す先がありません」
セヴランは言い直した。
「独立から三百年、魔王国に人間族の住民はいません。この国で人間族として数えられているのは、あなた一人です。そして盟約は、預かりを終える条件を書いていない」
「つまり私は、誰も代表していない代表になるのね」
「制度の上では、そうなります」
アレクシアは条文を長く見た。
あの法廷で取り戻したのは、人間族の名だった。名を戻しても、人は戻らない。
「席は預かったままにします。ただし議事録へ書いて。この席には、代表される者がいないと」
胸が痛まなかったわけではない。だが、痛みで決定を変えるつもりもなかった。
幼い日に交わした約束も、六年前に彼が差し出した最後のやり直しも消えない。
けれど、それらを婚姻へ同意した証拠として使うことは、もう許さなかった。
「私は残ります」
魔王が顔を上げた。
「妻としてではありません。共同調査の責任者として。国境の避難計画を始めた者として。私が引き受けた仕事を終わらせます」
「ありがとう」
「感謝ではなく、行動で返しなさい。今後見つかった記録も、私に見せる前に公開すること」
「承知した」
翌朝、ベアトリスから短い連絡が届いた。
『婚姻を解消したと聞きました。魔王に捨てられたのですか』
「逆よ。私が、妻でなくても残ると決めたの」
『では、あなたの提案は魔王の命令ではないのですね』
「初めから、そう言っているでしょう」
『今度は記録にも、そう残します』
同じ朝、剣冠が廃位後の引き継ぎとして首都軍を掌握した。
最初に出した命令は、アレクシアの組織を解散させることだった。
王妃の名で集められた部隊を、王妃でなくなった者へ従わせてはならない。
命令書には、そう書かれていた。
期限は一日。
従わなければ、私兵を用いた反乱と見なされる。
アレクシアは八人を集めた。
机の上へ解散命令を置き、静かに告げた。
「今日で、あなたたちを解放します」
ニムは解散命令を読み、最初に尋ねた。
「官職も失いますか」
「悪妃派としての指揮系統だけよ。王宮補給会計官としての任期は、私の婚姻とは別の叙任状にあります」
アレクシアは八人分の契約を机へ並べた。
辞める者には未払いの賃金と帰る場所を用意する。
残る者にも、彼女個人へ従う義務はない。
美しい言葉で、選択肢のない追放を押しつけたくはなかった。
「署名は明日でいいわ。今夜のうちに読んで」
誰も、紙を手に取らなかった。




