第39話「開戦まで七日」
国境を越えた人間国軍は、前にも後ろにも進めなくなっていた。
前には魔王国の守備隊がいる。後ろでは雨で道が崩れ、補給の荷車が止まっている。
その間にも、彼らが通った村では家が焼け、けが人が増えていた。
投降を望む兵もいたが、人間国軍の将校は家族を反逆者として扱うと脅していた。
魔王国側では、白旗を上げた兵を村人が石で追い返した例もある。
武器を捨てれば助かる、と布告するだけでは足りない。両国で、投降後の道と家族の安全を同時に作る必要があった。
魔王国の首都では、報復を求める声が広がった。
その声を大きくしていたのは、古い言い伝えだった。
王家の秘宝は世界を巻き戻せる。国が滅びかけても、王が戴冠した日の朝へ戻せる。
だから、負けても取り返せる。
黒冠に残りが何度あるかを、声を上げる者たちは知らない。
黒冠院では、剣冠、血冠代行、砦冠代行の三席が反撃に賛成している。法律上、宣戦に必要な承認は揃っていた。
残るのは、最終執行者である魔王の公布だけだった。
「七日、待ってほしい」
魔王は剣冠へ告げた。
「敵軍を、命令に従った兵と、戦争を起こした者に分ける。七日で分けられなければ、私が反撃を公布する」
剣冠は地図の上へ拳を置いた。
「焼かれた村の者に、七日待てと言うのか」
「待たせる責任は私が負う」
「七日後には廃位されるかもしれない者が、どうやって負う」
魔王は答えなかった。
アレクシアが二人の間へ地図を広げた。
「敵の全員を倒す必要はありません」
国境近くには、今は使われていない古い砦がある。そこへ砦冠の私兵と人間国軍部の強硬派だけを誘い込む。
武器を置いた兵には退路と食料を与える。捕虜にした後も、命令に従っただけの者と、村を焼いた者を同じ罪では裁かない。
「敵兵を信じろと?」
「信じません。だから一人ずつ記録します」
「投降すると見せて、村を襲えばどうする」
「武器を置く場所と、民間人の避難路を分けます。守るのは善意ではなく、その道と規律です」
水門の通信網から、ベアトリスの声が届いた。
『兵が武器を置いただけで家族まで罰すれば、次に誰が投降できますか。人間国側では、投降兵の家族を調査前に処罰しないよう、都市代表と国境貴族へ緊急動議を出します』
「エドガー王が認めると思う?」
『王が認めなくても、議会の記録に残します。兵に命令を出した者と、命令に従った兵を分けるためです』
剣冠は地図を見たまま尋ねた。
「主戦派が砦へ入らなければ」
「八つの部門が進路を変えます」
「お前の私兵か」
「いいえ。記録、法律、会計、建設、食料、通信、偵察、水路。それぞれの仕事をする者たちです」
剣冠はすぐには答えなかった。
やがて、条件を三つ出した。
一日ごとに、避難した住民、投降した兵、失われた家屋を公開すること。
人間国軍が新たな村を襲った場合、その場で七日の猶予を終えること。
失敗したとき、アレクシアの組織を軍の指揮下へ置くこと。
「数字を公開するのは、敵にもこちらの被害を知らせることになります」
ニムが確認した。
「兵の位置や倉庫の量は一日遅らせる。けれど、被害を隠して成功とは言わない」
救った人数だけを大きく見せれば、エドガーが空の王倉を慈悲の証拠と考えたのと同じになる。
「最後の条件は受けません」
アレクシアが言った。
「失敗した組織を解散させることは認めます。ですが、住民救護の部門を軍の道具にはしません」
「敗者が条件を選ぶのか」
「七日で勝つ者の条件です」
剣冠の口元がわずかに動いた。
「よかろう。七日だ」
会議が終わる直前、古冠が立ち上がった。
「もう一件、宣言します」
老いた声は静かだった。
「陛下は黒冠の重大な異常を院へ報告せず、個人的な判断で国家の最後の備えを扱いました。さらに、正式に承認された反撃の公布を遅らせています」
古冠、剣冠、血冠代行、砦冠代行。
四席の印が、一枚の書面に並んでいた。
「戦時中に王を替える危険は承知しています」と古冠は続けた。「だから七日を与える。ですが、戦時中だから責任を問えないという前例も残せません」
「四席一致により、魔王廃位を決定します」
室内の空気が凍った。
廃位は決定と同時には行われない。軍と行政を引き継ぐため、七日間の猶予が設けられる。
「戦場で功績を挙げても、情報を隠した責任は消えません」
古冠は魔王を見た。
「七日目の日没をもって、陛下の権限を停止します。抵抗すれば、王ではなく反逆者として扱います」
「承知した」
魔王は迷わず答えた。
アレクシアは彼を見た。
祖国を救うために王位を投げ出せば、美談になる。
だが、彼が責任を負うことで、事実は消えることはない。
アレクシアは魔王の横顔を見た。彼が廃位を受け入れたのは潔いからではない。
抵抗すれば、これから作ろうとする公開の制度を、自分自身で破るとわかっているからだ。
「七日で終わらせます」
アレクシアは黒冠院の全員へ告げた。
「戦争も、王一人が秘密を抱える政治も、あなた方だけが国を決める時代も」




